原子炉と安全性と将来と・・・ どうも、原子力と言うものは理解することが困難な代物です。たとえば、放射線に関しても様々な単位が出てきます。そして、自然の中にも様々な放射性の同位体があって・・・たとえばカリ肥料なんかもかなりの放射性物質をふくんでいるような感じです。 また、報道を眺めてみると・・・生物濃縮や、蒸発による濃縮などをかなり無視したものが現れたりします。コウナゴの放射線の話も私には・・・変だな?なんって思えるわけです。 さて、土壌汚染の評価なども始めるとか・・・しかしこれって・・・セシウムの分析ですよね。ヨウ素は8日ほどで半減してしまうし・・・きっちりとした分析を行うのでしょうか?この点が気になります。文部科学省のマニュアルのような分析を行うとすると、莫大な費用と、莫大な時間がかかりそうです。 しかし、気になるのは放射性セシウムの量なんです。ちょっと多くないかな?なんって・・・土壌に含まれているやつを簡単に測定できるのか?特に畑などのカリウムなどの影響です。測定法によって、放射線量の検出って変化が多いような気がします。 また、検出装置の感度の問題もあるでしょうし・・・ 私にとっては、この世の中で一番危険で、恐ろしいものは・・・原発とか兵器ではなく、人間なんです。
そして、莫大なエネルギーを生成する手段を得ました。かつて、プロメテウスが、天界の火を盗み、人に与えたように、人は地下の火を手に入れました・・・ウランなどの元素です。そして、天の火である核融合も水爆という形で手に入れてしまいました。これらは、すべて自然の摂理の中にあるものです。 私は、神を信じませんが、神がこれを自然の摂理の中に置いたものとも考えられます。人間は自然の摂理を正しく利用しているのでしょうか?この疑問が重要だと思います。 明治以降の日本の躍進は何にあったのでしょうか?昭和初期の暴走は?まず、江戸時代に西欧文明を取り入れるだけの学問的素地があった・・・旧体制を崩壊させた力が、歯止めもなく吸収した、旧弊打破・・・そして、そういった技術を導入するだけの金が存在した・・・そして、化学肥料の製造によって、食料の大増産と、それと並行して人口の爆発・・・石炭エネルギーへの転換による、エネルギー革命・・・一人の人間の力が、こういったエネルギー資源の利用によって大きく伸張されたことと・・・農家の子沢山と医療と栄養のおかげで乳幼児の死亡が減り・・・土地不足・・・エネルギーと人口が土地を求めて・・・ 戦後は・・・やはり石炭から石油へのエネルギーの転換によって、化学工業が一変します。そして、原動機が安価になり・・・人間の動きが変わってきました。そして、原子力とそれによる電力、電子工業・・・コンピュータにより、人間の能力は伸長され、制御機械と電気エネルギーによって、自動化され、人間の力をはるかに超えたところでの大増産が、現代の豊かさを生み出しているのでしょう。 残念ながら、コンピュータは、人間の本来持っている創造性などを、現実の目に見える形に作り出す手伝いをしてくれますが、それ以上のものではありません。そして、電力も動力以外の何ものでもないのです。 さて、電気・原子力と言う、第二の第三の火の先には何があるのか・・・そろそろ、その片鱗が見えてきても良いような気がします。 私のビジョンだと・・・現在、原子力発電がある意味飽和状態になっているのは、夜間の電力消費量の問題なのでしょう・・・もし、夜間に更なる電力需要があるのなら、原発はさらに加速的に設置されるのではないかと思われます。何しろ、昼間の電力需要は、わが国の経済を支えるのですから・・・ そう、フランスは原子力で電力の80%ほどを賄っています。これは・・・確か、電力をドイツへ輸出しているからとか・・・ドイツは原発を廃止しましたが・・・エネルギーは必要と言うことのようです。日本が、もし原発を廃止するなら、現在の電気消費の70%以下にして、且つ経済活動をよほど効率化して、お金儲けをしないと・・・エネルギー=お金儲けの資材と考えるのであればね。 まあ、私の個人的な生活については、ちょっとの投資で、電力会社と手を切ることは可能な気がしますが・・・海岸の小屋は、所謂ライフラインは届いていませんが、生活可能ですからね。水は手動のポンプですから、風呂とかだと、結構な運動量になるのでしょう・・・まあ、そういった雑用に近い水はそれなりの循環ろ過システムでも構築すればよいでしょうから、工夫の余地はいくらでも存在します。 さて、原子力の安全性・・・こいつは、いつものことで費用対効果と言うやつで決まるはずです。更なる安全性を求めるのであれば、電力料金に跳ね返ることになります。そして、余剰電力を考えると・・・原子力発電は、ほぼ限界に近いはずです。 原子力がもっとお金になる産業・・・つまり、電気を発電するだけでなく、もっと多くの富を生み出してくれれば、原子力をより安全にするための資金が生み出されると思うのです。 じゃあ?何ができる?電力を大量に使って行う産業をより強力に原子炉の近くに誘致すると言うのは?夜間のみ操業する電力を有益な何かを作り出すことなんって良いのでしょう。 莫大な電力を必要とする産業と言うと、アルミニウム精錬でしょう、あとは、ひそかに考えているのは、石炭化学工業ってやつなんです。カーバイドをあまった電力で製造するというのは?木材などの炭素資材と・・・日本に山ほどある石灰岩とで・・・アセチレンを原子力発電で製造して、アセチレンを原料にして様々な化成品をでっち上げると言うのはいかなるものか?なんってね。まあ、フィッシャー・トロプシュ法なんってやつもスタートとしてよいのでは? そうだ、フィッシャー・トロプシュ方って、一酸化炭素と水素からを鉄やコバルトなどの触媒を利用してだいたい300℃、30気圧ぐらいで反応させると、液体燃料や高級パラフィン、オレフィンなどが合成されます。原子炉の温度位じゃないですか・・・まあ、純度の良い一酸化炭素を製造するのが問題ですかね?水素の方は、原子炉を使って取り出す方法が色々と研究されているようですから・・・廃熱と言うものをなくすことができれば・・・200℃程度の温度を保ち続けなければならないようなものはないかとか・・・考えてしまいますね。 さて、自然を大切にしていると称する人がどれほど自然を大切にしているのか?時々気になります。多くは単なる感情的な自然愛護論者です。私は?何に属するのでしょうか?自然には敬意を払っています。自然」と言うものに生かされていることを実感しています。そして、ちょっと、自然に甘えている面もあることも知っています。こうして、コンピュータをいじっている間も、所謂環境破壊に手を貸していることも知っています。 私に理解しがたいことは・・・鳥インフルエンザで、何万羽もの命が奪われることです。肉屋の店先を見れば、そこには死体の山・・・それも、わかっています。私だって、動物の死体を食べています。時には、ニワトリなどを手にかけ・・・私は鳥の天国へは行けません。それも知っています。自分の手で、ニワトリを殺していますから・・・温かい血が流れることも知っています。そして、流したことも・・・ずいぶんとあります。これも、また、自然の摂理でもあると言えます。 だからこそ、環境への負荷の少ない生き方をしているのかもしれません・・・まあ、貧乏と言うのもありますが・・・結局のところ、その人の家計状況にあった暮らしをするということと、機会があればよりよい生活を求めて動くと言うことになるのでしょう。 (2011.04.12)) |