ネットの中をうろうろ(2)
  中朝国境に何が・・・(2) 強制収容所は・・・

 悪名高き強制収容所ってどんな感じのものなのか?こいつが気になります。刑務所や軍事施設も似たような作りに思えます。人間でない生き物を収容する場所は、養鶏場や養豚場などが似ているかもしれません・・・懲役・徴兵似たようなものですから・・・北朝鮮がとりあえず日本の戦前のようなシステムと侮って見てみると・・・スガモプリズンなどは良い比較対象かもしれません。

 右の写真が1947年8月8日の巣鴨刑務所です。集合住宅のようなものです。ただ、ちょっと整然と並んで監視しやすいようになっているということでしょう。巣鴨拘置所をGHQが収用してスガモプリズンとして知られるようになりますが、この時代ではすでに遅れた建物であったようです。巣鴨刑務所の刑務所機能は、豊多摩刑務所とか中野刑務所呼ばれた場所へ移管されていましたから・・・

左が豊多摩刑務所です。1948年1月18日の航空写真です。

しっかりとした壁、幾何学的な配置、監視がしやすいようなバツ印の収監舎、交通機関の発達した街中の刑務所ですから、この刑務所を運営管理する人の様子は良くわかりません。

 そうなると、僻地の強制労働系の刑務所を考えないと・・・有名な網走刑務所をチェックする必要がありそうです。

 右が1948年8月9日の網走刑務所です。まあ、こんな具合のものなんでしょう。

 刑務所の雰囲気は分かってきました。海軍の霞ヶ浦飛行場などもちょっと興味深いものです。格納が立ち並び、右下には第一次世界大戦の賠償で手に入れた飛行船格納庫の基礎が見られますね。このときにはすでに建屋は解体されてしまってないようです。

 この格納庫があるため、飛行船ツェッペリン伯号の寄港地になったというわけです。

 これが太平洋戦争期の航空基地の例ですね。水上機基地だとちょっと様子が変わりますね。

 右は北浦海軍航空隊の基地です。水上機を北浦に引き出すためのスリップがあります。

 航空機基地には必ず格納庫があって、航空機は野ざらしということはなかったようです。北朝鮮の航空機基地は、それとは違って飛行機は野ざらし?それとも、廃棄された機体を並べてあるだけか?それとも、高度な隠ぺい技術で、見せたくないものはきちんと格納されているのか?気になりますが、とりあえず基地や監獄などの見え方をチェックすれば良いでしょう。

 日本の陸軍と海軍の飛行場では、その雰囲気がなぜか違うような・・・なんとなく、オシャレな感じの陸軍の航空基地と、ちょっと無骨な海軍の航空基地なんって感じがありますね。

 ちょっと特殊な基地の例は・・・柏にあった、高射砲第二連隊兵舎や連隊本部の建物は右上の方に残されていますが、練兵場はすでに農地と化しているようです。下の方やや右にある掩体で囲まれた部分は弾薬庫でしょう。この写真では確認しにくいのですが、鉄塔が建てられ、そこに張られたワイヤーに飛行機の模型を吊るして射撃訓練が行われたとか・・・夜間射撃訓練には夜光塗料とか使われたか?例の柏で放射線が検出された場所にあった連隊です。

 右が、東洋一の兵舎と呼ばれた麻布第3連隊の兵舎です。楕円というか日の字というか・・・現在は国立新美術館になっている場所です。

 まあ、これはかなり特殊な建物ですが・・・一応都市型の軍事基地ですかね。

都市という制約がなければ軍事基地も刑務所も四角の敷地となるようです。

 掩体とか格納庫とか段々に見慣れてくるというわけです。そうそう、麻布第三連隊の北、迎賓館のさらに北には市ヶ谷駐屯地があります。戦後すぐの様子は右のような感じのものです。

 兵舎は長屋状のものですね。学校の校舎もこんな感じに見えるのでしょう。

 都市の中でも、ちょっと雰囲気の違う場所です。とはいうものの工場のような感じでもあります。

 工場と言えば・・・特徴的なのは、やはり航空機工場でしょう。中島飛行機の武蔵工場などは、当時の最新鋭のエンジン工場では?空襲を受けてぼろぼろですが、基本的なレイアウトは分かります。

 東西にほぼ同一規模のエンジン工場が並んでいます。東が陸軍用、西は海軍用とのこと・・・

 同じエンジンを使えば良いものを・・・なんって思えるのですが・・・独自性が大切だったのでしょう。

 さて、北朝鮮の強制収容所として知られているものの航空写真は次のようなものです。咸鏡南道耀徳郡にある第15号管理所と思しきものです。まあ、強制収容所と言っても、刑務所ですね。隣接する農場がありますから、多分、労役は農業なのでしょう。この収容所はSorim-dongという集落にあるようです。

 まわりの標準的な二戸長屋は160ほどありますから320世帯1000人ほどが暮らしている・・・府中刑務所は3000人の収監者に対して600人弱の職員ですから、囚人対監視者比率からすると、2000〜3000人規模ですかね?

 ここで5000人が生活しているとすると、1人当たり米で600g程度は必要でしょう。1日に600×5000÷1000=3000kgって3トンですな。そして、1年では3×365・・・およそ1000トン・・・1haで6トンほど収穫できるから170haほどの水田が必要か170haとなると1700000uで平方に開くと1300m四方ぐらい・・・余裕を見て2km四方か・・・確かにこの収容所の北に広がる水田はおよそ5000人を養うのに足りるだけの収量があるようです。

 そして、水田の中に中庭を持った建物が数カ所ありますから、分舎があるのかな?基本的には自給させるということなのでしょう。

 そういえば、工場なども農園を持ち、それで自活しているようなシステムを取っていますね。そして、こういった自活するための農地と人口で計画経済を成り立たせているとすると・・・農業地帯は基本的には飢えない・・・農家はひねを食いつないでいるというやつでしょう。日々節約して2年分ほどの食料の蓄えが存在しているとか・・・

 4人分の米って・・・15俵程度ですかね?30俵を各戸で備蓄しているとか・・・農村地帯はどんな具合に生活しているのやら?

 さて、収容所は統廃合が行われているようです。調べれば出てくるものです。別の大きな収容所の情報がありました。

左の写真は監視塔のついた塀によって囲まれています。監視塔の影があるのでそれとわかります。价川 第十四號 管理所というようです。ここの収容所の脇にある二戸長屋は100程ですから、収監者はそれほど多そうでないのですが・・・この近くには鉄鉱山がありますから、そこでの強制労働ですかね?

 韓国筋の情報によれば、ここには1万5000人が収容されていて、終身刑の受刑者が入るとのこと・・・終身刑で1万5000人か・・・国民の0.07%が入っている?とは思えませんが・・・1万5000人の労働者が1つの鉱山というのもちょっと・・・そして、この周辺150平方キロメートルがここの受刑者で経営されているような?
 なんとなく、受刑者の数は1500人、1日の徒歩での通勤距離を考えると16平方キロメートル程度と思われるのですが・・・

 せっかく只で使える労働者です。無駄に使うことはないですからね。最大限の搾取をするためには・・・それは、もちろん生かさず殺さず、活かす事!です。労働効率を落とすような虐待は不可でしょう。

 他にもありますね。ハンナラ党ユン・サンヒョン議員の発表したやつから、16号収容所というやつがあります。なんとなく収容所らしくないんです・・・位置は41°16'01.66" N 129°23'31.04" Eです。

 確かに50mほどの長さの長屋で構成されています。ここには1万人ほど収容されていて、この1万人が500平方キロメートルほどの地域を管理しているとのこと・・・

 ネット上の情報では・・・会寧22号管理所が閉鎖になって、そこの受刑者と看守はこの16号管理所へ移動・・・

 この16号管理所の周辺には似たような建物が結構あります。建築様式は同じで、見かけが良く似ている・・・

 鉱山は見当たらない・・・このあたりの産業が気になります。山がちで耕地はそれほどあるように思えません。したがって、農作業はあまりなさそうです。

 このあたりの電力は・・・小さなダムで発電してエネルギーを得ているようですが・・・産業は何でしょう?

 噂では、2006年10月9日にこの近くで核実験が行われたとらしいとのこと。そして、この16号管理所から1万人ほどが動員されて、誰も帰ってこなかったとか噂されているようです。

 この16号管理所関連情報で、会寧22号管理所は、閉鎖されて、この16号管理所に統合されているらしいのです。そこで、閉鎖されたと考えられている22号管理所の探索を始めたのですが、この探索は暗礁に乗り上げています。ネット上の情報が少なすぎます。そこで、会寧界隈をしらみつぶしに探索・・・一応、情報によれば・・・会寧22号政治犯収容所内部にあるジュンボン炭鉱で生産された石炭は、金策製鉄所の電力を保障する清津火力発電所に供給されていた。との情報があります。清津の貯炭設備から鉄道をたどって行けば炭鉱などは見つかります。

 北朝鮮ってそんなに悪い国ではないような気がしてきました・・・信仰がある・・・42°29'12.70" N 129°47'11.91" Eここに、新しい祠のようなものがあるんです。つい最近に作られたようです。信教の自由があるという噂でしたが・・・墓地のある山の頂上に・・・・多分この山の南に広がるChuko'o-dongという村の祠では?

 しかし、この炭鉱は22号管理所とは関係ないようです・・・・そして、情報がありました。22号管理所の区域は何と広大なのです。

 網走刑務所とその周りの耕作地とかそういったものをイメージしていたら・・・そして、数千人は収容できるような塀付のものを探していたのですが・・・

 広大な地域に、思想犯やら犯罪者を放し飼いなのでしょうか?

 右の地図の中で赤くなっている部分の上の白い線で囲まれている部分が炭鉱で、そこは左の写真のような石炭の積み出しのための鉄道が引かれています。

 225平方キロメートル・・・意味がわかりました。しかし、右の地図の範囲が正しいのなら・・・もっと面積はあるのでは500平方キロメートルぐらいありそうですから・・・

 謎が多い・・・15km四方には見えないのですが・・・ここを閉鎖して5万人ぐらいの人間を16号管理所へ移送した・・・雰囲気は225平方キロメートル・・・石垣島ぐらいですかね。ここの島民四万五千人を移送することを考えればよいということですかね?

 ネット上の情報では夜に2000人を12両の貨車に詰め込んで移送したとのこと・・・近頃は1万5000人ほどがいたとのこと・・・じゃあ、1週間仕事ですね。1両あたり2000÷12=170人程度か・・・会寧市の駅へトラックで移送してそこから貨車とのことだから、トラックに20人ほど積んで100往復、平均走行距離を30kmとすると、のべ30×100×2=6000km、リッター6kmとしてドラム缶5本で7日ドラム缶35本か・・・30kmを往復するのに2時間として1台ではのべ12×100=1200時間夜の間の移送だから・・・6時間として200台のトラックが必要?

 管理地内の会寧市に近いところに集合させてからの移送でなければ困難なのでは?当然、ある程度の荷物も持っているでしょうから・・・着替えと日用品・・・軍隊の一人分の装備品ぐらいはありますから、スーツケース1個ぐらい・・・しかし、それぞれの家屋は二戸長屋ですから・・・ここに10人ぐらい詰め込んでいても、鍋釜皿などもあるでしょうから・・・官給品だから置いて行け!向こうで新しいものがもらえるとしたのか?

 会寧市の駅を使うのではなく、炭鉱の引き込み線の方が楽かな・・・移送計画の立案は結構面倒ですからね。かつて、3000人規模の合宿特訓とか・・・やりましたが・・・

 まあ、国ですからね・・・軍隊など、命令で何万人も動かすわけですから・・・さて、強制収容所については分かりましたから、少しずつ産業を眺めて行くことにしましょう。

(2012.11.06)

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