鹿行をうろうろ 004

なんとなく、明石の浜へと出向きました。ちょっと調べものをしたら、鹿島神宮の東一の鳥居なるものが明石の浜にあるとのこと・・・

(2009.02.12)


日本の風景は、電柱がなければ、ずっと美しくなるのでは?なんって、ふと思ってしまいます。鹿島神宮東一の鳥居の近くからの眺めです。すらっとした美しい灯台ですが・・・

元の写真はこんな感じでした。近いうちに、鹿嶋灯台がかっこよく見える場所を探さねば・・・

排水管の工事をしています・・・これが、東一の鳥居、近くの碑文によれば、昭和7年に鹿島神宮東門一の鳥居として再建・・・とのこと

今の鳥居は、もう少し新しいもののようです・・・昭和7年の鳥居の土台らしきものが近くにありました。海岸の貝の混じった砂で作られたコンクリートです。

海岸にこんな感じで立っています。この鳥居の存在理由は何なんでしょうか?たけみかづちの大神が上陸した場所が明石浜だとのことですが・・・明石交差点の脇の息栖神社からのレイラインとしても、この鳥居は息栖神社から見て、真東から北へ15度程度の位置ですから・・・

鳥居から道を眺めて考えます・・・海から息栖神社への直線の参道のような感じです。

これが、息栖神社です。神栖の息栖神社との関係は?ちょっと気になります。ここから、日の出が鳥居の位置から出るのはいつごろでしょうか?たぶん4月半ば過ぎと9月ごろでは?きちんと計算しないとわかりませんが・・・息栖神社は久那戸神を祭るとか?古い本にはありますが・・・

ずいぶんと赤い社です。

となりは十三仏堂です。地獄の十王がらみのものです。地獄の十王の審理があって、その末にどこに行くか・・・鎌倉時代に地獄の十王を本地の十仏とつなげ、江戸時代に十三仏信仰の形で大成されたやつですから・・・

気になるのは、レイラインですね。まあ、こういった見える範囲のラインは意味を持ちますが、見えない所との関係は・・・昔の測量技術では無理でしょう。神社の位置なども結構変わりますからね。意味を見出そうとしても、意味がないかも。
ちょっと、古代の測量技術にも興味がわいてきました。しかし、東西南北をきっちり出すだけだって、結構面倒ですね。北極星を使うのも悪くないですが、どんな具合に実施するか?古墳を作るための測地、班田収受のための測地、平城京の造営のための測量技術・・・伝わるのは行基図なんって奴ですが、あのなんとなくの日本地図ではね。実際の距離というより、到達にどれくらいの時間がかかるか?それによって作られた地図でしょうからね。
たぶん、中国の技術導入でしょうから・・・九章算術だな。最終章の勾股、つまりピタゴラスの定理あたりをチェックしてやれば、基本的な測量技術が見えてくるのかもしれません。
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