現在をうろうろ(3896)
日本貧窮者経済新聞
 アメリカ様は強大な軍事力を持っても、ベトナム戦争に負けたのか・・・(2)→この最初へ

 さて、前回の続きですね・・・さて、原始共産制は、富の蓄積が無い状態で、群れを維持するだけのものですね。だから、共産も何もないわけです。そこで今度は個人の所有というものが明確になると富める権力者と貧乏な被支配者に分かれるわけでね。優秀な指導者=食い物の調達と蓄積の達人の下に人が集まって封建制社会になっていくわけです。貨幣が発明される前の現物経済による封建制社会ね。

 さて、この封建制社会の中で実物貨幣が生まれますね・・・私は、銭の浸透の度合いが、次の段階への分かれ道だと勝手に考えていますけどね・・・

 つまり、封建制社会で、通貨の流通が末端まで浸透していると、封建制が崩れると・・・資本主義を基本とする自由社会に変容するとね。それに対して、通貨の流通が無く、現物だけの期末清算をやっているだけの場所では、当然資本主義へ移行できない・・・だって、通貨と物の価値の対応関係が理解されていないわけですからね。簡単に言えば領主様がすべてを管理して、それで分配していた・・・通貨などは理解できないと・・・通貨を貰っても分からない・・・これは食えないとか言い出しますからね・・・だから、共産制へ・・・日々の配給があればOK、領主様の道具で働かせていただいておりますだ・・・が、領主が政府組織へ変わるだけですからね・・・

 農奴制の社会が崩壊したら農奴は何をするか・・・?領主がいて農奴がいた・・・田畑や耕作に使う道具や牛馬などは領主の所有物で、無産者の農奴・・・解放された農奴は農奴の身分も失い自由な無産者・・・飢え死にの自由が与えられるわけですね・・・政府は単に領主の代わりをしなければならなくなるから・・・無産者に食い物や住宅の配給と仕事の確保をしなければならなくなる・・・これだけの話ですね。

 日本は、残念ながら共産化は困難だったわけでね・・・封建制の下で既に資本主義社会へ移行していたから・・・領主の代わりは不要だった・・・何しろ、江戸時代には名目貨幣が発行され実質的に管理通貨制に移行していますからね・・・天保通宝の発行ね・・・銭8文分の重さしかないくせに100文で流通させようとしましたからね・・・

 名目貨幣化と管理通貨制に移行するのが、元禄の貨幣改鋳ですかね・・・荻原重秀 - Wikipedia 貨幣改鋳 この項目から引くと・・・

 重秀は、政府に信用がある限りその政府が発行する通貨は保証されることが期待できる、したがってその通貨がそれ自体に価値がある金や銀などである必要はない、という国定信用貨幣論を200年余りも先取りした財政観念を持っていた。従前の金銀本位の実物貨幣から幕府の権威による信用通貨へと移行することができれば、市中に流通する通貨を増やすことが可能となり、幕府の財政をこれ以上圧迫することなくデフレを回避できる。そこで重秀は元禄8年(1695年)、慶長金・慶長銀を改鋳して金銀の含有率を減らした元禄金・元禄銀を作った。訊洋子が著した『三王外記』には、このときの重秀の決意を表した「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし」という有名な言葉を伝えている。

 こんな奴ね・・・そして、天保年間には庶民まで天保通宝で巻き込まれることになるわけですね・・・元禄時代ですからね・・・世界最先端の考え方と、それを元にした金融政策が為されたわけです。こんな国は、共産化は無理なのだよ・・・何しろ、石高に対して・・・1500年代の中ごろには永高・・・つまり、石高を基軸通貨の永楽銭に換算しての富の基準を打ち出しているわけですからね・・・400年も普通に銭を扱って、銭で生活を立てるような国では・・・

 まあ、小作の問題がありましたからね・・・小作人=無産者ね・・・ただ、小作人は銭を蓄えれば自由が広がるのでね。自作農へ移行することも可能・・・農奴は土地と一体の財産ですから・・・農地解放も日本ではOKでしたが、ベトナムでは失敗・・・日本の小作人は飢え死にの自由を行使できる無産者でしたから・・・地主との間の雇用関係に近いわけでね。いつかは自作農!地主になるんだ!が可能・・・次は侍株だ!とかね・・・金で身分まで売買する社会は共産化は困難という事!

 じゃあ、社会主義への移行は・・・?多分・・・農奴制を基本とする封建制社会の中で工業化が進んだところが、社会主義へ移行したのだろうと・・・領主様が殖産興業で工場や鉱山を保有していると・・・農奴がそのまま工員や鉱夫に横滑りでしょうからね・・・封建制が崩壊すると領主様は資本家に化けることになるが・・・例によって賃金が現物支給だった連中は・・・通貨を貰っても、これは食えない!食い物をよこせになるわけで・・・商業の発達の問題でもあるのですがね・・・

 日本は社会主義化は困難でしたね・・・だって、銭は使うし、もっと恐ろしいもの・・・鎌倉時代には為替が導入されていますからね・・・紙切れ1枚で、貨幣も米なども送れるシステムが・・・為替 - Wikipedia 日本の為替の歴史 こんな具合ですからね・・・多分、この歴史はもっと古いのではないかと・・・荘園間の紙切れでの物品の融通や神社組織・・・名残は朱印帳が怪しいね。日本の国内システムは、律令の継受によって独自の発展を遂げていますからね・・・

 江戸幕府も駅馬の制度をちゃんと引き継いでいますしね・・・郵便制度も律令を継受した時から存在するし・・・

 社会システムが古代に基本が確立・・・律令を継受したのが701年大宝元年ですからね。延喜式などは組織論のようなものですしね・・・延喜式というと神名帳ぐらいしか話題になることは少ないですが・・・物流に関しても色々と書かれていて面白いものですからね・・・氷室とか、産業施設関連の運営に関して示されていたりしてね・・・

 延喜式の時代で、実質的に様々な工場が稼働しているようなものですからね・・・そして、標準化が行われているわけですからね・・・年貢米の升は大きさが変わりますが・・・古代の升は、麹などの1枚につながっているようですがね・・・

 日本はかなり特殊な国で社会インフラに関しては・・・恐ろしいほどの先進性があるのでね。基本は律令の継受ですが・・・為替などは、本家では紙幣へと成長しますが・・・日本では送金や現物を送らなくても米とか受け取れるシステムを構築してしまったわけですからね。

 結局は、日本は記録を取る文化が根付いていたという事ですね・・・公式令 (律令法) - Wikipedia 養老令の物が残っていますが・・・757年には既に書類で動く政府が作られ、明治時代にいたるまでこの書式が連綿と・・・これだけの伝統があるのに、役人が文書を捨てるなんってね・・・間抜けな小さな普ちゃんだから・・・香取神宮関連の文書の内容は平安時代に遡りますからね・・・

 日本の記録や書類による指示ですから・・・記録が残るから確実性が違うというわけでね・・・だから、明治維新で欧化が一発でできたわけでね・・・輸入されたと言われる全ての社会システムが、実は存在していただけですからね・・・農地改革だって終戦前に日本政府が企図した奴を行ったようなものですからね・・・

 あれ?ベトナムだが・・・社会主義と共産主義をやったから・・・ベトナム社会がどんなものであったかを考えれば、どの道を選ぶことになるかが分かるわけですね。さて、資料は無いかね・・・?まあ、プランテーションと大規模な米作地帯だから・・・共産化の流れでしょうね。多分・・・その結果なのだろうとね・・・一旦切って・・・続けるかどうか・・・私には重すぎるテーマかも・・・?国立国会図書館デジタルコレクション - 南方圏建設の構想 132コマ 土地制度 結構いい加減なようですね・・・仏印の記述もありますが・・・灌漑用の水路などの施設が必要な米作地帯やプランテーション以外は・・・なんとなく占有で部族利用という感じのようですね・・・これなら、耕作権を認めるだけで国有化できることになるね・・・一旦切る!

2018.04.27

  

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