歴史の中をうろうろ(8)
 日韓併合でどんな変化が・・・(8) 朝鮮の風俗a

 朝鮮の民間信仰は非常に興味深いものです。また、ちょっと寄り道をしてみましょう。イザベラバードの著作は三十年前の朝鮮で日本語で初めの方が読めるので・・・ちょっと休憩・・・この訳は悪くないです。

 さて、一応、民間信仰というものは、民衆の心の根底にある思想の発現・・・欲望・願望の漏れ出したものと考えることができます。民間信仰なんって、低級なものと見られがちですが、それは比較の問題です。高級なものを設定して、それから見て異なるものは低級・・・まあ、近頃は科学的というものに対する非科学的なものを低級と考えるようになりましたが・・・当時の科学者は、このように信じていた・・・と未来の学者は過去の学者を比較で貶めることも可能・・・まあ、民間信仰など非科学的で、所詮、民間信仰ですから低級なもの・・・しかし、物の考えなどは先進の人間の言うことなど、普及する前は大衆に受けいられず、異端とされる場合だってあります。迷信と軽視するのは簡単ですけどね。私もこの朝鮮の鬼~著者のスタンスと似ていますね。

 巫法や呪法などは非科学的というのは簡単ですが、信じている人間にとっては確たる科学と考えても良いものです。何しろ、多くの人に信じられ、それが生活の中で生きているのなら・・・まあ、近頃の科学もえらく進歩して・・・呪術や魔法と大差ないレベルのような気がします・・・放射能なんか近頃は悪鬼の如く振舞っていますからね。

 つまり、人間の手の及ばぬもの・・・病気や災害などに対抗する手段として、技術的な確立がないときは、巫法や呪術が儀式体系としての科学であったわけですから。現代でも、不治の病とか難病に対抗する科学的手段はなくとも、とりあえず確立しているような民間療法などがありますからね。あとは、健康志向も・・・自分で食品成分と健康との関係を理解して食物を摂取すれば良いのでしょうが、他人任せで、高額なサプリメントの信仰を持つ人もいますし・・・民間信仰に科学の仮面をかぶせるとお金持ちになれるかもしれない・・・ということになるのでしょう。

 朝鮮の俗信は、写真や科学的な手法が採られるまで保存されてきた土俗信仰で、資料が豊富な気がします。日本の民俗学も、案外朝鮮の風俗が日本の昔の風俗にあまりにも似ていて、それとの比較の中で発展したのかもしれませんね。

 というわけで、ちょっと土俗の世界を垣間見てみようと思うわけです。

 さて、鬼とは何か?これって厄介です。とりあえず、人間のできることは一通りできて、その実態は気のようなものですから、どこでも自由に出入りでき、情報収集も完璧にでき、ついでにエネルギーが多量にあれば、そのエネルギーに見合ったことができるものとしておけばそれほど多間違いにならないような気がします。

 鬼の存在など信じませんから、このぐらいのものであるとして、こういったものに対抗する手段は何があるかということです。1つは、情報収集が完璧という部分です。悪事に対する応報という面での対抗手段は・・・正直で悪事を働かないこと、後ろ指を指されるようなことがなければクリアー・・・しかし、悪事を働かないことはなかなか厄介なので・・・

 庚申信仰というやつが現れます。出所は抱朴子で、人間の体の中には三尸(さんし・さんしの虫とか・・)というやつがいて、庚申の日に体から抜けて天に昇って、寿命をつかさどる神にその悪事を報告し、早死させるということがあるわけです。それに対抗するために、庚申の日には一人でおとなしく起きていると三尸は出られないので報告できない・・・よって、寿命は縮まないことになるようです。

 日本人って面白いことに、庚申の晩は・・・遊んでいたようです。徹夜で・・・生活を楽しむというのが、案外至上原理として働いているのかも?御都合主義かも知れませんが・・・一部の知識人は、庚申の本来の意味を考えて、おとなしくしていた人もいるようですがね。

 1カ月おきの徹夜の宴会・・・良いかもしれません、地域の紐帯を深めるために・・・庚申の日は公民館に集まって徹夜の宴会、翌日は祝日とか・・・法制化の動きがあると素敵なんですが・・・庚申は、宮中や武家などお金持ちは宴会を行っていましたが、庶民までは浸透しなかったようですが、15世紀ころになると、仏教とも結びついて広がっていきます。

 似たようなものは月待ちですかね・・・

 さて、昔の人や学者は鬼や神を細かく分類しますが、存在しないものの分類学はあまり意味がないので、対抗手段を眺める方が面白いでしょう。対抗手段を見れば、対抗すべきものについての知見も得られますからね。存在しないものに対する思惟は無駄・・・

 とにかく、一般に広く流布している 家庭百方吉凶秘訣 という本の中に、およそ人の病の多くは鬼神の働きであるが、普通の人では良くわからない、だから道人や張天師のような人が救うのである。もし、こういった人の力で治らないのであれば、鬼神の祟りではないので、薬を使って治療すべきである。こんなことが書かれているようです。

 医薬の進歩していない時代、呪医だけが身近にある場合は・・・これしかないでしょう。これで、死なずに持ち直せば・・・それが、その人の持つ自然治癒力であっても、問題はありません。死に至ると・・・鬼神の祟りではない・・・免責文言のような感じですね。

 病の名称と、その病の元になる鬼神の名前というのが決まっているようです。たとえば、子の日の病(ねのひもやまい)十二支に対応する病があるようで、この病の兆候や、祟っている鬼、その対処法は・・・三・四日前に嘔吐している。北方から酒とか肉類とかを持ってきたものに鬼がついてきたか、それでなければ産鬼がたたっているか、父母兄弟の鬼神が来たのである。白紙を3張、白米を3升炊いて家の棟に宿る神や、地方官や使節が任地で死んでしまったことで生まれた鬼神を祈り、東西南北の神を祈りの場に設けて、産鬼を北方へ送ればよい・・・こんな具合に決まっています。

 十二支の他に×日の病・・・とかその体系はなかなか複雑です。この手の治療法は・・・病気の人には、ほとんど効果はないと思うのですが・・・何も出来ずに手をこまねいている看護者の側には救いになるような気がします。病を前に、何かができる・・・これも、また重要な気がしますね。

 さて、多くの病は・・・なんと桃の木の東に伸びた枝を切って、それで患者をたたくと治るとか、虎の肉を食わせると治る、大きな音で脅かすと治るとか・・・マラリア患者を鉄道橋の下に吊るして、列車が通過するときの極度の恐怖によってマラリアが去るとか・・・

 興味深いのは、大正13年に流感が流行ったときに戸口に張られた呪符ですかね。右のようなもの・・・駐在所の巡査、学校の校長、朝鮮総督・・・こういったものは、人だけではなく病魔も避けるということのようです。

 これって、案外、明治二十四年に大流行した風邪、通称「お染風邪」と呼ばれました。野崎参りのお染久吉の恋物語のように、お染が久松にパッと恋したように風邪がうつると言うので・・・そして、このお染風邪の対抗策が・・・久松留守と書いた紙を軒先にに張っておくというやつでしたっけ。

 病魔をよける方法が・・・駐在所の巡査、学校の校長、朝鮮総督とは・・・興味深い・・・病魔にも恐怖心があるということのようです。

 他には、消印を押した郵便切手を背中に張るとか・・・お上の威勢を示すものが、英雄豪傑などに並んで護符になるという感じです。

 伝染病が広がらなくする方策としては・・・人知れず、病家の便所に放火して全焼させると、病気はそこから広がらなくなる・・・病人が出たら、便所を監視して放火に合わないようにするのでしょうか?それとも、放火を助長させた方が良いのか?

 この放火系の病魔除け、病魔退治がありますね。集落の東の方の便所に放火するとか・・・空家に放火して子供に「火事だ!」を叫ばせるとか・・・

 病魔は食べ物の良い香りが好きで、人が嫌がるようなにおいを厭うので、部屋の中で臭いにおいを発生させるとか・・・小まめに病魔対策をしている家では・・・部屋の中に悪臭が立ち込めているのが普通になるのでしょうか?

 病魔を追いだす方法としては、トラコーマにかかっている人は左のような三尾一頭の鮒形と文言を書いて、目に針を刺しておけばよいとか・・・

 後は、鍼灸ですかね。これも今風のなら良いのですが、死ぬほど針を刺すとか、かなりのやけどになるものとかもあったようです。病魔を追いだすのに十分な熱や痛み・・・血を流す、瀉血のようなものとか・・・

 他には、供物として、おかゆなどを作り、それを捨てることで、病魔に退散してもらう方法など・・・

 病の神様にも、賄賂が利くということなのでしょうか?まあ、鬼神が、人間と同じようなもので気から成ると考えれば、他人を脅迫して去ってもらう、供応して去ってもらう・・・焼き殺すなど・・・さまざまな対応を考えることができるということなのでしょう。

痘瘡、つまり天然痘は厄介だったようです。天然痘の死者をすぐに埋葬すると、感染が広がるから、1か月ほど死体を風雨にさらすとか、コモで包んで木の股の上に乗せておくとか・・・風葬のようなことをやっています。確かに天然痘の死者のかさぶたとか膿ともかなりの期間感染能力を持ちますから、そういった事の対策であったのかもしれませんが、死体遺棄事件としてかなりの立件があったようです。

 風葬・・・どうやら、死に至ったのは供物とかが欲しかったのではなく、その人の体自体を痘瘡神が欲しているためという事のようです。

 供物で供応する場合のパターンも2つあるようです。単に、供物が欲しいだけのものであれば、供物を与えればよいという低いレベルの供物の出し方、もうひとつは供物をささげるだけでなく、恭順も求め、恭順と供物の力で幸せももたらしてくれるというパターン・・・財物を欲しがる小役人には財物を投げ出し、慈しみの心を持った領主様には、財物よりも恭順の意の方が効果的で、幸せももたらしてくれるというような感じですかね。

 面白いのは、去病符というやつですね。右のようなやつが、それぞれの病を去らせるのに使われるようです。勅の文字が入っていますから、偉い人の、特定のものに対する命令なのでしょう。

 歯を3回叩いて、口に水を含み、東に吹き、呪文を唱えて黄色い紙に朱で右のような符を書くわけです。

 民間療法には様々な形態があって・・・薬のようなものを投与するものもあります。白馬の尿を飲むとか・・・どうも、あまり衛生的なものを飲むものは少ないようです。

 火薬を水に溶いて飲む・・・これって何かに利きそうです。硝酸塩が含まれていますから・・・

 あとは、死にそうな人には・・・薬指を切断、滴る血を飲ませるとか・・・地は命の水だからなのでしょうか?

 人の体の一部なども薬効があると・・・難病の最後の拠り所なのでしょうか?人の命を救うためには・・・人の命の一部が必要・・・血液を飲ませるのもこの系統に当たるのでしょうか?

 他には。子孫の運命に大きな影響を与えるのは父祖の遺体や墳墓の状態であるのでであるので、これをどのようにするかが重要なことになります。

 食物もなかなか面倒で、鬼神が好きな味噌には、魔除けの色の赤・・・唐辛子を挟んだ縄をめぐらすとか・・・鬼神が寄り付かないようにするために小豆を炊き込んだ赤飯とか・・・赤は悪疫を遠ざけるようです。食事のおいしい香りも鬼神を呼ぶので、悪い匂いをわざと付けるとか・・・縁起を担ぐと、ひどい食べ物を食べ続けないといけなくなるような?薬も・・・漢方薬ではない洋薬でも苦かったり匂いが強いものが好まれるとか・・・良薬口に苦しなのです。

 常識的に、鬼は明るい所を避ける・・・都会では電燈の明かりで暗いところが減ったので、悪鬼が跳梁する余地がだんだん無くなって来ているとか・・・白日にさらすというのは効果的なようです。

 強い悪い匂いは悪鬼を遠ざける・・・朝鮮人が手放さないあのキセルは、魔除けの煙をはいているのかもしれません。

 朝鮮の鬼神はざっと読み終わったので、次は民間信仰第二部 朝鮮の風水を眺めてみることにしましょう。

 そうそう、この本と並行して・・・そう、世界風俗写真帖. 第1集を眺めていたら45コマに・・・不思議な風習について書かれていました。鬼は明るいところを避けるというもの・・・「上着と下袴との間に、乳房出せるは、一の盲信に基けり。その理由を聞くに、平素斯く乳房を出さゞれば、乳が腐るとの伝説あり。」なかなか大変!この写真は背景からすると、写真館で撮られたようです。

 日韓併合期の朝鮮では古い文化が、新しい文化に凄い速度で塗り替えられて行ったようです。

 今から考えると不衛生と考えられることが、社会の基層では本気で信じられ、生活を規定していたようです。朝鮮総督府は、朝鮮の古い風俗習慣をずいぶんときちんと集めていたようです。素晴らしい資料が沢山あるので、寝る間も惜しんで、読書三昧という感じです。

(2012.10.22)

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