発声について・・・

 ふと、どうも私は待つことが苦手なのかもしれない・・・そんな気がしてきました。今が大切・・・今に続く未来が・・・なんとなく、そんな気がするのです。ですから、無為に時間が過ぎていくのが許せない・・・近頃は、映画を見る時間もちょっと考えるようになりました。一応は、こうやって何かしながら映画を見ているのですが・・・マルチタスクに近いので、見落としている部分がずいぶんあります。ですけどDVDとかですから、後で見直すこともできますから、それほど気になりません。TVは駄目ですね、トーク番組は聞き入って、分析を開始しますから、その内容が如何に下らなくても・・・一応、耳を傾け考えますから、自分の他の思考がおろそかになります。

 そりゃ、待つ事だってできますが、無為に待つことができません。風呂に水を入れながら、洗濯をし、料理をこしらえ、気が向くとさらに原稿書き・・・そうやって、かなり忙しく物書きをしてたりもします。今書いている、このページ、これだって実は別の原稿を書いているんですが、気分転換というか・・・考えに煮詰まると書くという感じです。半分は、その原稿を考えつつ、その考えをまとめるために書いているようなものです・・・違うな、憂さ晴らしかな!とにかく、何かをしていないと駄目なんですね。

 考えることが楽しいのです。それを邪魔しない音楽や、映画・・・LDカラオケ・・・時には歌いながらの原稿書き・・・近頃は歌も本気・・・ちょっと、音声学の簡易なテキストを書いたり・・・これまた面白いものです。

 一応、原理としては理解しています。しかし、自分ののどの筋肉を自在に扱うことと理論はやや別のような感じです。人間の声帯はおよそ25o〜15o程度ですかね?この長さで最低音が決まります。振動する部分の長さが長ければ長いほど、うまく振動する範囲でゆるく張られていれば張られているほど低い音が出ます。

 したがって、理論的には人それぞれの最低音は決まっていて、それより低い音は困難ということになります。しかし、高声は?高い声って・・・ある意味際限がなさそうです。声帯を短くすれば良いわけで、そして、強く張ることができれば・・・筋肉の幕ですから、かなり短く、強く張ることができるのではないかと思うわけです。

 そして、大きな声・・・こいつは体を共鳴体に使えばOK、理屈ではね。この理屈の実現のための方法が問題です。色々と調べるわけですが、結局のところ体得という手段になるようです。体得するにしても、何か高声を発するためのきっかけが作れないと、練習すら手付かずになりそうな気がします。

 どうやら、声帯の長さで声の高低が基本的に決まるのですが、男女の声の高さの差は、この声帯の長さの差では規定できないようです。どうやら、男性は地声で、女性は裏声で話していることになりそうな感じです。たぶんね!昔の音声学の教科書にも、そんなことがちらりと書いてあったような気が・・・まあ、女性の声と男性の声・・・裏声の方が息遣いなどを含めて、細かな音を生み出しているような?そして、地声は明瞭さですかね?しかし、私の地声の部分は、たぶん1オクターブ半程度かな?でも、実際には3オクターブに近い声を細々と出すことができます。

 いつだか知りませんが、地声から裏声に変える事をスムーズにできるようになったようです。まあ、高声部はちょっと弱いんですが、それでも、体を共鳴体としてちょっと活用すると、それなりの声量になっているのかな?なんって思うわけです。しかし、どのように訓練すれば良いのかは不明・・・地声で得られない高声をどのように?これが気になるわけです。

 可能性の追求を始めましたが・・・あまり、うまくいきませんね。そして、のどの筋肉を色々と動かそうとすると・・・つまり、発声法を変化させようとすると・・・歌が・・・下手になる・・・音のつながりが変わって、制御不能・・・のどの筋肉は随意筋なはずなんですが・・・どのように働かせているのか意識していないわけですから、いじると簡単にもとには戻らなくなるということのようです。人間の体は不思議です。

 そういえば、キーボードなども叩いていて、なれたキーボードと、そうでないキーボードでも入力する際の疲れが違います。キーレイアウトはほとんど同じで、メインで使っている部分はまるで同じ・・・それでも、やはり、なんとなく違うんですよね。案外、いすとテーブルの関係なのかもしれませんがね。人間の筋肉は、訓練によって無意識にある動きを学ばせるとそれから少し違うだけでかなりの苦痛になるようです。

 今、この文章を打ち込んでいるキーボードだと腱鞘炎の気配は出ません。しかし、ほんの少しのタッチの違いで、腱鞘炎になったりましすね。これに良く似ているような気もします。

 さて、発声練習を数日休むと、適当に体は妥協してどちらも変わりなくできるようになります。発声の練習をいい加減に研究というか、遊びというかでやってみてわかったことです。声の響きを変えるために、軟口蓋をどのようにしたら位置を変えられるか?鼻腔に意識して空気を通すとか・・・色々やると、収拾がつかなくなりそうな感じです。何しろ、意識せずにやってきたことを、意識的に変えようとするわけですからね。

 でも、数日間、自分の声の響きを聞きながら口の形を変えたり、のどの筋肉を動かそうとしたりすると、何かが確実に変わることはわかります。これが、定式化できると・・・それは、立派な教材や指導法へつながるのではないかと思われるのですが・・・果たして、人間の神経系というのがどのように筋肉に対応しているやら?それも気になるわけです。生まれてこの方、どのように神経系と筋肉の動きのきっかけになるものが作られてきたのか?

 まあ、いずれにせよ、十分な練習時間が無いことが問題ですね。飲んで、歌って、食って・・・それだけじゃ生きていくのは困難ですからね。しかし・・・人間は何のために生きるのか?生きている以上は、楽しまなければならないのですが・・・現実はなかなか厳しいものです。
(2012.05.26)

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