日本国憲法は・・・?(2)

 さて、憲法の前文の続きです。経済的な自由権に関しても、モラルというやつがついて回る・・・自由って、時にはそれを置いて逃げたくなるような性格の物でもあるようで・・・なかなか厄介・・・次は平和に関するものか・・・

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

 ふむ・・・平和は好き!静かな日々が送れますように・・・隣近所で武装蜂起などが起こりませんように・・・って言うか普通は平和なんだよな。殺し合いの好きな人っているの?殺し合いって・・・

 まあ・・・考えようによっては面白いのは分かります・・・戦争映画や、西部劇、時代劇、仇討物に・・・ホラー映画・・・残忍なことも確かに楽しめてしまうことも・・・それと、毎日が、殺す殺されるの緊張感の中にあるのとは別です。冷戦下の緊張・・・久々に、博士の異常な愛情って映画を見たくなりました・・・興味深い映画・・・または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか・・・正当に見える命令と、情報管制による核戦争への道・・・レッドオクトーバーを追えとか・・・あとなんだっけ?原潜つながりは・・・黒人の副長と白人の艦長の・・・クリムゾン・タイドか・・・それからウォー・ゲーム・・・結果については、風が吹くとき・・・渚にて・・・映画では問題ありません・・・現実ではないのですから。

 私は平和の愛好者です・・・平和なら、色々なことができることを知っています。これが、崩れると・・・人間の蛮行が始まることも・・・歴史が教えています。不安から・・・やがて狂気が生まれます・・・多分、この狂気の結果、自分の自由に伴う権利を独裁者へと委譲してしまうのでしょう。XXに任せよう!国民の総意だ!集団で身を守るために、案外、人間のイドとかエスなんて呼ばれる所に秘められているのでは?なんてね・・・集団的自衛・・・個人じゃ駄目で、さらには国々まで糾合して・・・さあ、殺し合い!だって

 平和・・・戦争と戦争の間の期間を言ったりもしますが・・・こいつは好きじゃないですね。でも、国家が内外の脅威を抑止している・・・緊張の中の均衡状態を意味したり・・・これも嫌いですね。なぜ、緊張状態から話が始まる?

 私は・・・協調主義的な考え方ですかね?しかし、協調主義って・・・互いの独立と権利と自由を最大限に尊重・保障しながら発展したいな・・・ってやつは、あまり好まれない、なんとなく感情的に受け入れられない考え方のようです。あまりにも理念的・・・現実にそぐわないという感じですかね。精神としては分かるけど・・・という感じですかね。

 理由は・・・この考えだと、国とか地域とか、そういった、排他的な領域の概念が希薄になるからのような気がします。人間が持つ縄張り意識・・・私は、どうやら縄張り意識が希薄な人間なんで・・・というか、縄張り意識より好奇心の方が強いのでしょう・・・従って、縄張り意識の強い人間とは反りが合わないことになります。縄張り意識の強い人からは、弱腰なんって言われますが・・・実のところは、意外と野蛮で凶暴、場合によっては凶悪な人間に豹変するのかな? がるるるる・・・

 縄張り意識の中にいる人は、縄張りを仕切っている人間以外は意外と、一人では弱い人間であることが往々にしてありますね。親分を張れる人間というのは希有であるといえますかね。私は縄張り意識が希薄ですから、ある意味・・・一人なんですが・・・一匹狼にはなれないので・・・よく隠れたるものは、よく生きたるものって、それを生きたカント、私も隠れているのが良いのですが、ついつい暇だと文書を綴る悪い癖があるんでね・・・でも、目立たないのでOK

 カントも、縄張り意識の外にあった人間ではないかと思います。書斎の書物から離れ、世界という書物を読む・・・縄張りを絶対と思う者は、縄張りの外の事を考えられない・・・ってことだと思います。

 しかし・・・平和って何?ってね。

 ワクワクするようなことが無い単調な日々が続き、人殺しとか悪事を考えるのに絶好の期間・・・封神演義にそんな類の事が書かれていたっけ・・・千五百年に一度、神たちも殺戒を破って人殺しをする。そのための道具である宝貝を平和な世の中でひたすら練ることになるというやつ・・・明の時代の中国人は、戦争は避けられないものであると考えたんですかね?まあ、勝負事って好まれますから・・・人類は平和は嫌いなのかもしれません?

 平和・・・平かで和で結ばれた状態、仏教用語なら菩提か?煩悩多き人間は・・・菩提の境地にたどりつけない・・・煩悩がヒントですかね?

 根本的な煩悩って、貪とん・瞋じん・癡ちでしたっけ・・・この3つを人間に巣食う毒ってわけで三毒なんって言いますね。

 貪は、物事を必要以上に欲しがるってやつですね。欲しいよ!むさぼり、そして おしいと思う心ですかね。
 瞋は、憎しみや怒りの心
 癡は、愚かな心、真理に対する無知による心ですが・・・

 欲しいと思わなくなったら?怒りの心を失ったら・・・愚かでなくなったら? 退屈しますね。株式市場は、皆で煽って・・・日経平均17000円台に!なんってやってますね。じりじりと株価は上がり・・・どこまで上がるとバブルって言われるのやら?既にちょっと前の1.5倍ですから・・・今のところ、不動産価格の上昇は見られていない?まあ、人間が減っていますから、不動産需要はあまりないのか?別荘なんかも欲しがったし・・・・

 そう、この前のバブルの時は欲しいものが沢山あったような気がしますね。休みが欲しい、車が欲しい、家が欲しい、別荘が欲しい・・・海外旅行がしたい!・・・欲望の巷でしたから・・・パソコンが高かった・・・

 近頃は、高度な工業製品が安価で・・・所有しようと強く思う工業製品が減っているような?バブルのころはラジコンも欲しかったね。ヘリコプターとか・・・多チャンネルの無線操縦装置は高価で・・・練習が必要・・・飛ばせば壊れるから、むちゃくちゃ金がかかるので・・・やはり、高根の花を欲しがる・・・近頃の電動ヘリなど非常に高度な装置にも関らず・・・安価、二重反転ローターの威力、高出力の軽量小型モーター・・・希土磁石なんでしょうね。そして、高能率のバッテリー・・・でも、2980円か・・・いつでも買える物は、強烈な欲望の対象になりにくいということなんですね。

 物欲は・・・あまり湧いてこない・・・借金をしてでも欲しいものが無い・・・ある意味、心は安らか・・・悟りの境地に近いのか?違うな・・・金が欲しいという単純なものになってしまっているとか?そりゃ、金さえあれば・・・短絡的な夢の無い思考・・・しかし、ネットにつながったコンピュータは、かなりの欲望を消化してくれる・・・ネット上の国会図書館の蔵書なんか、既に読み切れない量に達しているし・・・神田の古書店街って好きでしたが、欲望は満たされているので、行く必要はほとんどない・・・新刊を読む時間が無い・・・新刊は、近頃本屋に行かないので、食指が伸びない・・・

 ある意味、私にとっては情報量が飽和している・・・もっともっとと思うのだが、我が脳みそとそのインターフェイスの情報処理力の限界に達している?もっと目玉よ早く動け、脳みそよ理解力を発揮せよ・・・酒などに気を散らすな・・・愚かな心に、知識を詰め込むが、やってくる情報が詰め込む速度を越えてしまっているようですね。書籍を読む速度はかなり早いのですが・・・以前は、同じ本を何度も読みましたが・・・それは、買った本を読む速度が、本を買う速度より早かっただけ・・・財布が追い付かないのが問題だった・・・今は、キーワードで検索すればOK・・・

 ふと、やってないこと・・・楽器いじり・・・練習に時間のかかる物はなかなかやりにくい・・・やりたいことが多すぎるということなのでしょう。

 本文にもどろっと・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し・・・か

 公正と信義か、これまた厄介なものが出てきました。公正って、何を基準に公正なのだろうか?、信義もどの程度の信義・・・どちらも、かなり曖昧模糊とした概念、だから、信頼するしかないのか。

 文化の理解なしに公正や信義って成り立たない部分があるのでね。そういえば、日本語の公正と公平の違いは?多分、正と平の違い・・・正には倫理規範が入り込んでくるのでしょう。ただ単に同じ扱いをするという公平に対して、倫理的な判断基準によって対等に・・・それとも、抽象的な正義の前に公平なということか?

 何か例文を作って考えるか・・・Aは10時間の労働、Bも10時間の労働、二人は公平に仕事をした。
 Aは10時間の強制労働、Bも10時間の強制労働を平等に命じられた、しかし、この処置は公正でない。
 Aは2時間の強制労働で、Bは5時間の強制労働だって!この命令は体力の差からするとこれは公正な判断だね。

 それでは、この「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」の公正というのは何を前提とした公正や信義なんだろう?ってね。平和を愛する諸国民というのは・・・平和はどうやら戦争と戦争の間の期間というやつではないですね。互いの関係が平穏である、お互いに高め合うという意味合いですかね・・・

 ちゃんと次の文章の中にその答えがあるんだった・・・

 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 
 平和を維持するには・・・専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しなければならないようです。どうも文脈からすると、専制国家とそれに隷従する国家って感じですか?帝国支配は不可ってことなんでしょう。圧迫と偏狭も国家の話ですね。だから、次の文で「世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ」と来るのでしょう。世界の国民・・・もし、人を囲う縄張りというものがなければ、恐怖心や物心両面での欠乏がなければ隣同志は仲良くしているはずだが、統治機構という縄張りの意識を持つと、その縄張り間では、軋轢が生じる。この軋轢は、縄張りで囲まれた国民には専制と隷従、圧迫と偏狭の意識を与えることになる・・・集団としての意識・個人としての意識には差があるからか?

 縄張り意識を持たない、恐怖や物心両面の欠乏が無い状態の人間は、公正と信義に信頼して生きているということになるか?まあ、近頃のご時世では・・・自由や権利は、少し取り上げないと縄張りという面では宜しくないということなのか?集団としての縄張り意識を持たせようとする憲法案の横行ということか・・・

 とにかく、前文てのは、自然人たる個人は・・・善であるとしてるのですかね。それぞれの人の心の中には善の何たるかがちゃんと収まっていて、とんでも無い状況下でなければ、自然と正しい選択に基づく行為を行うが・・・集団になると、手のつけられない物になるときがある。集団は、その構成員の理念によって造られるが、集団の力を私するものが出る時もあって、構成員の利益につながらなくなることがある・・・そのときは・・・革命だ!ってなるが・・・革命権を認めたくないから、集団の組織にあらかじめ足枷を付けておくのが良い憲法ということになるのでしょうかね?

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国との対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
 
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 ふむ、政治というのは上から見た下々というやつになるから、自国の事ばかり見ることになる。すると、他国に対しては偏狭になったり、場合によっては圧迫を加えたり・・・さらには、武力によって侵略し隷従を求めたりすることがある。偏狭な心は他国を隷従させ、さらには自国民をも専制の頸木につなぐことがある・・・政治って往々にしてそういった事になる・・・なるほど、政治道徳の法則という言葉が出てくるわけか。国を越えた、普遍的な政治道徳・・・が「国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」まわりを良く見ろ、国際協調があって初めて平和な世界を作ることができる・・・自国の主権を維持・・・維持って、拡張や縮小を強いることなく、常に努力して対等な関係を築きあげよ!ってね。

 日本国民は、全力をあげて、国家が暴走しないようにコントロールすることを責務とし、国家の名誉を高めなければならないということなのでしょう。国家の責務、国家の名誉・・・国と個人の関係が鍵か・・個人が自分の権利の一部を委託して、国が作られる。国民は国の栄光を高めるいために日々目を光らせていなければならない。さもないと、個人が寄託した権力を私し、自国民の事を私は父親のように目をかけ、国家の名誉を高めるためと言って、自国の選挙民の利益に偏り、他国に対しては圧迫を加え、隷従を強い・・・強い国を建設しているという幻想を与え・・・それは、国の栄光のためと称する専制となり自国民から全ての権利を剥奪する専制君主を生み出す事になる。このようなことにならないために、国民は国家を注視し、そのようなことにならないようにすることを誓うわけか?

 そういえば、アメリカ映画・・・アメリカ万才ってのが、凄い映画だと思いましたね。1984年製作Protocol (film) - Wikipedia, the free encyclopedia

 国家権力とそれに利用される女の子・・・独立宣言や憲法の持つ意味などを理解させてくれるコメディー・・・ふと、アメリカは個人主義の国だから・・・

 戦前の日本は、アメリカは個人主義の国だからという常套句を使っていましたが、日本は何だったのか?気になります。

 まあ、個人主義って言っても・・・2系統ありますね、単純に国家や社会の
権威と比べて、個人の権利と自由の方が重いとするものと、個人の尊厳が、社会や国家の権威の源にあるってやつですね。まあ、似たものですが・・・かなり対極的な考え・・・個人主義に対することばと言うと、全体主義とか集団主義ですかね?

 全体主義って言うと・・・全体の利益は個人の利益より優先するのみならず、私生活など個人の選択に委ねられることさえ積極的のみならず強制的に全体に隷属されるってやつですね。個人は国家という体の一部、脳=政府の指令で動け!ってかな。

 集団主義って言うと・・・、権威主義って言い方もしますね。私の意思は皆の意思、皆の意思は私の意思・・・外から強制するのではない、場の雰囲気を感じて自分の立場を知る。そして自分の行動は場の雰囲気を乱さないものであることが要求される。別に意識して行うのではなく、自動的に・・・場の雰囲気に合わせている。様式化された自重・誠実・・・だから、権威主義なのか・・・・目に見えない権威、社会規範に沿って行動する、社会規範はその時々で柔軟に変動するから・・・ある意味、扇動に弱い・・・自分にふさわしいのは何?・・・個人の行動は世間によって規制されることが常識・・・皆でやれば怖くない。地域の常識・・・他地域での非常識・・・ああ、そうだ、「これ、おいしい?」ってやつ・・・お前食ってるだろ!自分で判断しろ!味覚なんって、個人の領域の中でも他と共有することができるわけの無い感覚だろ・・・なぜ聞くかね?お前は、そこまで自分が無いのか?なんって・・・権威によって「おいしい」と認定されたものだけがおいしいというのが日本なのか?日本的集団主義なんって言われる所以かいな?まあ、ある意味日本はそこまで個が重視されないというより、従属を強いられる社会であるともいえるのでしょう。

 我が民族は怖いかも・・・さあ、皆で戦争だ!ってなると、その瞬間戦闘集団が出来上がり、社会もたちどころに戦時体制になる・・・危険な民族・・・憲法で縛られていて良いのかも?

 ああ、久々で「菊と刀」を読み返してみたくなった・・・ふと、日本人が、世界という場の中にさらされて、その世界で自分にふさわしい位置を占めるということを考えるようになったら?なるほど・・・

 なんとなく理解・・・ちょっと前の引用・・・

 明治維新以後今日迄の教育は、知育、徳育、体育の三育に亘り、良き人、良き市民、良き人類を作る教育としては相当に力と尽して来るも、悲しい哉、良き日本人を作るといふ教育に欠けている。故に折角御国の為めになる様にと、国の財を消し、凡有る力を費やし時間を費やして教育したところのの人々が却って日本人離れのした人間となり、偶々此の惟神の大道に迷ふものあるを以て、諸々の新にして奇なる主義、思想、信仰、道徳等に雷同し遂に邪道に入り邪教に禍ひされ、更に一歩を進むれは日本に反し、日本の肇国の皇謨に敵対し、あまつさへ我が皇室中心主義に弓を引くが如き者の生れるに至った事は至極寒心に堪へざる処なり。然し日本人たるの道は今日からでも遅くはない。否むしろこの世界歴史空前の大事と意義ある紀元二千六百年の奉祝に直面して、是が非でも租神ならびに子孫の希求する所謂文字通り天壌無窮の日本人としての軌道に乗せざるべからず。」 なのです・・・私が考える良き日本人・・・国際人としての良き日本人・・・しかし、ここで述べられる日本人だと、確かに私は・・・諸々の新にして奇なる主義、思想、信仰、道徳等に雷同し遂に邪道に入り邪教に禍ひされ、更に一歩を進むれは日本に反し、日本の肇国の皇謨に敵対し、あまつさへ我が皇室中心主義に弓を引く

 私は・・・どうやら、生粋の日本人で、日本的な集団主義の信奉者である。しかしながら、私が信奉するようになったものは、どうやら日本の中の私ではなく、世界の中の私という風になってしまった。故に、私は日本だけを考える偏狭な集団主義者ではなくなってしまった。集団主義者であるが、その上の世界というものを考えちゃう集団主義者である・・・本来良き日本人なんですが・・・良き世界人になってしまった。これは、良き日本人ではないといえてしまう・・・御国のため、世界のため・・・上位概念に影響され、下位は上位に包摂される・・・ある意味、相容れない理由はここか・・・そして、教育や世界に出ることで、良き世界人になりつつある日本人を見て、偏狭な日本人は・・・これでは、日本だけの集団主義を守る人間がいなくなってしまう・・・という、危機感を持ちつつあるのか?確かに、遺伝的な意味の生粋の日本人と、文化的な意味の日本人は違う・・・

 もし、私が天皇を奉じたまま、世界を前提とした集団主義に走ると・・・天皇=神のまま、日本の天皇を世界の天皇へと高めようとする・・・八紘一宇がスローガンとして掲げた時代、天皇を神とあがめるのは生粋の日本人だけに認められることで、朝鮮や中国の民は駄目!とかあったのか?偏狭な国粋主義ならありそうな気がしてきました。ちょっと、こいつも調べてみるかな?

 ふむ、場の雰囲気で行動するようにプログラムされた日本人らしい日本人は、世界的な視点に立って世界を感じるようになると、瞬時に世界人に脱皮してしまうのか・・・脱皮したものは元には戻らない・・・日本人の変容を防ぐには・・・憲法改正、自主独立・・・鎖国しかない、ここまで走るかな?なんってね。

(2013.05.15)

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