現在をうろうろ(2296)
日本貧窮者経済新聞
 金日成がいっぱいいるって・・・その一人が・・・?

 何か面白いものは無いかね?と毎日眺めていますが・・・【北朝鮮情勢】“初代”金日成は旧陸軍士官学校出身 卒業名簿に本名記載、伝説的抗日運動家、政権が名声利用(1-2ページ) - 産経ニュース ふむ、伝説的英雄の話ですね。私は、あまり人物史をチェックするのは好きじゃないですが・・・まあ、ちょっと眺めてみますか・・・

 「金日成(キム・イルソン)」と名乗り、大正から昭和初期にかけて旧満州(現中国東北部)で抗日独立運動を指導したとされる人物が、日本の旧陸軍士官学校出身であることを示す資料が29日までに発見された。北朝鮮の最高指導者に就いた金日成主席は、いわば「初代金日成」ともいえるこの人物の名前や名声を踏襲して権威付けを図ったとされ、今回の発見は、金政権がよって立つ抗日闘争史の根幹を揺るがすものともいえそうだ。

 はあ?どうもよくわからない・・・何で、抗日闘争史の根幹を揺るがすのやら?歴史と現実との区別をつけるべきだが・・・現実に国は存在する・・・歴史的な評価が変わろうが、別に問題はなさそうですからね。偉大なる安倍晋三閣下の家が金貸しなのか大庄屋なのかそんなことは別に、現実に生きる偉大なる安倍晋三閣下の評価に関して大した影響はない・・・自らが詐称する場合は別ですがね。

 金日成は何人もいるようですからね・・・今回の発見は、その何人かいる金日成の1人ついてのものかね?

 この人物は本名を「金顕忠(ヒョンチュン)」といい、日本の陸士出身との説があったが、確かな証拠はなく、その出自は長く謎とされてきた。

 金顕忠か・・・この人は陸士の出身であることは間違いないですが、問題は金日成との関係がよくわかりませんね。清韓国陸軍学生士官学校へ入校の件 このリストの末尾に乗っていますからね。どうやら、金顕忠は韓国陸軍の軍人であったようですね。これによると、出身地は不詳で、騎兵第一連隊の所属になっています。別に、大騒ぎをすることは無いですね。

 朝鮮総督府からの出向のような感じで、朝鮮総督府から金が出ている・・・したがって、士官学校卒業後は韓国へ戻って韓国での軍務ということになるのでしょう・・・さて、とにかく金顕忠という人物が陸軍士官学校に在籍していたことは間違いないですね。さて、どんな風に、この人物と金日成が結びつくのか?この部分の論証があるのかな?

 いつもの事で、結末を見ずに検証中ですからね・・・これが、面白い・・・
レファレンスコード 標題 階層 所蔵館における請求番号 画像数 種別 作成年月日 作成者 組織歴
C02031411100 朝鮮学生金顕忠に対する手当金増給の件 防衛省防衛研究所 > 陸軍省大日記 > 大日記乙輯 > 大日記乙輯 明治44年 陸軍省-大日記乙輯-M44-8-16(所蔵館:防衛省防衛研究所) 5 明治44年6月〜明治44年7月 軍事課 主務局
C06084800500 清韓国陸軍学生士官学校へ入校の件 防衛省防衛研究所 > 陸軍省大日記 > 弐大日記 > 明治42年乾「貳大日記11月」 陸軍省-貳大日記-M42-11-34(所蔵館:防衛省防衛研究所) 35 明治42年11月29日 軍事課||教育総監子爵 大嶋久直 陸軍省||軍事課||陸軍士官学校
C06084922400 韓国学生金顕忠所要経費に関する件 防衛省防衛研究所 > 陸軍省大日記 > 弐大日記 > 明治43年 乾 「貳大日記 3月」 陸軍省-貳大日記-M43-4-24(所蔵館:防衛省防衛研究所) 15 明治43年1月28日 軍事課||副官 陸軍省||軍事課||副官
これが、アジア歴史資料センター での検索で出てきた資料ですね。歴史研究は資料の収集ができれば楽ちんです。

 一方、第二次大戦後に北朝鮮の首相や主席となった金日成は本名を金成柱(ソンジュ)といい、初代金日成と直接の関係はない。旧ソ連軍が都合のいい人物を指導者にするため、伝説の抗日運動指導者に仕立て上げたとされる。北朝鮮は、金顕忠の抗日活動も、金主席1人が行ったように歴史を書き換えてきた。

 ふむ・・・金顕忠は初代金日成ということであるということかね?金日成 - Wikipedia ここの人物伝しか知らないので・・・ちょっと分からんね。先にチェックした資料は明治42年のものですね・・・1909年

金亨稷の長男として、1912年4月15日、平壌西方にある万景台(マンギョンデ)に生まれた。母の康盤石はキリスト教徒であり、外祖父の康敦Uはキリスト教長老会の牧師であった[4]。抗日派もしくはそのシンパであったためか、金亨稷は1919年3月1日の独立運動(三・一独立運動)の翌年、金日成を連れて南満洲(中国東北部)に移住した。

 生まれていないですね・・・ああ・・・陸軍士官学校・・・陸軍士官学校 - Wikipedia

1909年(明治42年)(韓国隆熙3年)に制定された韓国の勅令「軍部廃止、親衛府新設及之ニ附帯スル件」第3条により、韓国の陸軍武官学校は廃止されることが決まり、韓国陸軍武官の養成は韓国の委託により日本の陸軍士官学校で行われることとなる。

 陸軍武官学校に入校または在籍していたので・・・この陸軍武官学校の廃止で陸軍士官学校へ流れてきたということかね?しかし、年齢が1909年で18歳ぐらいでしょうから・・・20歳の歳の差は・・・とにかく、続きは・・・

 今回、東京都内の陸士関係者の子孫宅から見つかった「陸軍中央幼年学校本科第八期卒業生徒人名表(明治四十二年五月)」の末尾には、「韓国学生 金顕忠 二二、〇〇」と記されている。同じく「明治四十四年五月 陸軍士官学校第二十三期生徒卒業人名」には「騎兵」の最後に、「朝鮮学生 金顕忠」とあった。

 幼年学校からの持ち上がり?韓国の陸軍武官学校の廃止を前提に幼年学校へということか・・・

中学校出身者は、12月に士官候補生一等兵として入隊し、翌年6月に上等兵に昇進する。幼年学校出身者は、中学校出身者が上等兵となるのと同時に上等兵として入隊する。8月に伍長となり、12月に軍曹となる。軍曹に昇任すると同時に、陸軍士官学校に生徒として入校する。

 幼年学校か・・・陸軍幼年学校 - Wikipedia これではよくわからんね・・・国立国会図書館デジタルコレクション - 少年必携最近陸軍 67コマ ここからの流れで士官学校ね・・・概ね了解・・・朝鮮総督府が金を出して送り込んだ人材のようですね。

 当時の陸士の教育システムは約2年課程の中央幼年学校から陸士に進み、2年後に卒業して見習士官となり、数カ月後に少尉に任官するというもの。金顕忠は22歳ちょうどで中央幼年学校を卒業し、2年後に陸士の騎兵科を卒業したことが資料から読みとれる。

 22歳で幼年学校か・・・1909-22=1887年生まれか?となると、金日成と25歳も歳の差がある・・・

 資料には、陸士23期の故大野宣明氏が昭和38年に「複写」したとあり、原本からの複写とみられ、信頼度が高いと考えられる。陸士23期の全生徒名が記載され、配属先も書かれているが、金顕忠については配属先が記されていない。

 配属先が無いのは・・・多分、韓国へ戻っているからでしょうね。しかし、この士官学校への金は韓国親衛府からのものですから、この人物の身元は確実なような気がしますが・・・ああ、馬鹿だね、チェックしていなかった・・・金ギョン天 - Wikipedia はいはい、確実な身元の人間ですね・・・つまり、この時代の・・・

日本留学
1909年(明治42年)、東京に留学し、陸軍士官学校第23期生となる。当時、士官学校に留学していた韓国人はフ天一人だったが、陸軍幼年学校には、洪思翊や池青天など複数の留学生がいた。翌1910年の日韓併合に際しては、全員が衝撃を受け、脱走抗日を口にする者も多かった。フ天は洪思翊とともに、「吸収するべきものを吸収して時期をみよう」と自重を促したという。
1911年の5月、士官学校を卒業し、同年に任官。陸軍騎兵学校に進む前後に妻を呼びよせたものとみえ、二人がもうけた二男四女のうち、上の二人の娘は千葉で生まれている。
1919年(大正8年)、フ天は騎兵第一連隊所属の日本陸軍中尉として東京にいて、李光洙など留日朝鮮人学生たちの二・八独立宣言に接する。ただちに休暇をとり、妻子を伴って京城に帰った。


 とりあえず、中央幼年学校へ編入・・・ここから、陸士へなのかね?

 金顕忠は当時、大韓帝国となっていた朝鮮から日本の中央幼年学校に留学し、そのまま陸士に進んだ。だが、在学中の明治43(1910)年に韓国が日本に併合されたことから、卒業後しばらくして朝鮮に帰り、抗日運動に身を投じるようになったと推測される。

 なんだかね?密第102号 其688 不逞鮮人之の行動 ここに出てきますね・・・これではちょっと不明ですが・・・そこそこ足取りが分かっている人物のようですね。

 抗日運動では、「金光瑞(グァンソ)」あるいは「金●(=敬の下に手)天(ギョンチョン)」と名乗ったといわれる。金日成は馬にまたがって抗日運動を指導するイメージがもたれているが、金顕忠は騎兵の出身で、乗馬は得意だった。

 その後、金顕忠がどうなったかは不明で、一部にはソ連で処刑されたとの説もあるが、研究家の間では、金主席を含め、数人の「キム・イルソン」と名乗る人物が抗日運動を引き継いだとみられている。


 ああ・・・なんだか変なの?今回の発見は、金政権がよって立つ抗日闘争史の根幹を揺るがすもの・・・これに釣られて読み進みましたが・・・既知の事に近いですね・・・中央幼年学校を卒業している・・・か・・・なんとなくわかりましたがね。問題は・・・この人物の事績を、後の金日成が騙っているかどうかのような気がしますが・・・この人物が存在したことは間違いないが・・・まあ、日本で教育を受けて、抗日運動に走った人間は随分いるようですから・・・それに、偉大なる安倍晋三閣下の家柄もなんだか・・・どうでもよい話ですね。一応、あとで手持ちの陸軍士官学校の名簿の載った本でもチェックしておきますか・・・

 抗日運動の史料でも集めたくなるけど・・・実益につながる野菜いじりにでも行って来ましょう・・・

2016.10.30

  

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