現在をうろうろ(363)

 北朝鮮の海岸防衛・・・軍事境界線から北へ・・・清津の街と製鉄所

 清津という街は面白い街です、新旧がごちゃ混ぜという感じですね。特に面白く感じるのは漁港です。古い網元がそのまま残っているような感じですね。多分、船着き場が決まっていてそこに数珠つなぎに小型漁船が連なっているというような気がします。

 残念ながら、この地域の風習に関しての知識が無いので良くわかりませんが・・・なんとなく、舟の繋ぎ方からするとですね。水産加工業者が何社かあって、その船団という位置付けのような感じがします。この場所は、駅の名前からすると漁港でしょうが、ここには浮きドックがありますから・・・どんな役割を持った場所なのか気になります。少なくとも、ここは掘り込み港として古手の場所なのでね。

 清津には2つの飛行場がありました・・・清津飛行場ってので・・・鏡城にあるやつですね。しかし、あれが清津飛行場になるには・・・あれで3つ目という事のようです。

 左の図で漁港の脇の飛行場が砂山飛行場です。こいつが初期の清津飛行場なんですが、ここに国策を絡めて製鉄所が作られる事になります。その代替地としてちょっと内陸に飛行場が作られる事になり、この飛行場は完成を見たようです。

 しかし、造成が終わり移転が始まってから、どうやら地盤沈下が始まったようです。河川敷の低湿地を飛行場に造成したという事のようです。移転は朝鮮総督府の肝煎りで、製鉄会社が資金供与・・・急造して引き渡し、移転途中で不具合、半ば砂山飛行場を利用しつつ・・・射爆演習ができないので・・・現清津飛行場、漁郎空港、オラン空港として知られている空港の海側の3分の1程度を併用する事になるわけです。上の地図の掘り込み港が右上の写真の漁港という事のようです。こいつは前掲ですね・・・国立公文書館 アジア歴史資料センター 清津府西松御町地図・清津附近一般図・清津飛行場・その他 これが製鉄所以前の様子ですね。これによると、新しい清津飛行場はX字型に1000m滑走路と900m滑走路が予定されていたようです。

 さて、海岸の製鉄所に変わった砂山飛行場をチェックしてみましょう。座標は・・・

 41°45'33.31" N 129°46'11.07" E このあたりですね。右のような場所です。漁港の掘り込み港はありますからこの黒っぽい場所が製鉄所であると思われます。現在の施設を推測すると・・・高炉は熱風炉のついたものである事が分かります。こりゃ、八幡製鉄所の高炉と同じような感じですね。

 古い八幡製鉄所の様子を調べてからチェックした方が精度の高い読み取りができそうです・・・近代デジタルライブラリー - 製鉄所写真帖 良い資料がありますね・・・

 報道によれば、この製鉄所の規模は当時の報道によれば・・・銑鉄年70万トン一日処理能力700トン熔鉱炉三基を建設・・・鉄鉱石の一部は品質の関係上南洋の富鉱を輸入し茂山鉄鉱石と混交使用するが初年度は二十四万トンを輸入する・・・熔鉱炉一基(24万トン)は銑鉄用とし残る二基(46トン万トン)を製鋼用とし銑鋼一貫作業を行う・・・茂山より鉱石運搬鉄道は広軌とし原則として国営・・・清津の埠頭設備は日鉄が行う・・・こんな感じですね。

 現在の工場を眺めると、どうやら当初の予定のものが稼働しているようです・・・左の写真で左右の2つの高炉があり、熱風炉+高炉の組みが左に2基、右に1基あります。そうなると写真の下半分が製鋼所という事になりそうですね。そして、右の高炉の銑鉄用であると思われます。

 石炭は船で右の写真の上に積まれています。そして写真右の区画がコークス炉が大小2つあるようで・・・左の区画に蒸留塔がありますから、ベンゾール工場とタール工場がこのあたりにあるのでしょう。コークス乾留によって発生するアンモニアを硫酸に吸収して硫安を製造する硫安工場があるようです。

 なんとなく、ここにあるのは戦前の技術の延長線上にある設備と思われますが・・・情報が色々と交錯していますね・・・

 ただこの製鉄所は満州からの石炭と茂山の鉄鉱石、近在の石灰石で動かす予定でしたから・・・満州の石炭の代わりは?どこからかね?港には大型の貨物船が来ていますが・・・

 ここの工場に関しては大体わかったのでOKですね。ここの製鋼部門が南に拡大されているようです。しかし、この製鉄工場は昔の八幡製鉄所にそっくりですね。どうやら、戦乱の影響はそれほど無かったかのように見えますが・・・ただ、工場は完成したが、茂山の鉄鉱石や利原鉄山の鉄鉱石も八幡製鉄所では使えないものでしたから・・・この工場は、富鉱・瀝青炭用のもので、地元の鉱石・石炭では操業できないものであったという事のようです。満州の石炭と・・・鉄鉱石はどこのもので動いていたんですかね?

 この製鉄所のモデルの八幡製鉄所では筑豊炭田の瀝青炭、輸入屑鉄、釜石の磁鉄鉱は一旦焙焼してから使われる、これでは不足で中国湖北省の大冶鉄山から輸入します・・・1938年10月、日本軍は大冶鉄山を占領し日本製鉄が管理・・・という事は、清津製鉄所もこの鉄鉱石を予定していたのか?八幡製鉄所と同じで、海上輸送の困難により操業は振るわない事になる・・・1942年ごろまでは鉄鉱石の内地送還はOK・・・これ以降は困難・・・困難になりつつある時期に完成した製鉄所が清津製鉄所という事になりますかね・・・70万トン規模であったことは、どうやら間違いないような?しかし・・・

 なんだか産業というものは・・・そのインフラが複雑でなかなか難しい・・・

2014.08.08

  

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