現在をうろうろ(4)
 エネルギーー飢饉が近づいている?

 今後の日本社会では、エネルギー消費の自然減や省エネが進む・・・こんなことを主張されると私はがっかりします・・・そりゃエネルギー消費は減ります。何しろ夢の無い時代ですから、自然と人口が減りますから、一人減ると一人分の必要とされるエネルギー消費が減ります。そして、エネルギーは高価なもので、それで夢が買えないとなれば・・・自然に省エネが進みます。私はそんな風に考えてしまいますね。確かに、海岸で100%太陽光発電に依存して生活することはできていますが・・・冷蔵庫の無い暮らし、PCを使うときは電気を消して、蝋燭やランプの明かりで優雅に・・・そういった事も可能ですが・・・大量のエネルギーを使って我が国は加工貿易を行って成長してきました。これは、現在も同じですね・・・徐々に工場がより安価な労働力・エネルギーが得られる場所へと移転しているようですが、それでも何とか本社や主力工場を国内に置いていますが・・・金を積んでもエネルギーが買えなくなるという、エネルギー飢饉はどうやら近くまでやってきているようです。

 エネルギー飢饉になれば、当然なこと不急産業への電力供給など止められてしまいます。商店は在庫管理が厄介になるし・・・乾物屋や米屋・・・一般品を扱っている酒店、豆腐屋とか以外は営業が困難になり、スーパーは自家発電にするとかしないと、冷凍食品やチルド商品は扱えなくなることになるでしょう。

 エネルギー飢饉になれば・・・安定した冷蔵庫の運用は不可・・・これだけで、50年前の生活に戻れるという素敵なチャンスを得られるというわけです。夏は薄着をして、水をかぶって日陰で昼寝・・・都市部からは逃げるしかないでしょう・・・水の供給も不安定、窓の無いトイレに流せないものが・・・窓を開けても、どこにぶつかりぶつかりやってきた熱い風がのろのろと体を焼き、出ない水を求めて、給水車やわずかに供給される水を求めてさまようことになるのでしょう。

 こんな状況になったら・・・

 日本を動かしているエネルギーの98%は輸入品であることを忘れているのかね?なんって思うわけです。確かに、こんな状況になればエネルギー消費は極限まで減るでしょう。産業は動かず、物流も必要最小限・・・冷房だって?それは夢・幻の世界ですね。

 ハリイ・ハリスンの小説 Soylent Green とその映画化された物など見るとね・・・貧乏は嫌いだ!物資の無い世界は嫌だ!って思いますね。豊かな生活を人は望むはずなんですが・・・近頃は自分を罰するが如く、省資源・省エネを叫ぶ人が多くなってような気がします。私は大量消費賛成派なんですが・・・残念ながら、それは財布が許してくれません・・・日々省資源・省エネを叫び、無駄なものをカットさせようとします。仕方がないから、その制約の中で最大限の贅沢をすることになります・・・麦飯を炊く時に少量の油と少量の片栗粉を添加することで、さらにほんのりと感じられない程度の塩を添加し・・・時には、感じられない程度の化学調味料で誤魔化すとか・・・様々な手を使って豊かさを演出します。近頃よいのは、対外的には健康志向になったんだ!麦飯は良いぞ・・・体が軽くなる・・・食べてないだけですけど・・・健康志向の旗印のもとに、貧困な生活を送っています。

 冷たい麦飯・・・電子レンジで温めたいですが、残念ながら電気代は高価ですから・・・冷たい汁をかけて、冷汁はさすがに旨いとかやるのも風流さを演出できるので良いのかもしれません。

 しかし、それは心から望んでやっているのとはちょっと違いますね。自ら選択の幅を狭めて・・・牛肉が食べたいが・・・今日はヒンズー教徒、豚肉も旨そう・・・イスラム教徒だから・・・と毎日宗旨が変わって我慢しているわけです。環境論者になって断食するか・・・包丁で切り裂かれる大根の悲鳴が聞こえる・・・菜っ葉が塩を怖がって叫んでる・・・鶏肉に鳥の霊が浮かんでいる・・・すべて生き物は平等に命があり、人に食われることに恨みを抱いて叫んでるとか・・・生き物を殺すな、生き物の命を奪うなと・・・こんなものが聞こえたり見えたりしたら最悪・・・それでも生きるためには食べなければならない、それが仲間を原料とするソイレント・グリーンであっても・・・

 毎日、地球上では何千何万のかわいい牛や羊やヤギや鶏や豚ちゃんとか兎ちゃんとか・・・虐殺されている・・・近頃南氷洋のクジラが日本の捕鯨船団の毒牙から脱する事ができたようです。牛や豚や鶏に生存権が認められるのはいつの事でしょうか?クジラもたまには食べたいですね。どうしても食べたいというわけではないですが・・・食卓をにぎわすものの1つとして・・・ウサギのシチューも食べたいが・・・ウサギが売ってないし・・・売ってても財布が脱兎の如く逃げるんで口にはいる事は先ずないし・・・牛・豚・鶏ばかりで食傷気味ですが・・・近頃は食卓に登ることが少なくなってしまいました。

 結局のところ・・・豊かな人間の我がままの部分が近頃増幅されているような気がするのです・・・飢餓は・・・嫌です。エネルギー飢饉も嫌です。金があっても買えないなんって最悪・・・自ら放棄したい人は、自分の家の電気の元のブレーカーを落として反対運動しろ!と言いたいですね。それが何を意味するか理解した上で反対しろよと・・・我慢が好きな人は自らの意思で我慢してくれよ・・・私には電力と、そのために支払う金が必要なんだよ・・・基本的には市場原理ですから、みんなが電気の使用に反対して、電気を使わないのであれば電気など無用のものになり・・・原子力を筆頭に、化石燃料は使われなくなり、メンテナンスの安いが機材の高い太陽光発電で済ませることができるという事ですが・・・電気を必要としない人ってどんな人なのかね?と逆に考えてしまいます・・・恩恵を受けつつそれに反対するなんって、都合のよい事は私にはできませんね。そりゃ、みんなのためには何が良いかという縛りで検討することはしますが・・・反対を目的とした反対なんって私にはできませんね。

 先ずは、あるものを活用して豊かに暮らす事これが優先では?豊かになれば、そこで考えればよい事です。衣食足りて礼節を知る・・・足りない人間に礼節など説く事はできないのです・・・貧乏人に対して、金持ちの不徳と、天国の門は金持ちに対しては狭き門だとか説いてもそれは受けない・・・オリンピックに向けてエネルギー需要は拡大して行くでしょう・・・国家の威信をかけて、首都圏に電力を集中して、辺境を切り捨ててでも安定供給を目指すでしょう・・・そのために、無駄になるかしれない600万kWの火力発電所を作ることにしたり・・・でも、原発が動きそうな気配も出てきたり・・・日和見的な政治が混乱を拡大している・・・としか思えませんけどね。

 私は無駄の排除、節約は大好きです・・・でも、飢饉は嫌いで、その渦中で飢餓なんって嫌なだけなんです。豊かな中でつつましく、私の財布に致命的な打撃の無い範囲で暮らしたいのです・・・飢饉の中で暮らしたくないのです・・・

2014.04.13

  

関係ないが、興味深いもの













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