総理の地震直後の動きが出てきた・・・

さて、どの時点で原発事故が終息に向かったと宣言されるのでしょうか?また、その宣言はどこがするのか?これもちょっと気になります。

JCOの臨界事故を調べれば良いのかな?このときは・・・9月30日の12時18分、国からあちこちの期間に協力要請が出ています。今回は何か協力要請が出たのかな?

とにかく、例のバケツで臨界に達せられた容器から水が抜かれ、10月1日午前3時30分頃には中性子レベルが3分の1に下がり、現場では6時15分に臨界停止を確認し、臨界停止を確実にするため、8時30分頃にホウ酸水を沈殿槽に注入し原子力安全委員会により臨界状態の終息宣言が行われたと・・・そして、15時には10km圏内の屋内退避の解除が発せられたと記録されています。

原子力安全委員会か・・・ここが終息宣言を出しているのか・・・モニタリングってのが重要かな?そうなると、冷却装置が動きつつあり、記録が取れるようになっているようですから、後は外部への放射線やら放射能の漏れが無くなった時点で終息宣言が出るのでしょう。

あとは、残された原発の行方かな?電力がないと、社会インフラが動かなくなりますから。そして、産業活動も・・・まあ、近頃の工場は、大手で、ボイラー設備などを持っているところは自前の発電機を昼間に使っているようです。売電・買電の調整をしているとか?ガスタービン発電機を持つ工場もあるようですからね。

費用対効果では、石炭・重油・灯油・・・の順のようですから・・・そうだ、タイから移設されるガスタービン発電所・・・日本が何らかの形で送り込んだやつ・・・季節営業で、電力ピークのときにちょろっと動かしていたやつだとか?そんな報道がありましたっけ。軽油やプロパンは高いから・・・

しかし、夏の需要期はどうなるのか?都市部にいるときは冷房の恩恵を受けたいですが、海岸では暑いのはOK・・・

あれ?菅総理の判断に関しての報道が出てきたぞ・・・

東電、ベント着手遅れ 首相「おれが話す」
毎日新聞 4月4日(月)2時33分配信
 東日本大震災から一夜明けた3月12日午前6時すぎ。菅直人首相は陸自ヘリで官邸屋上を飛び立ち、被災地と東京電力福島第1原発の視察に向かった。秘書官らは「指揮官が官邸を不在にすると、後で批判される」と引き留めたが、決断は揺るがなかった。
 「総理、原発は大丈夫なんです。構造上爆発しません」。機内の隣で班目(まだらめ)春樹・内閣府原子力安全委員会委員長が伝えた。原発の安全性をチェックする機関の最高責任者だ。
 第1原発は地震で自動停止したものの、原子炉内の圧力が異常に上昇した。東電は格納容器の弁を開放して水蒸気を逃がし、圧力を下げる作業(ベント)を前夜から迫られていた。班目委員長は「視察の前に、作業は当然行われていたと思っていた」と振り返る。だが、着手は遅れた。
 首相は官邸に戻った後、周囲に「原発は爆発しないよ」と語った。
 1号機でようやくベントが始まったのは午前10時17分。しかし間に合わず、午後3時半すぎに原子炉建屋が水素爆発で吹き飛ぶ。「原発崩壊」の始まりだった。致命傷ともいえる対応の遅れは、なぜ起きたのか。

 11日、東電の勝俣恒久会長は滞在先の北京で震災の一報を知る。心配する同行者に「情報がない」と漏らし顔をゆがめた。衛星携帯で本店と連絡を取り続けたが、帰国できたのは翌12日。清水正孝社長も出張先の関西から帰京できない。東電はトップ不在のまま対策本部を置く。
 一方、官邸の緊急災害対策本部。当初、直接東電とやりとりするのではなく経済産業省の原子力安全・保安院を窓口にした。「原子炉は現状では大丈夫です」。保安院は東電の見立てを報告した。
 しかし、事態の悪化に官邸は東電への不信を募らせる。菅首相は11日夕、公邸にいる伸子夫人に電話で「東工大の名簿をすぐに探してくれ」と頼んだ。信頼できる母校の学者に助言を求めるためだった。
 11日午後8時30分、2号機の隔離時冷却系の機能が失われたことが判明する。電源車を送り込み、復旧しなければならない。「電源車は何台あるのか」「自衛隊で運べないのか」。首相執務室にホワイトボードが持ち込まれ、自ら指揮を執った。
 官邸は東電役員を呼びつけた。原子炉の圧力が上がってきたことを説明され、ベントを要請した。しかし東電は動かない。マニュアルにはあるが、日本の原発で前例はない。放射性物質が一定程度、外部へまき散らされる可能性がある。
 「一企業には重すぎる決断だ」。東電側からそんな声が官邸にも聞こえてきた。復旧し、冷却機能が安定すればベントの必要もなくなる。
 翌12日午前1時30分、官邸は海江田万里経産相名で正式にベントの指示を出した。だが、保安院は実際に行うかどうかについて「一義的には東電が決めること」という姿勢を変えない。国が電力各社に文書で提出させている重大事故対策は「事業者の自主的な措置」と位置づけられている。
 「東電はなぜ指示を聞かないのか」。官邸は困惑するばかりだった。首相は「東電の現地と直接、話をさせろ」といら立った。「ここにいても何も分からないじゃないか。行って原発の話ができるのは、おれ以外に誰がいるんだ」。午前2時、視察はこうして決まった。
 事故を防ぐための備えは考えられていた。しかし、それでも起きた時にどう対応できるか。班目委員長は取材に「自分の不明を恥じる」と言ったうえで、こう述べた。「その備えが足りなかった」


 ああ、やっぱりね。恐喝まがいのことをしたんだ・・・しかし、正しい唯一の方法をベントとしたのだから仕方ないと思えるわけです。東電は最悪の場合、ベントも考えていたのでしょうが・・・無断で実施するとなると何か後で言われるからベントの許可を申請していたのでしょう。どの道、設定された圧力に達したならば、自動的に圧力弁が開いてベントが起こるのですから。

「原発は爆発しないよ」か、そりゃ核爆発は起こりませんが、水蒸気爆発は起こりますね。圧力容器が内部の圧力に耐え切れなくなって吹っ飛ぶと言うやつです。それを避けるためにベント弁があるのですから。

しかし、ベントが間に合わなかったと言ってるけど・・・ベントによって水素爆発が起こったとしか考えられないのに?

衛星携帯か・・・さすが大企業のトップ、情報機器は充実してますね。電話があれば当然、ネットでだってやり取りができますから、別段、東京に不在であっても問題はないような?陣頭指揮って、情報通信手段が貧弱な時代になら良いかもしれませんが、高度に発達した情報通信網から隔絶された場所に指揮所を置いても、近頃は駄目なのかもしれません。

となると、菅総理の福島への視察は、情報の中心から外れる行為で、あまり感心できないことになるのかな?勉強しにいく・・・とかそんなのも報道にあったような?なにやら、メイキングっぽい内容です。

「行って原発の話しができるのは、おれ以外に誰がいるんだ」か・・・東電側はたぶん、現状ではまだ耐えられる圧力で、緊急システムはある程度動いていて、指をくわえてみているのではない、現在できる対策はすべてやっている、ベントはその先にあるもので、ベントを行ったら、それは最後の手段であると考えていたのでしょう。

しかし、それに対して、ベントしか知らない総理は・・・ん?「視察の前に、作業は当然行われていたと思っていた」か・・・おいおい、圧力容器内のものを外に出すんだぞ、私だとそんな操作をした後で、その近くには行きたくないですね。

ほう、別の報道が・・・タービン建屋の地下で死んだ2人についてです。地震のあと、津波に巻き込まれた・・・タービン建屋の地下か・・・この時点でタービンはどうなっていたのでしょうか。地震で原子炉とタービンが止まったとか、何かにありました。すると、タービンはどうなってたのかな?タービンって止めたら、ターニングとかしなければいけません。ターニングって・・・タービンは高温にさらされています。そして、ある一定の温度になって動いています。この状態から、熱が失われていくと、場所によっての温度に差が出てきます。すると、タービンシャフトとかにゆがみがでてしまいます。そのため、タービンに蒸気を送り込むことをやめて停止状態にするとき、モーターなどの動力で、タービンをゆっくりと回転させ続けなければいけなくなります。

死亡推定時刻が4時ごろだとすると、地震のあと非常用の電力が失われた後かな?原発のタービンはどんなサイズやら?比較的小さなタービンだと、人力でターニングができるようになっていますが、その作業はかなりきついでしょうから・・・色々なところで、自分の仕事をしっかりとこなしている人たちがいると言うことです。

二人は地震発生時は中央制御室にいたが、その後、連絡が取れなくなりとありますから、たぶん、電源喪失で警報・・・二人は、目を合わせ頷くと、何も告げずにタービン建屋に向かいました。ということかな・・・

なんだか、映画アルマゲドンの政府・軍の指導の様子みたいな感じになってきました。

ありゃ、「紙おむつなどに使われる高分子吸水材やおがくず、新聞紙を投入したが福島第一原子力発電所2号機の取水口近くの立て坑の亀裂から海への漏出を止めることはできなかった。」・・・あれあれ、面白い表現が出ています。高分子吸水材やおがくずではトイレはつまらないけど・・・紙おむつなら詰まって水が出なくなりますね。新聞紙だとトイレは詰まるけど・・・

何事も、ものは組み合わせと言うものが大切でしょうが・・・しかし、何で止められない?さあ!8時半仕事開始!
(2011.04.04)

inserted by FC2 system