現在をうろうろ(367)

 北朝鮮の海岸防衛・・・軍事境界線から北へ・・・清津の街と漁港と船舶修理と小型艇建造・・・

 さて、やはり清津の庶民の暮らしが気になります。庶民的な小規模の工場の様子が垣間見れる可能性があるのは・・・漁港ですね。ここにつながれている船の様子からすると、水産会社に所属する船のような係留の仕方をしているようなんです。

 右のような戦前の地図ですね。工場名が入っていますから、チェックは簡単です・・・地図の出所は・・・近代デジタルライブラリー - 清津府府勢一班. 昭和13年 45コマ これですね。現状と大きく異なる部分は港湾の奥の部分ですね。この部分が整理されています。それ以外の部分は殆ど変わらないようです。

 一応、厳密な比較を行うと、左のようなものを作って、それそれの敷地の同定を行う事ができます。

 この漁港口、写真左に林兼の缶詰工場がありますねマルハの缶詰・・・それから、冷凍倉庫もあったようですがこれはどこだろう?

漁船が沢山つながれているのは、林兼の缶詰工場と、清津水産工場だったあたりですね・・・経営が変わっても、管財人が管理している?

 多少の埋め立てと、清津造船鉄工所と矢倉造船鉄工所の工場を埋立てて拡張した部分に出して、川南工業の造船所を拡張したみたいですね。生産設備の多くはなんとなく日本製のもののような感じ・・・日本の戦前から続く造船所にある施設と酷似したクレーン・・・なんとなくね。デザインが日本的・・・しかし、ここの造船所に関する資料が見つからない・・・2つの造船鉄工所があることから、都市計画に基づくのであれば川南の工場は缶詰工場ではないはずですから・・・船を缶詰と同じように生産ラインに乗せて流れ作業で作るとい造船所の面影もあるし・・・多分、現在も同じ形のラインで製造されているようです。

 清津は、第二次世界大戦での戦火を受けていないはずです。そして、朝鮮戦争でも・・・しかし、ソ連軍の進駐で大きく破壊され、生産設備はソ連によって持ち出されたとか・・・そんなうわさがありますが・・・どうやら、それは本当ではなさそうな感じですね。ソ連は人民解放がスローガンですから・・・人民のための、生産手段の破壊はやりそうもない気がしてね・・・破壊は、あっても一部の従業員の可能性が高いような気がするというだけです。歴史の真実というのは難しいものです。

 歴史というのは、どうも管理者の交代であって、庶民の生活に殆ど影響が無いような気がしますね。香取神領など、平安時代末から明治に至って廃藩置県・上知が行われるまで何も変わっていませんから・・・そりゃ、宗教上の変動などがありますが・・・庶民の生活は・・・誰に税を払うかの問題であって、技術革新が無い限り生活そのものに変化は無い・・・人間は生きるために努力を続けるだけ・・・支配や制度の変化などは表面的なものでしか無い・・・

 どうやら、水産工場の地割もあまり戦前と変わっていないような感じですね。他の所との類似点では、大型漁船が放棄されて沈むに任せられていますね・・・

 この漁港には浮きドックがあります2013年6月ごろに入港した気になる船がありますね。右の写真の船ですが・・・例の・・・座標・・・

 41°19'26.66" N 129°46'32.48" E ここを母港として活動しているよう陸用舟艇のようなやつ・・・これが浮きドックで整備を受けているようです。

 浮きドックに入渠している状況は左のような感じですね。船首の部分の感じがなんとなく違う・・・やはり船首が開く揚陸艦かね?

 どうやら、この浮きドックが、咸鏡北道の軍用舟艇の修理に関して大きな役割を担っているものと思われます。

 ネット上の清津の造船所に関してはこの川南造船所などの、ここの港に関連するものは無いようです・・・魚雷艇を生産する工場が清津にあるようですが・・・それらしきものは・・・ありますね・・・座標・・・

 41°46'48.86" N 129°49'43.17" E ここですね。右の写真のような場所です。屋根の付いた造船所ですかね・・・右の画像は2006年8月30日のものですが・・・なかなか素敵なクルーザーが停泊しています。ここは、魚雷艇だけでなく、レジャーボートも作っているのかもしれません。もしかしたら・・・座標・・・

 39°09'36.95" N 127°26'37.73" E ここの元山の小型艇造船所と関連があるのかもしれません。こちらは、もうちょっと大がかりな感じですが・・・

 清津の方が遥かに小さいですが、ちょっと気になるのは、2艇を建造できる造船スペース、バックヤード、それと管理棟のような建物が気になります。設計もやってるのかね?

 船舶用の試験水槽みたいなものもあったようだし・・・なんだか小型艇に関しして非常に研究基盤が厚いのではないかと・・・気のせいか?何しろ、北朝鮮は小型艇ばかり製造していますからね・・・

 清津には川南造船所とこの小型艇の工場の他に、製鉄所の掘り込み港に併設された船台がありますが・・・90m程のものですが・・・鉄工所施設が・・・製鉄所の付属だからか?車両工場のようなのも製鉄所に付属しているようですから、そちらで加工して、ここで組み立てるのか?

 ちょっと位置付けが分かりませんね・・・あちこち資料を当たると、清津には日本高周波重工業系の日本原鉄株式会社が昭和18年8月に設立されたとか・・・低周波の炉らしいが・・・班竹町に工場が昭和18年12月操業・・・班竹は、咸北線と平羅線の分岐の駅ですから、駅の位置は確認できますが・・・大電力の受電設備を持つ工場が見当たらない・・・しかし・・・この時点での電気加熱炉を使った製鉄所を作るという事は・・・日本には屑鉄すら無い状態ですね。従って高炉は不十分な働きしかできていなかった・・・高度国防国家の建設は困難に至っていたという事になりますかね?

2014.08.10

  

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