ネットの中をうろうろ(31)
  中朝国境に何が・・・(31) 南村駅には何が?続き

 咸鏡北道はかなり特殊なのか?小作資料を読み進むと、5町以上の数は・・・咸鏡北道では38の大地主と1068中地主のようです。平安北道では928の大地主と、4714の中地主ですから・・・北朝鮮の土地改革での影響は小さいことになりますかね?あと、気になるのはこれらの地主のうち、北朝鮮臨時人民委員会の特別決定によって規定した、朝鮮の自由と独立のために日本帝国主義の侵略に抗する闘いで功労のあった者とその家族に属する土地、朝鮮の民族文化の発展に特に功労のあった者とその家族に属する土地で、収公を免れた者たちですね。

 北朝鮮臨時人民委員会の特別決定・・・どうやって決定したか?農地などの権利関係の大きな変動は大きな反発になりますから・・・日本人の所有地の統計も[朝鮮総督府]調査資料. 第26輯 朝鮮の小作慣習に掲載されているようですから、気合を入れれば、かなりの情報が得られそうな気がします。馬賊を副業とした大地主だっていたかもしれません・・・独立の気運次第ですかね?それが可能性の高いものなら、その方面にだって投資してもおかしくないからです。高等警察報. 第1号 こんなのも参考になるかもしれない・・・

 ちょっと気になるのは、プロレタリアートは昭和20年頃にどのくらいいたのやら?それほど、工業は発展していませんから・・・基本的には、農地解放・・・しかし、咸鏡北道は・・・?

 なんとなく、右の作業スペース+農業倉庫に見えるやつ・・・今まで見て来たのと少し違う感じがします。かなり、装飾的・・・効率的な収納をするには・・・どれも細長すぎる・・・屋根の色が違うずんぐりとしたのが、効率の上では良いと思うのですが・・・何故・・・

 倉庫ではないとか?鶏舎?推測するためには、もっと資料となるものが必要ですね。たとえば、この地域の生産力とか・・・

 耕地1ha当たりの収量・・・大麦なら2トン、水稲なら4トン、陸稲で2.5トンほど・・・。高粱は1.5トン・・・デントコーンは?こいつが分からん・・・日本では穀物トウモロコシは栽培していないので統計が無い・・・穀物トウモロコシは100%輸入で、飼料用・コーンスターチ用、コーンフレーク・・・そういえば、加工食品にずいぶんとコーングリッツが使われてますね。アルコール醸造の発酵用とか・・・日本ではトウモロコシは穀物として認識されていない・・・これって、食が豊かではないということか?イングリッシュマフィンが食べたい・・・ゆでたり焼いたりするスイートコーンも良いのですが・・・そういえば、近頃は凝った料理って少なくなっているような?下ごしらえに何日もかかるような物・・・刺身やサラダは料理じゃない!なんって・・・

 さて、この倉庫に納められる穀物を大麦として・・・この倉庫に入るのは、ここの周りの平野に産するものとすると・・・80ha程ですから160トンの大麦・・・川を挟んで北側の平地側の住人として・・・65戸ほどので4人家族とし、小作料として4割のピンはねがあるとすると・・・160000÷(65×4)×0.6=369.2・・・・369kgの大麦が1人分?これと、山にも畑があるから・・・結構食える生産量になるような?どのような計画経済で成り立っているのやら?

 さて、この集落の裏山が気になるんです。ちょっと大きめな建物が住宅と関係なく存在する。この建物群は何?というわけです。

 Eが南村駅と周辺集落、Fが中心集落、Gが谷の入口の集落のはずれ・・・AからDが谷沿いの倉庫群か?そしてBから入る谷の先にも同じような倉庫群のようなものがあります。

 北朝鮮は集住と徒歩通勤が普通のようですから、ここへの通勤は困難・・・距離+高低差

 Dから上に行く谷のちょっと先に・・・スキー場かと・・・じゃなくて農場があります。右の写真のものです。座標は 42°09'56.33" N 129°11'10.13" E このあたり・・・国営農場に見えない・・・およそ12町の畑・・・こういったものだって、この国では個人所有できる可能性があるということなんです。

 この経営規模だと・・・大麦ならどれくらいの生産額になるのか?気になります。

 この農場には、国営風の建物がありません。かまぼこ兵舎のような工作物と、出作り小屋の区画のようなものがあるので・・・大土地所有の可能性を考えてしまうのです。

 大土地所有が成立する条件は・・・この集落は、もともと馬賊を輩出した集落で・・・愛国烈士の集落と仮定します。仮定の根拠は・・・面白いから・・・つまり、ある程度無茶なことができる有力者で、政治的な野心を持たないという条件も必要なので・・・

 大土地所有を残しつつ、富の管理を行うためには・・・出てくる答えは・・・富の蓄積の問題ですね。自作農というブルジョワジーに富の蓄積を行わせないためには・・・作物の収公が有効・・・倉庫や運搬手段を個人に持たせないことで解決できます。この体制下の中で、農業資産を貯めるには・・・社会システムの枠内で、自前の倉庫を保有することでしょう。

 個人所有の倉庫は不可なら・・・名目は組合倉庫、その実は一族営業の組合・・・

 馬賊っておよそ20人弱の規模のようですから・・・明確な区割りが行われている倉庫が見つかればOKか・・・組合所有だが、各家の所有を表しているとか?

 大土地所有は・・・朝鮮の自由と独立のために日本帝国主義の侵略に抗する闘いで功労のあった者とその家族に属する土地なら可能・・・ここの立地条件はよさそうです。しかし、橋はない・・・和龍市への交通路であったはずですが・・・現状を見て、和龍からの回廊は2つあって、茂山の北側にあるのが表玄関・・・だから橋が架けられて、税関があり徴税の対象となっている。しかし、もうひとつの回廊である南村は裏口であり、税関が置かれておらず密貿易のメッカ・・・と考えると・・・

 高等警察報には面白いことが書いてあります。概ね・・・豆満江沿岸では、満州事変以降、満州国の軍や警察には反乱をおこすものや逃走するものがあって、さらに、救国軍の蜂起があり、これに乗ずる匪賊の跳梁が激しいとのこと・・・昭和7年に朝鮮歩兵二個大隊を基幹とする混成部隊を派遣して一応の平穏状態になったが、それでも満州の官憲の動揺は終息を見ず、朝鮮側の警備力が不十分で、奥地では春耕を諦めて退避・・・その後、満州国側と朝鮮側の協同討伐と、住民自警団の組織によって治安は概ね回復するものの、残党は活動しているとのこと。秋には、救国軍と中国共産党が合体、比較的安全地帯とされていた市街地すらしばしば襲撃を受けるようになった。この年に国境を越えての警備行動は9回を超え1回の発砲事件すらあったとのこと・・・

 つまり、茂山の周辺は、ちょっと離れると日本の威力の及ばない地域になっていたようです。どうやら、茂山までの鉄道を守るのが精いっぱいなのか?という状態ですね。すると、このあたりには・・・馬賊が横行・・・馬賊は出たことはあるが入ったことはないとか・・・そんな村があってもおかしくありません。馬賊だって資本が必要です。銃や弾丸は高いでしょうし、貿易によるものでしょうから

 これを補強する文献は・・・朝鮮総督府税関官制中ヲ改正ス・(陸接国境税関出張所ニ専任官吏配置等ノ為・・・関税賦課ニ対スル事故ニ関スル件 自大正十四年一月/25)隣接国境(・・・などなど・・・収税と免税の特例がありますね。

 あと資料としては・・・このあたりの茂山守備隊との関係かな・・・それから・・・このあたりの法律、国境から二里以内の住人の越境と免税規則の残滓はあるのか?それから・・・自家生産品であることの証明を行う朝鮮人民会という商工会のような組織なんかも気になります。

 もうひとつ・・・なんとなく・・・北朝鮮の統制経済のやり方って、なんとなく、満州国経済建設綱要が下敷きのような気がします。・・・特殊会社準特殊会社法令及定款集. 康徳6年8月[現在]なんかも、ちょっと目を通してみたいし・・・北朝鮮の建国スタッフに満州国の実務型の中間管理職の朝鮮人がいたら面白いかなとか・・・多分、朝鮮共産党に属していた人間・・・建国で役割の終わったものは否定されるから・・・

 北朝鮮の食糧事情は・・・ホー・ディン・ハイフォンエンジニアベトナム語の資料ですけど・・・気になるのは、ここでの統計資料に米があるのですが、米が2つに分けて掲載されています。これって何?陸稲と水稲か?なんって・・・原資料は国連食料農業機関のものか・・・独自資料ではないのか・・・体制的に近い関係があるからと思ってベトナム語で調べても進展なし・・・

 このあたりは、一般的な外国人の目に触れない地域なのか・・・普通の情報としては、列車の窓から・・・平安道や黄海道とかの様子によって、北朝鮮を推し量っているのか?農業の形態では平安道や黄海道は水田地帯で大地主による支配下にあり、ほとんどが小作農・・・というか、荘園のようなものだったのでは?共産主義では荘園の農奴が国家の農奴に変わった。しかし、その他の地域では・・・旧来的な自作農地が大半を占めているとか?

 このあたりを支配するには・・・ちょっと、満州国の統治機構を見ないと・・・

 ふむ・・・満州国の統治組織は、元首執政の下に国務院、立法院、監察院の3院7部制を採用し、別に重要なる条約、法令、対外宣言その他重要国務につき、失政の諮詢の応ずるための参議府がある。か・・・

 土地制度が問題なんだが・・・そうすると、この財務部の親玉の孫其昌と、交通部の丁鑑修などをチェックすると、財務・物流が分かるかも?
満州ニ於ケル農場経営関係雑件

 ほら、あった・・・新規の農場では、水争いなどもあるようで・・・なかなか大変・・・

 さて・・・工場労働者の絶対数が少ない中での、共産主義・・・もちろん農奴解放もあるのでしょうが・・・朝鮮の東北部ではあまり意味が無い・・・日本が行った工業化も、東西別々のパターンで、黄海側と日本海側を陸上交通で結んで一体化という感じではなく・・・咸鏡道は満州との関係で理解すべきと思うし・・・平壌あたりとは農業の様子も違いすぎる・・・

 なんだかよくわからない・・・間島に生まれた共産主義者だか匪賊だかの集団が、何故、中産階級である自作農を味方に引き入れられたのか?小作は7%・・・

 共産主義革命が、匪賊の中核となった可能性のあるのは、間島の出稼ぎ農民と咸鏡道の自作農の手によって成し遂げられたのか?甲午農民戦争などもこのあたりには影響はなさそうだし・・・そもそも、小作争議が皆無の地域・・・自作農が中心・・・六鎮体制下で政治的な野心を持てなかった所に・・・パリ講和条約でのウィルソン大統領の民族自決主義の提唱、朝鮮の独立の夢の芽生え、純宗の死と呼応しての大正8年3月1日の独立宣言単行書・八年陸乙七一・朝鮮騒擾経過概要・・・教育発達や産業の振興が十分でないので、ガンジーのやった自給自足をはかったようなことはできず・・・自治運動が、帝国法の範囲内で行われるようになり・・・これか・・・李氏の支配下では、自治はなし!特権階級の支配下にあり、政治に対しての文句は・・・死刑だから・・・大正9年に地方制度に諮問機関を通じて政治に対して口を出せるようになり、昭和6年に少しずつ公選制に移行していく・・・辺境の自作農は自立していた・・・自分の土地に対して責任を持って行動しないと作物は採れない・・・土地柄、貿易商人的な性格を持ち、虎や野生動物に対して狩猟民的な性格を持ち武器を所有・・・自衛手段を持った誇り高い人間か・・・政治的な野心より、自分の土地を守ることが優先していたか?じゃあ、自作農の保護を密約したか?保障があれば・・・資金を含めて援助か?

 可能性として・・・面白いのは、一族の中から1人の武装した闘士を出す事、その闘士を支援すること・・・ちゃんと地方自治の役職を与える・・・旧来通りの利権が担保されれば最低限はOK・・・各種情報資料・満洲及支那事変ニ関スル新聞発表、上海事変ごろの様子ですけど・・・間島のあたりの日本の威力は鉄道沿いに限られているような感じです。かなり深刻な状況ですね。

 関連してないけど、ちょっと良い本・・・兵卒ノ心得・・・なるほど、どの程度守られたかが気になります。しかし、関連する報告などを眺めた範囲では、それほど逸脱しているような気配は無いが・・・それに、兵力を要するということは、金が必要ですからね。これに続く史料には機密費200円とか、食を請う難民によるトラブルとか、武器弾薬の押収やら、大正9年の時点でのトラブルの山・・・帝国軍は撤兵すると言うのに、代わりに入るはずの相手方の軍や警察は出てこず・・・、警官は酒を飲んでくだを巻き・・・神経衰弱になる官吏もあるし・・・挙句の果てには、私服巡警の通訳の朝鮮人と日本軍の討伐隊とが小競り合い、私服巡警の通訳が拳銃を抜き、刺殺され拳銃が押収されるとか・・・討伐隊が予定の期日に帰隊しないから捜索隊を出すとか・・・機関銃2丁と指揮刀3振り押収・・・迷子の部隊はとりあえずは見つかったようだし・・・

 このあたりの住人は、基本的に武装しており、国境を接する両国の警察権は十分に及んでおらず、どちらの国に属するというわけでもなく自衛を基本として生きている人たちが住む地域ということのようです。そして、国境を越えて耕作し、国境などあっても無いのと同じ・・・警察・憲兵・守備隊・軍の四者による警備の重複と職掌の不徹底による齟齬、中国側の混乱と怠慢?・・・軍閥による統治の不徹底・・・満州国を作りたくなるのも分からないでもない・・・しかし、満州国も閥の寄せ集めのようなものですから・・・日本は日本で、通貨統合に至るまでの経済政策は打てず、朝鮮は内地並みには至らず、警察などの役所内でも差別的な待遇・・・差別的な待遇撤廃を行うことはできず・・・差別的な待遇を受け日本の走狗と罵られる朝鮮人警官・・・文化の違いと、絶えまない緊張のために心神耗弱状態になり、酒に走り暴れ、問題を起こす日本人官吏・・・

 独立運動の揺籃となった場所についてなんとなく理解できたような気がします。で・・・大土地所有は・・・倉庫や、山の上の方の倉庫だか住宅かタコ部屋かは・・・現状では不明ですね。しかし、穀物の管理と輸送は政府が握っているということのようですね。調べることがどんどん増えて行く・・・外務省って凄い仕事をしているのだと感心・・・さて、興岩駅に向かうとしましょう。調べ物にずいぶんと時間を使った・・・

(2012.12.21)
















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