ネットの中をうろうろ(8)
  中朝国境に何が・・・(8) 鐘城は?
 なんだか、大旅行をしている感じになってきました・・・さて、次は鐘城ですかね?この街は前回の集落の3倍ぐらいありそうです。鐘城、紛らわしいのは鏡城ですね。咸鏡道の中心地と、いま見ている鐘城・・・

 とにかく、この咸鏡道は、女真族の支配下にあって、李氏朝鮮の世宗の時代に豆満江と鴨緑江に防衛ラインを布くことで北境が確定して行くわけです。このあたりの歴史も、間違いなく面白そうなんですが、あまり文献資料がなさそうな・・・満州・・・ヌルハチ・・・こちらに踏み込むと面白そうですが・・・とにかく中朝国境をざっと見ることにして・・・

 ちょっと、またまた余計なこと・・・屯田兵の給与品を調べてみたら・・・屯田兵移住給与規則というのが明治7年に出されているようです。
第六条 家具ハ一戸ニツキ左ノ現品ヲ給与ス
 一、鍋 大小各一個  二、茶椀 五個  三、手桶 一荷  四、小桶 一組  五、擔桶 一荷  六、柄杓 一個
 七、燈具 一個  八、鉄瓶 一個    擔桶・・・天秤棒と肥桶のセットか?擔・・・塩物や味噌などの意味があったっけ?

第七条 夜具ハ一戸ニツキ左ノ現品ヲ給与ス
 一、四布 三枚  二、三布 二枚  掛け布団3枚、敷布団2枚ですね。

第八条 農ハ一戸ニツキ左ノ現品ヲ給与ス
 一、鍬 大小各一挺  二、唐鍬 大二挺小二挺  三、砥、荒砥、中砥、鎌砥各一個
 四、鉋 一挺  五、鑢 二個  六、斧 一挺  七、鋸 大小各一個
 八、鎌 柴刈草刈各一挺  九、莚 二十枚  一〇、熊手 二挺  十一、培養桶 一個
右ニ掲グル外四戸ニツキ唐箕一ケ 六戸ニツキ臼杵共一ケヲ給ス・・・培養桶って肥桶か?

第九条 種物ハ一戸ニツキ左ノ現品ヲ給与ス
 一、麻種子 一斗  二、大麦 一斗  三、小麦 一斗  四、大豆 一斗  五、小豆 五升
 六、馬鈴薯 四斗  七、蚕卵紙 四枚半

 どうも、律令時代と変わらないような?軍防令の中から取ってきたような内容、確かに651年に制定の大宝律令は養老律令に引き継がれ・・・明治初期まで有効・・・ですからね。基本的な人間の生活が変わらない限りこの手の給与品って変わらないのかもしれません。開拓使事業報告. 附録 布令類聚下 なかなか興味深いものです。
 朝鮮の農家も案外、こういったものが支給されて、各地に配属されるとか?まあ、それぞれの本籍の近在なのでしょうが・・・遠方だと強制移住=強制労働の範疇か?屯田兵もl基本的に旅行は許可制・・・正当事由なき場合は不可のようですから・・・

 ネットの中の情報でうろうろしている地域の地図がありました。なんとなく、漢字やかな書きの文字を見ると安心します。

 よく考えると、こういった地図を用意していれば比較的楽だと気付きます。[朝鮮総督府]調査資料. 第22輯 附図 朝鮮の人口現象の附図から、ちょっと画像処理して・・・

 朝鮮総督府の調査資料は興味深いものです。全部をきちんと読んで、データベース化したくもなりますが、なかなかそこまではで見ませんね。やったら、本気の研究者への道・・・貧乏することになります。

 さて、気になる鐘城です。地図では最北の穏城から南に下ったところにあります。この地図では軽便鉄道でつながれています。かつては、鐘城郡が置かれ、その郡都であった場所です。

 前回眺めていた江岸里と鐘城との間は、川が山に接する形なので平野はほとんどありません。山の上も開墾されていて集落が存在します。興味深いのは・・・例の作業広場付の農業倉庫らしきものなのですが、これって多くの場合、集落から少し離れた場所に置かれています。どうやら、律令の倉庫令に準じる形で、さすがにまわりには濠を巡らすとかは無いようですが・・・この10年ほどの間で、この農業倉庫のようなものを集落の近くに移しているものが見受けられます。案外、車とかトラクターとかを置くようになったとか?

 まず、この街の東の山に巨大な文字がひと文字だけあります。これは何?作りかけのスローガン?それともひと文字だけ残ったスローガン・・・それともこれで完結している?上から見ていますから立てていないだけの1文字?まあ、まわりの様子からすると9文字ぐらいの1文字のようです。

 しかし、ずいぶんと大きなものを立てるものです。縦横4〜5mはあるような感じです。スローガンというのは安上がりなのかもしれません。

 まさか、不動産広告ではないでしょうね?HOLLYWOODLANDの方は、これより大きくて高さ14mほどのようです。はたして何らかの効果はあるのでしょうか?

 この同じ山の北の端に左のような丸い人工物と思われるものがあります。平和的なものなら・・・山の上に給水用のタンク?いや、水道のタンクなら、このあたりの建物だと3階建てより高そうなものはありませんから、山のこれほど高いところって考えにくいわけです。

 軍事的なもの?監視哨か?それとも砲台とか?要塞地帯になっている?まさかね。脱北者を見つけるため?密輸対策?純粋な観光展望台?

 ヘリポート?直径は12mほどですから、ちょっと小さいですね。普通は20mほどの丸い空間に直径4mほどのHマークですから・・・

 一応、ふもとの建物との関連が考えられますが、今のところこれに類似した構造物は見たことはないので不明です。軍事的なものだと・・・そう、そのうち韓国との国境線も眺めたいので、軍事的なものであるのなら、類似のものが見つかるかもしれません。とりあえず保留ですかね。

 

 あれ?無線の送信所のようなものがあります。右の画像です。上の丸い建造物の北およそ100mほどの距離の所に2本の鉄塔が立っているようです。ちょっと高さは不明ですが・・・高圧線の鉄塔ではなさそうです。ただ2本だけ立っているだけですから・・・鉄塔間の距離はおよそ110mほどですから・・・短波帯のアンテナか?

 他の送信所と比較すると・・・41°45'35.30" N 129°42'23.37" E ここに朝鮮の声 清津送信所があります。似たようなものです。ただ送信設備が不明・・・単に、古い鉄塔が残っているだけ?Web上には情報はなさそう・・・

 残念、送信所ではないようです。 鉄塔間は200mと考えていたのが間違えでした。ここから200mのところに鉄塔があり、左の鉄塔はどうやら、鐘城への引き込み線のようです。右の鉄塔の先は不明・・・

 鐘城の変電所は集落の北のはずれにあるようです。左のゴチャとしたやつです。

 気がつかないものです。會寧の近くまで行って、変電設備と鉄塔が良く見えるようになって・・・戻ってきましたがね。

 しかし、朝鮮の社会システムはどうなっているのやら?気になります。この鐘城の街から1.5kmほど離れたところに不思議な集落があります。

 雰囲気は・・・学園都市のような感じです。街中にも学校のような建物があるのですが・・・何か高等教育を行っているのか?気になります。


 左の画像なんですが、学校のように見えます。生産設備かもしれませんが・・・雰囲気は学校、そして管理棟とか本部棟の類なのでしょう・・・白い立派な建物で正面は庭園になっています。案外、何かの訓練施設かもしれません。

 幹部養成学校?建物が立派な感じなので、悪名高き強制収容所ではないと思うのですが・・・強制収容所・管理所の所在一覧には該当しないようです。しかし・・・WikiPediaの情報はなんだか強制収容所に関してはかなり不安定、明らかに郡が違うとか・・・そういったものが多いような気がします。

 左の学園都市風のものは何なのか?一応、25mプールと思われるのもあるし・・・雰囲気としては、開拓のための集合住宅と研究機関の合体かもしれませんが・・・一般住宅は左上の三角の区画の方が、右に広がる家々より凝った作りのように見えますし・・・農地がやや離れている・・右の台地の上や、左上の低地が農地なのでしょうが・・・高度差が大きいので、収穫したものを運ぶのが大変そうな感じです。

 まあ、台地の上の開拓と考えておきますか・・・台地を挟んで4kmほど北に似たような集落があります。規模はかなり違うのですが、明らかに学校と思われるものがあります。サッカーなどをやっているようです。そして、ここにも25mプールのように見えるものがありますからね。

 ただ、なんとなく、鐘城に近い方の集落は、学校の裏の谷間に、なんとなく弾薬庫のマウンドのような構造が見えるような気がして・・・この非常な立派な雰囲気は・・・軍がらみのような?あまり疑ってみると、裏山がミサイル基地に見えてきたりするかもしれませんから・・・このぐらいにしておきましょう。気になるのですが・・・この学園都市風のところ・・・歴史が浅そうな・・・近くに墓地が見当たらない・・・

 宗教的なもの?これはなさそうです。確かに、近くには墓があるようですが・・・このところ、都市、水源、墓とかそういったものに興味があります。

 墓・・・この同じ山のふもとに大きな墳丘らしきものがあります。墳丘の直径は7mほどありますかね?2つ並んだ立派なものです。この地に葬られて、子孫にどのような発福があったか・・・気になります。

 しかし、このサイズの墓となると、名のある人?ネットの中を探しても、関連するものは見当たりません・・・

 このあたりは、旧石器時代の遺跡もある?・・・朝鮮半島の旧石器時代は1933年、1935年、咸鏡北道鐘城郡滝関鎮遺跡で直良信夫によって初めて存在が確認された。とのこと・・・この人・・・明石原人の発見者ですね。この人の著作は国会図書館の近代デジタルライブラリーにもありますから、ちょっと暇があったら目を通してみます。何か、この旧石器時代の遺跡について分かるかもしれませんからね。

 さて、なかなか立派な施設もあることがわかりましたが・・・下水処理施設が見当たりません?これはどうなってるの?一応、住宅街を眺めると、家々の近くに四角い小屋のようなものがあります。案外、汲取り式のトイレが昔の日本のように存在しているのでは?日本の鉱山住宅の変遷をちょっと調べたときに、家屋の中にトイレをつけたら、臭くて不評・・・よって、再び戸外にトイレを設置した・・・そんなことがあったようです。家の中に、汲取り式のトイレを設置するためには、便槽の臭気抜きが無ければいけないということのようです。

 北朝鮮の家屋を写した写真の一部を拾ってきました。これによると、家屋には臭気抜きのガラリでしたっけ回転式ベンチレーター、臭突・・・どうも、記憶があやふやですが・・・がついていません。そして、トイレのような建物が存在していますからね。

 まあ、汲取って畑へ直行なのかもしれません。そういえば、屯田兵の官給品の中にも、肥桶・天秤棒のセットがありました。鍋釜食器布団などの中に入っていて違和感を感じましたが・・・農機具の中ではなく・・・

 辺境の地には、大きな集合住宅は無いし、肥料として使っているのならOKか・・・人口のもそれほど多くないので、問題ないのかもしれませんが・・・川の水は三尺流れれば水神様が清めてくれる・・・なのか?ただ、鉱山なども見かけますが、水処理施設はなさそう・・・鉱毒などはどうなっているのやら?ちょっと気になります。

 ふと・・・武蔵野鉄道などは東京都の委託で、汚穢電車走らせていましたっけ・・・1950年ごろまで走っていたとか・・・さぞや臭かったでありましょう・・・高麗駅・・・積み下ろしをしていたっけ?跡地は・・・やはりタンクか?右の高麗駅の西に積み下ろし場所があって・・・さぞや匂ったことでありましょう。

 都市というのは厄介なもので、食べ物が沢山必要で、水も沢山必要で・・・その結果の1つがこれということなのでしょう。

 そういえば、糞便利用としては、豚便所ってのがありましたね。東京国立博物館に展示されていた明器で初めて存在を知りましたっけ・・・豚に人糞を食わせて飼育するやつ。ヨーロッパでも、豚の囲いに向かって突き出した2階のトイレから・・・とかね。ある意味、究極のリサイクル?リユース?

 しかし、朝鮮の下水道はどうなっているのやら?もちろん、大都市ですが・・・ネット上の情報ではクウェート基金で、平壌の下水を近代化するとか・・・日本統治時代から下水道はあったようですが・・・まあ、過去などどうでもよい、現在と、現在につながる未来しかないのだから・・・

 さて、街の様子を眺めるとしましょう・・・鉄道の分岐があるので、それを眺めていて、妙な構造物などを見つけたんで・・・

 鐘城の街の脇を流れる川は流量は少ないようですが、かなり流路を変えるようです。河川敷には流路を変えた跡が沢山あり、堤防も築かれて、流路の範囲を決めているようです。そして、堤防の内外で高度差はあまりない感じです。治水に金をかけているということのようです。ちょっと面白いのは、右の写真で、機関車らしきものが1両だけで線路上にあります?何?という感じです。シルエットからすると凸型電気機関車のようなんですが・・・やっと線路上の走行中と思われるものを見出しました。

 駅には4両ほどのものと2両ほどの編成の列車らしきものが停まっています。

 こんな細かな部分より、この鐘城の都市計画の方が面白そうです。でも、この都市って、西向きの様で?私の頭の中では・・・南向きなんですが・・・しかし、墓の風水というのは背に山を置いて・・・それを中心にしますから・・・それでよいのかもしれません。
(2012.11.14)

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