香取神宮の本殿構造

香取神宮の本殿の祭祀空間に関してちょっと気になっていたことがあるんです。それは、右のような感じなんです。身舎つまり中央の灰色に色を付けた部分の前後、つまり緑や黄色に色をつけた庇を伸ばした所を囲って部屋とする構造をしているそうなんです。

そして、背面の庇に神座が置かれているという構造であるとされています。こいつなんです。しかし、鎌倉時代の本殿用材の研究などから、鎌倉時代にはどうやらこの背面庇は存在しなかったらしいのです。

ちょっと本気で・・・

この香取神宮本殿は、1700年・元禄13年に徳川幕府によって造替されたされたもので、三間社流造とされています。しかし、どうもその構造は流造の前面の庇に床を伸ばして前室を作り(右図黄色の部分)、身舎の背面にも庇を伸ばして(右図緑色の部分)両流造のような形態を持っているようです。そして、この構造は、香取神宮の遷宮の際の仮殿であるアサメトノとか言われるものの形式を受け継いでいるのではないかと言われています。

この背面庇に神座を置くことは、庇は本来身舎に対して従属的な空間と考えられます。よって、このような構造は本殿としてふさわしくないのでは?という疑問が生じます。簡単にいえば、部屋ではなく部屋の奥の押し入れの部分に神座があるということになります。

しかし・・・部屋と考えると、床の間という構造は、こういったものから派生したのではないのか?という疑問も生じます。これはそのうち検討する必要があるでしょう。

香取神宮の神子の神を祀る側鷹神社、そして小幡鹿島神社を眺めて見ると、身舎後方に神座が設けられ、その前面は開放型になっています。案外、この形態が香取神宮などの古社の基本となった形ではないかと思われます。右の写真のやつ奥行き1間のおよそ三分の二ほどが前方の祭祀の空間となっているようです。扉の両脇の柱のように見えるものは柱ではなく、単なる支えであるようです。しかし、なぜこのような構造を持っているのやら?

この形態がさらに大掛かりになったものが、側鷹神社の本殿のようです。こちらは、本物の柱で区切られた空間です。そして、布で覆われています。幣帛も捧げられています。たぶん、こんな具合に飾られ方が変化していったのでは?なんって思えるわけです。

本殿は、人が入って何かを行う場ではないので、拝殿に比べると小さなものです。しかし、儀式が盛大になり、香取神宮のように、大きな本殿が必要になったとき、身舎が巨大化し、神座は後ろの庇へと移動したのでしょう。そして、さらに儀式が盛大になるにつれて、本殿の収容力に限界が生じ、同時に礼拝の階層化が進み、本殿に奉仕する者、拝殿で儀式に参列するものへと分化が進み、本殿と拝殿を結ぶ空間で区切られたということなんでしょう。

この本殿の建築はいかなる時代に始まったのか?これも気になります。古代における神社は、常設のものではなく、祭祀の場は決まっていたが、そこに祭壇を設置して祭祀が行われたのでしょう。神社建築が行われて行くのは、たとえば鹿島神宮では天智天皇のとき・・・670年ごろに社殿の造営が行われたようです。たぶん、このころの建築はたぶん、その時期の正倉や、国衙・郡衙などの形式を模したのではないかと思います。

神社建築は、そのうち、寺院建築の影響を受ける様になるのでしょうが、一応、別の形態を保っているから、そういった時代の形式の片鱗を残していてもおかしくはないと思うわけです。

しかし、この形式のちょっと気になるものがあります。寺院建築でも、これに類するレイアウトの寺院が近くにあるのです。滑河の観音様、龍王院です。この本堂には正面に扉がありません。どのような時間にも、観音様の加護が受けられるように開かれた寺院として機能するためであるとか言われるようですが、こんな扉を持たない寺院との関係も気になるわけです。何しろ、香取神宮と同じ文化圏に属すると思われる知っち条件ですから。

さて、香取神宮の遷宮の際の用材の記録では、身舎には新しい材を用い、神座に古材木を用いていたらしい記述がある様です。

そうなると、もしかして、神座の部分は古いまま受け継がれていく部分とされたのかもしれません。案外、小幡鹿島神宮の形態が古い形なのかもしれません。この神社の場合、柱で区切られたそれなりの広さを持つ神座ではなく、非常に奥行きのない空間となっているように見受けられます。そうなると、神座は空間そのものより、扉に意味があるような気がします。扉は古く重々しいのが良いのか?それとも、神の領域への扉なのかもしれません。

扉で区切られた空間の前の空間は?そりゃたぶん・・・現在の拝殿に置かれる捧げもの・・・そう、鹿島神宮の祭礼における右の写真のような形を写しているのではないかと思われるわけです。

こんな具合に、色々と並べると本当らしくなるのが面白いところです。本気の研究者ではないので、この辺りが私の限界かな?

行方のあたりは、古いものがずいぶんと残っていそうなので、ちょっと気になるスポットです。

(2010.4.12)

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