現在をうろうろ(2202)
日本貧窮者経済新聞
 大都市が地方を救うのか・・・?(3)

 さて、「君の名は。」 大都市が地方を救うという構図に「傲慢な思い上がり」 - ライブドアニュース の続きですね・・どうも、難しいね。私のような単純な頭には・・・

『君の名は。』は、たしかに感動的な物語である。

しかしその感動が、2010年代にメディアや政治的ドラマのなかでくりかえされてきた大都市が地方を救うという「語り」のレールを走っていることを忘れてはならない。

その「語り」は、地方を「救う」べき対象として都合良く立ち上げるとともに、カネや情報の大量投下を招くことで、地方を東京に従属させる現実の構図をますます強めてきた。

『君の名は。』に対する感動は、大都市優位のそうした構図を疑わない、一種の傲慢な思い上がりとおそらく結びついているのである。


 仕方ないのでは?日本の驚異的な戦後の復興は・・・地方の富を吸い上げて成し遂げられたと私は思っていますからね。海岸の大都市だけが豊かさを享受・・・地方は人的資源の供出・・・人が動けば富も動きますから・・・1980年代の前半には地方の富が枯渇・・・鉱山・農業は稼げなくなっていきますね。円高に伴う輸入品の低廉化の影響ですかね。資源も海外に依存し、市場も海外ですから・・・地方が豊かになるわけがない・・・海岸の大都市から地方へ流れるのは、高価な製品で、安価な資源は流れない・・・鉄道貨物も事実上の終焉を迎えるしね。

 地方から出て、東京で暮らしていて、時々戻るとそれだけで尊敬が得られるような感じですからね・・・なんで、偉大なる安倍晋三閣下は山口県第四区の夢や希望を担って国会へ?理解不能・・・東京には田舎者が都会人の振りをして暮らしている・・・私は、東京の土着の田舎者でしたけど・・・千駄ヶ谷辺りの土着の人間はどのくらいいるのやら?3代以上の・・・ふとね。

 偉大なる安倍晋三閣下を考えると、山口県第四区の田舎者を引きずって都会から地方を救う振りをしているだけじゃん・・・これこそ、都市型田舎住民の傲慢じゃん・・・地方を代表しているという騙り・・・

■「誰か」を探す歴史
ただし上から目線だけで、「救い」は実行されるわけではない。地方が「救われる」のは、自分を承認する何かに出会う機会として、むしろ切実に望まれているからではないか。


 偉大なる安倍晋三閣下など、事実上故郷を捨てて、名は安倍だが実質は岸家の人間かのように振る舞い、都会人の振りをしているただの田舎者じゃん。こんなのに地方が「救われる」わけは無い、単に地方を食い物にしているだけじゃん・・・地方が「救われる」ためには、あんな地域から逃げ出した・・・脱北者のような者ではなく、真に地域に根差して、そこから出た救世主でなければならないと思うのだが・・・自分の地であり、自分の父祖の地を強く認識する何かに出会う機会が、あんな都会暮らしで腑抜けになったやつじゃなくて、そういった何かに出会う機会が、むしろ切実に望まれているからだね。

この意味で、「地方創生」ブームや「絆」ブームには、誰かを「救う」ことで自分の存在意義を確認しようとする、東京を中心とした大都市の人々の不安をみるべきなのかもしれない。それを確認する上で、少し衒学的になるが、『君の名は。』のサブ・カルチャー的位置を簡単にみておこう。

 まあ、都会の大学へ行きたがるのは・・・事実上、自分の郷里から出るための口実ですからね・・・都会にあこがれ、都会に来るための・・・したがって、偉大なる安倍晋三閣下の言うような「地方創生」は単に、食い物としての地方創生に過ぎない・・・だって、奴は戻る気は無いですが、都会からの上から目線でも票が集まるという、日本の特殊性を見事に食い物にしているわけですからね・・・郷里を捨てて東京へ・・・しかし、絆はある振りを・・・田舎にも無住の立派な屋敷が増えていくのでしょう・・・

藤本由香里はその著書『私の居場所はどこにあるの?』のなかで、戦後の少女漫画は、「居場所」をみつけることを主要なテーマとしてきたという。

居場所とは、自分がいても良いことを承認してくれる「誰か」がいる場所のことを意味しよう。「誰か」は、家族から友人、そして異性へと変わっていくが、その「誰か」に受け入れられる物語を読むことで、少女たち(と少女漫画を読む他の人びと)はうまくいかない家族生活や学校生活をやり過ごしてきたのである。

 そうなのか・・・?どうも、少女漫画など読んでこなかったような女の子ばかりと付き合ってきた気がしますね。どうも、居場所を求めるより・・・居場所があって、私など拾ってきた犬猫のように親に紹介されてきた気がしますね。ちょっと来なさい!何・・・はあ?挨拶・・・まいったね。次男は犬猫のように女に拾われる方が幸せなのかもしれないと、近頃思います。おとなしく拾われていれば、今ごろ、普通の人生を歩んでいたかもしれないし・・・

それをひとつには前提としながら、90年代後半には、今度は主に男性向けのマンガやアニメで、出会いと承認をモチーフにした作品が流行り始める。

後にセカイ系と呼ばれていく『エヴァンゲリオン』(1995-)や『イリヤの空、UFOの夏』(2001-2003)を代表に、主人公たちが特別の異性に受け入れられることが大切なテーマとなっていく。

 エヴァンゲリオンは知っていますが、イリヤの空、UFOの夏は知らないね・・・アニメは6回で完結か・・・あわててみるか。セカイ系 - Wikipedia セカイ系ねえ・・・?

ただし異なるのは、セカイ系では出会いそれ自身は、充分に意味あるものとされていないことである。男女の出会いは、なぜかセカイの破局を救う特別の意味を担うとされることで、あくまで重要なものとみなされる。

そうして男女の出会いが個人だけではなくセカイの運命を左右する、「公私」が重ね合わされた「神話」的な物語を、90年代後半以降、マンガやアニメはくりかえし語ってきた。

新海誠はそのセカイ系のブームなかで育ち、生き残った作家といえる。出世作『ほしのこえ』(2002)は、地球を救うために戦う少女と、その少女との感情的つながりを時空を超えて信じる少年の姿を描くことで、今思えば、セカイ系をわずか25分のなかに煮詰めた作品としてあった。

また後の『雲のむこう、約束の場所』(2004)や『秒速5センチメートル』(2007)でも、出会いをセカイの命運と同じくらいの重さで信じる男女が登場する。

求められるのは、男女の互いの承認だが、離れ離れの「時間」や「空間」がそれを妨げ、個人やセカイの運命を左右する。そうした障害を乗り越えようとする(がなかなかうまくいかない)「遠距離恋愛」を描くことに、新海誠は執着してきたのである。


 ああ、それでね・・・絵はきれいだが、いま一つ受けないということね・・・ワンパターン・・・Voices of a Distant Star こいつ馬鹿じゃないかね?・・・ちゃんとSFを読まないとダメじゃん・・・なんでメールが来てから返信するかね?送り続けて、返事が来たらその返事も送ればよい・・・おばちゃんの会話を研究しないとダメじゃん・・・昔のSFでそういったのがあったね。話したいことを話し続け、その合間に返事を入れる・・・高速コミュニケーション・・・まあ、話題が無いのかね?

 しかし・・・この原始的なテクノロジーは何かね?一人でも大人になることって何?待つのは嫌だ・・・新しい女でもつくりゃいいじゃん・・・ワープができてなんで電波なのかね?情報の遅れが大きければ意味ないじゃん・・・情報連絡船を往復させて空間を超えて送信でもしなきゃダメじゃん・・・まあ、制約を利用しているわけだが・・・このアニメは女の子には受けないね・・・それに25分じゃ・・・

 というより、この2人友達はいないのかね?なんで、ここまで二人の世界なのかね?神人関係みたいだね・・・母親と男の子・・・聖母マリアとイエス・・・父なる神ではないか・・・やはり、日本は女系なのかね?この世は女で回るのか?わりと仲の良かった女の子だった・・・なんで、メールを待つかね。馬鹿みたいな話だ・・・しかし、この作品は・・・セカイ系では出会いそれ自身は、充分に意味あるものとされていないことである。男女の出会いは、なぜかセカイの破局を救う特別の意味を担うとされることで、あくまで重要なものとみなされる・・・さみしさを解消する手段は?どこまで行くのやら・・・私はここにいるよ・・・神人関係だな。臨在を感じていればOKか・・・信じたいのね。

2016.10.02

  

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