香取神宮をうろうろ(118)
 香取志 (52) 神事に関して、又見祭祀・・・

 さて、何か面白い食べ物って毎日考えていますが、玄米を2kg買い込んじゃったのでしばらくはこいつを食べるしかない・・・香取神宮風の湯取で玄米を炊くと・・・右のような感じですね。普段は似たような方法でタイ米を湯取で調理しています。つまみ食いしながらですから、失敗はありませんね。

 香取神宮の炊き方では、笊に入れたものを茹でて、茹であがったら笊ごと上げて水を掛けていますが・・・水を掛けると、この量では温度低下が大きすぎますね。それに玄米は、おねばがほとんど出ませんから・・・なんとなく、白米を湯取で炊いているのかと?それとも、量が多いので手で解す時に温度が高すぎるからなのか?さすがに何斗も炊いて実験するわけにはいきませんからこんなものですね。

 結果は・・・左の写真のように美味しそうに仕上がりました。

 先ずは、塩を振って食べてみると・・・まあ、塩は合いますね。美味いものです。次に、胡麻塩・・・これもOK、塩昆布やら、紫蘇の塩漬けなどなど・・・旧式なふりかけ系の物で食べてみました。基本的には塩味に良く合います。

 残念ながら鮭が無くてね・・・鮭のフレークとかあれば、それなりに香取神宮の神饌の雰囲気が出たかもしれないのですが・・・まあ、湯取は簡単です・・・ただ、この玄米は腹もちが良くて・・・なかなか腹が減らない・・・それが問題かね?玄米もちょっと気に入ったので、常備しますかね?・・・普通の米ともち米とタイ米と・・・今度は玄米か・・・物の種類が増えると管理が面倒だが・・・小型の精米機でも買うか・・・でも、玄米ベースにすると、玄米ばかり食べて精米しなくなると思いますね。何しろ、横着者ですから・・・ああ、米は3種類の常備だな・・・タイ米を止めるか・・・それでも良いかも?近頃高いから・・・何しろ、貧乏ですから・・・でも、粗食は嫌だね!そうだ・・・魚の塩漬けが2種類ほどあるんだった・・・自家製の怪しげなアンチョビとか、ニシンの塩漬け・・・そう言ったものにも合わせてみると良いかも?何か、乳酸発酵系の漬物でもするかね?段々原始に近くなるのか・・・まあ、食いものに関しては素材の扱いは色々と知っていますから・・・豊かなのかもしれない・・・しかし・・・玄米2kg900円弱は高いよ・・・

 さて、香取志 30コマ 続きと行きましょう・・・

又見祭祀
同夜あり、神宮の神事が終わって、それから又見社へ行って祭祀がある。この夜、酒食魚鳥の他に銭を供え奉る、これを御机銭と云う。また米を供える時は御机米と云う。神宮にもこの事がある。いま考えるに、神代紀の保食神の條に、また大山祇神の條などに百机に備え貯ありと云う事がある。古事記の雄略天皇の巻にもある。そうであるなら、神に物を奉り、また最も尊き人などにも物を奉るには机に乗せて奉ることが神代から伝わっている古事つであると思われる。神宮にも元三、相撲。大饗の大神事には、魚鳥を多く机に備え貯えて奉る事がある。昔は米銭も机に備えて奉ったから、このいわれを追っているのであろう。今ははっきりとは分からない。


 又見神社の祭礼ですね。又見神社は近いので100人ほどがぞろぞろ出かけても30分程度でしょうかね?正月2日ですから間違いなく暗夜ですから、皆さん詰めて歩くと思われますから・・・酒食魚鳥の他に銭か・・・そりゃ銭に変えるよね・・・だって、食べたばかりだから・・・食べ物は下配されてるし・・・行事を1日の中に詰め込めば直会などは何度もやらずに済むが、儀式の祭料はきちんと取らないと示しがつかないということなのだと思われますが・・・妄想的な解釈ですがね。詳細が不明ですから、香取宮年中祭典記を眺めると・・・

 又見神社の祭神は:天苗加命、武沼井命、天押雲命で、經津主の御子神なので若宮神社とも言うようです。この祭祀では又見神社の祭祀担当は宮之介で、毎年の担当のようです。そして、これがあるために、宮之介は元三の祭当にならないようです。この祭礼での机米は金丸枡の大の方で3升・・・今の枡で9升9合に相当する米を大禰宜家に、事前に差し出す事になっているようです。酒の瓶子を1瓶、大禰宜家の代官の分飯司に差し出すとありますから、分飯司は大禰宜家の代官なのでしょう。外に酒は田所に1瓶、定使に1瓶のとあります。定使は神夫ですね。御供は黒米1升5合ほど炊く、御餅飯60程、御焼魚・・・魚偏に戈・・・イカだよね?2尾、御肴大根1本、御鱠大根1本、御神酒、御内陣に1升5合ほど、土器3本150枚、編折敷200枚、箸150前、御机銭500文、覆面紙1状、薦2枚、篝焚木等用意する。又見神社の鑰は古くは大宮司の璽社に納めていたようですが、幕末・維新のころは違うようです。祭祀では鑰は定使神夫が持って、大神主が受け取って鑰をチェックするようです。その際に掲げる提灯のようなものがあるようです。準備する物からすると直会に出るのは150人ですかね。

 祭当って・・・祭祀のための準備をする神職のようですが・・・なんだか、ずいぶんと物入りなのでは?この行事でどれだけ持ち出しになるのかね?明細がありますから検討の余地があります・・・

御内陣御備物
一の御祭器に玄米御供ならびに御餅飯20焼き魚イカ1尾、二の祭器に玄米御供ならびに御餅飯10御肴大根1本、三の御祭器に玄米御供19御焼魚1尾、雷公に御供、御餅飯2、瓶子1箇宮之助、瓶子1個元三祭当より出す。
庭上
御幣棚 御鱠3膳・御肴大根1膳を備え、大神主祝詞
御机銭 500文宮之介、100文源太祝、400文定使神夫、100文長吉寺、編折敷に載せて備える。
次に奉幣、十八奉行・・・

 どうやら食べ物は無しのようで、直ぐに内陣供物の酒を頂戴して終わりのようです。外の供物はどうなるのかちょっと気になります。そして御机銭の配分が書かれています。大宮司は大机3膳、小机5膳・・・大机は1升4文に当たるのか?当時は12文・・・1膳4文って事かね?、小机は1膳1文・・・物申には3升5合で17文?計算が合わない・・・1升は5文弱の計算になってる・・・まさか、1升5文で、分配金のレートは例の金丸枡の大のレートで計算かね?何だろう?・・・もしかして、金丸枡って、手数料の計算にも使われているのか?集める時は大で、配るときには小で・・・その差額分が主宰者の取り分とか?神宮の行事での払い出しの時は小であることは確認していますし、納入の際は大であることも確認しましたから・・・律令で何か定めがあるのか?北朝鮮憲法にはそれに近い規定がありましたっけ・・・分からん・・・規則性があるようで無い・・・大机・小机・半机などの用語があるが不明・・・大机4文、小机1文、半机は2文、単位が色々あってなんだか不明・・・

 机米を量る単位には金丸枡が使われ、それに大小があるが、大机4文、半机2文はOK、で小机1文とは如何に?雰囲気は1分・2分・1朱かね?なんとなく銀貨を思い起こさせるような数え方・・・こういった数え方の伝統はどこに発するのやら?金貨に関しては一般に甲州金の鋳造についてこの単位系が使われていて、それを江戸幕府が引き継いだ事になっていますが・・・1両=4分=16朱ってやつですね。漢代や唐代の物とは違うから律令期のものではなさそう・・・永楽1貫とか書かれているから永楽銭の時代?15世紀か・・・室町時代・・・ふむ・・・どうも複雑で分からない・・・真面目にチェックすれば基礎となるものが見えるかもしれないですが・・・論文を書くわけでもないから、ちょっと気にしてだけとしましょう・・・まだ気にかかることがありますから・・・

 さて、机に対する概念が・・・ちょっと気になります。机に乗せて奉る・・・机を使うことに違和感を覚えているのか?御机下とかの概念ですかね?まあ、御侍史とか・・・秘書官あてに出したり、机に提出したりとか、そんな系統のものですね・・・職業柄「御机下」で手紙をもらう時がありましたが・・・玉机下てのもあったな・・・普通は玉案下だよな・・・まあ、使いますが・・・微妙・・・多分、執務机の概念が無いのでしょう。神・仏様系のもので執務机があるというと・・・

 左の図だと罪人が小さくて・・・どうも、書類を差し出すような雰囲気ではないですね。ちゃぶ台とか、座卓とかは・・・卓袱台が普及するのは第一世界大戦以降だし・・・中国の卓の仲間で、西洋料理とともに日本の家に入ってきた代物のようですし・・・座卓も経机とかの系譜のものでしょう・・・

 食事は基本的に膳が使われますから机の概念は希薄であると言えますね。食卓の概念すら希薄・・・書院造では机は書院窓の所に造りつけになっていて、いつの間にか・・・書などを読まないので、床の間に化けて行きます・・・どうも、文机・経机とかが細々と使われているくらいなんでしょうかね?

 日本の食文化・・・庶民は、卓袱台が普及するまでは床に食器を並べていたのかね?箱膳とか気の利いた物は・・・禅宗の坊主用でしょうから・・・鎌倉時代以降、庶民にへはやはり江戸中期かね?銘々の膳ってのは・・・食料が乏しい中での階級意識の現れですかね?階級ごとに仕様が決まっていて、それが規定通り盛りつけられて着座・・・一人分が決まっているから文句はつけられない、食品の融通を禁ずるには・・・喋るな!かね?大正期に家庭での会話が重視される中で、銘々膳から卓袱台への移行・・・日本の食事の伝統は何を基準にしたらよいのだろうか?

 そう言えば、月山のぬま小屋ってのも古そうな様式ですね。あれなどは床に笹の葉とか詰め込んであって、その上に小さなお盆のようなものを置いて食事を出していたようです。確かに、ふかふかの布団の上に茶碗や丼等を置く事は無理ですから、そういった工夫が必要になりますね。ふむ・・・折敷じゃん・・・折敷ってふかふかの場所で器物を安定させて置くための道具なんじゃないかね?まさか、焼け落ちたと思われる竪穴式住居址で、土器が散乱しているように見えるのは炉から離れた場所には草が積まれ、その中に寝転んでいて、食器は折敷の上に置かれている・・・床で土が露出しているのは炉前の部分だけとか?だから、この部分だけが踏み締められている・・・火事になると、棚から落ちたものかのように散乱するかね?そう言えば、底の抜けた土器とかも悪くないね・・・ネズミなどは地面の表面近くを掘ることはできるから・・・底の抜けた土器を埋めて、その中を掘ると、大きなネズミの掘り抜けられない蓋つきの穴倉を作れるとか・・・多分、竈近くの半ば地中に埋められた土器なんかはネズミ対策の施されたストッカーであると思えばOKなんでしょうね。・・・折敷だった・・・多分、乾草の上で生活していた人々にとっては、折敷をテーブル代わりに使っていて・・・基本は個々で管理・・・やがて、膳へと・・・野外では、丸めて持ち歩ける編折敷が使われるってのは?

 まあ、竪穴式住居ってのは随分と後代になっても使われていますから・・・室町時代あたりまでですから・・・その利用形態もある程度分かるのかね?ちょっと気になります。まあ・・・仮設小屋ですが・・・月山のぬま小屋は竪穴式住居の最後の形態ではないかと・・・この前月山に行った時、もっと史料を集めてくるんだった・・・人間の工夫というのは大体同じようなものですから、類推のネタになるはずなんでね。さて、続きは・・・

亀卜
三日の夜、西御占・東御占というのが両所で行われる。西御占は御竈社で行われ、大宮司を始めとして神官多く出て大神主が亀の甲を灼き、物申祝がこの年の豊凶その他種々の吉凶を断ずる。東御占は大禰宜邸内にある裂々殿で行われる。大禰宜を始めとしてその他神主が出る。四郎神主が亀の甲を灼き、権禰宜が同じく吉凶を断ずる。この亀卜は天児屋命から始まって、後世に伝わったものである。内裏に軒廊御卜がある。すなわち亀卜である。職員令義解に云う、卜灼亀也、兆者灼亀縦横之文也云々、凡そ亀を灼き吉凶を占うのは是卜部の執業である。なお続日本紀、延喜式、江家次第記、神祇令などにも見られる。吾が神宮毎年正月三日の夜に恒例の亀卜がある、この夜、大宮司・大禰宜惣神官より矢を供え奉る。明四日の夜の矢的神事の料である。これを矢揃と云う。


 さて、亀卜ね。亀の甲をあぶると割れて、その割れを兆しとして読みとる技ですが・・・亀卜か・・・近代デジタルライブラリー - 古事類苑. 神祇部14 40コマ 亀卜・・・亀卜は中華帝国から入ってきたような事が書かれていますね。日本での古来の占いを補う形で導入されたような?ふむ・・・亀卜は日本古来のものと思っていた・・・ざっと眺めましたが・・・軒廊御占って・・・近代デジタルライブラリー - 古事類苑. 方技部3 93コマ 軒廊御卜・・・ふむ、亀卜が奈良時代の導入だと、天児屋命の時代が・・・まあ、後世に補助的に流行の亀卜を導入したら、そのうち亀卜が主流になったとか?色々な流儀があるようで・・・ウミガメの甲羅か・・・これって、腹の甲のようですが・・・カメの甲羅か・・・皮膚の表面についている鱗が変化したものが鼈甲になったりする奴でこれはタンパク質ですね。美しいのはタイマイのもので・・・だから鼈甲細工は熱を加えることで柔らかくなり、貼り合わせたり曲げたりできるわけですね。占いに使うのは、骨格の方の甲羅ですから・・・成分はカルシウムとなりますね。そうすると、亀卜で使われるものは、カメの腹の部分の骨格、胸骨やろっ骨が繋がって板状になった部分を平らに研ぎだしたものであるとなるわけですね。

 まったく、カメの甲羅は面倒だね・・・カメの甲羅は何ですか?と質問されると、表面は皮膚が変化した鱗で覆われていてそれなりに堅くて、さらにその下には骨格が変化した甲羅の2重構造だって説明しなきゃいけないですからね。カメはセキツイ動物なので内骨格、ただ、甲羅の部分では骨格の外側には筋肉はなく、皮膚で覆われている。しかも、皮膚が変化した鱗で覆われているから・・・外骨格のように見えるなんって説明しないといけないわけで・・・とにかく、骨を焼くわけです。すると、熱で割れやすく加工した部分がひび割れて兆しを示してくれて・・・こいつを読み解いてやればOKという事になります。時々海岸にウミガメの死体が漂着しますから、骨でも拾ってきて、加工して占いでもしてみますかね?

 とにかく、こういった亀卜を、大宮司と大禰宜が場所を変えて同じ時に行うという事のようです。残念ながら大宮司の行う御竈社の所在は不明です。楼門前の馬場の東の端のようですがね。多分、小字で「いかづち」って所ではないかと・・・位置としては社務所の建物の南東の角、弓道場の北の辺りではないかと・・・維新前年中祭典式稿では、竈神社社前を払い、薦を敷き坐を設け燎を置く。戌の剋、大宮司以下24員坐に着く・・・大宮司方の神官のリストが続きます。大宮司・宮之助・物申祝・国行事・大祝・総検校・権之助・行事禰宜・録司代・田所・案主・高倉目代・権検非違使・西代官・東代官・大神主・六郎神主・小井戸神主・大長手・禰宜祝・角案主・木守判官・鍛冶検杖・田令で、これら以外に薦長神夫・定使神夫だそうです。神饌の巻行器、矢根飯(35)、小蝶団子(70)・酢蕪・煎花・一夜酒これは神夫ら役送し、大神主が供す。次に矢揃、大宮司始め、奉仕の神官各自より、篠竹を矢柄にして、青木の葉を羽にした矢を1手ずつ出す。薦長神夫これをそろえ終わったら、神庭の中央に運んで立つ。次に大神主進みでて再拝拍手本座にもどる。次に大神主が亀甲を焼く、上古は亀卜の占法もあったのだろうが、中古以来は、ただ占状を行うだけになって、そのやり方を失って伝わっていないのは残念なことである・・・ふむ、亀卜の形だけを伝えてるのか・・・次に物申祝が御占文を読む。

敬白、当来歳次 年号何 年 干支 年正月三日、正代山御占饗前之事
一、御酒奉作物、此人平安吉也、十號
一、入宮山入如意奉、此人平安吉也、十號
一、御酒奉嘗、此人平安吉也、十號
一、奉献、此人平安吉也、十號
一、祭祝家々平安吉也、十號
神主館内此人平安吉也、十號
  内院神主中臣
  内院神主中臣
  内院神主中臣
  内院神主中臣
 大宮司 位大中臣朝臣 名

次に直会、差あり・・・みんなで食べて、退手で退下

そして、東御占は・・・
裂々社社前を払い、薦を敷き坐を設け燎を置く。戌の剋、大宮司以下26員坐に着く・・・大宮司方の神官のリストが続きます。大禰宜・権禰宜・副祝・正検非違使・四郎神主・次郎神主・六郎祝・三郎祝・中祝・佐原禰宜・中幣神主・郷之長・堀口神主・権次郎祝・五郎祝・幣所祝・吉原検杖・迫田検杖・油井検杖・土器判官・側高祝・文三郎・大細工・修理検校・正判官・雉子判官、これら以外に一ノ神夫だそうです。あとは概ね同じで・・・違うのは一ノ神夫が矢を集めるのと、四郎神主が進みでて再拝拍手本座にもどる。次に四郎神主が亀甲を焼く事ですね。・・・次に物申祝が御占文を読む。

敬白、惟 年号何 年 干支 年正月三日、請大山御占饗膳之事
一、歳徳在西宮、庚守中部立木賜、此人平安吉也、十合
一、早田・中平田・末田不食虫、此人平安吉也、十合
一、蚕養平安如意吉哉、十合
一、天下万民快楽、一切如意吉哉、十合
一、祭祝等家々平安吉哉、十合
大禰宜館内家々平安吉哉、十合
  内院神主中臣
  内院神主中臣
  内院神主中臣
  内院神主中臣
惟令申大禰宜大中臣朝臣 名

 儀式の流れは理解しました・・・形だけのものですね。大宮司方の占いの名称は代山御占で、大禰宜方の占いは大山御占という事のようです・・・代山ね?小字で、御竈神社のあると思われる場所が「いかづち」で、その南の弓道場のあたりが「御城山」ですから、ここの地名なのか?大禰宜方の裂々神社の位置は明瞭で・・・大山は不明?可能性があるのは、神宮の森の最も高くなっている場所の南に裂々神社がありますから・・・この、神宮の森の最高部ではないかと・・・これも、聞いちゃえばおしまいですが・・・そのうち、何かで分かるかもしれないので、その方が楽しいのでね。

 もう少し、きちんと現代語訳するか・・・いいかげんな所が多いのが近頃、自分でも気になりますが・・・遊びのレベルだからこんなものかね?引用部分の中途半端だし・・・気にはしてるんですが・・・飲みながらですから・・・酔った勢い・・・どうやら、占いがいつの間にか福寄、寿ぎ、景気付けの行事にすり替わったという感じですかね?・・・この十合って何と読むのかね?「そごう」かね?確か百貨店のそごうは十合だったような?そうそう・・・十合伊兵衛だ!そごうの名刺の仕様書で見たんだっけ・・・この場合は「じゅうごう」かね?・・・亀卜のパターンと違うような?筒粥とかの類では?いっぱいになっているとかそういった感じ・・・筒粥神事が元だったとか?ちょっと気になります。ただ、占いの項目数からすると、1つの亀の甲で行える範囲なので筒粥の神事から移行して挫折したのか?なんって・・・鹿島神宮でも亀卜を行っていたような感じですが・・・棒の先の糸で釣るんだっけ?記憶が定かではない、ちゃんと史料に当たらねば・・・でも、今は手元に無いんでね。そのうち検討しましょう。あと・・・こういった対になったものって、その差が気になります。正代山御占の正、請大山御占の請・・・惟の文字とか対になったものの違いが・・・何か意味を持つような、誤記なのか?こういったものを検討するためには原文が正確でなければならないのを分かっているのですが・・・遊びだから、自分の頭で分かっていれば良いと、手を抜いているのが分かっているので・・・気にする時もあるんです。

 さて・・・あれ?なんだ・・・まともにビデオが再生でいない?コーディックが飛んだ?なんだか、このところPCが不調、怪しいののはこの間のWindowsのシステム関連のアップデート、それ以前の状態に戻してまだアップデートを掛けてない・・・これがなんとなく怪しいので、ちょっと様子見です。引っかかるのはSilverlightのセキュリティー更新プログラム・・・KB2932677だが・・・何だろう?色々なソフトを立ち上げて作業しているから、あまり再起動したくないのに・・・更新してみると、やはりどこかおかしい・・・元に戻す前に、ちょっと様子見だね・・・

 ・・・なんだか、ちょっとこの占について、漠然と気になることがあるのですが、それが何か良くわかりません・・・ああ、分かった・・・参加者のリストで、大宮司側に西代官・東代官がある事です。西代官は西の行事なので参加するのは分かるのですが、東代官がこちらに出ています。という事は、西側のメンバーのだれかが大禰宜側の行事に参加しているのか?なんって事なんです。こいつは、色々な行事の参加者リストをチェックして検討しないと分からない部分なんで・・・保留ですね。別の行事で何か見えてくるかもしれません。ちょっと気になるのは・・・大宮司・大禰宜に分かれた行事ですが、それを実施する担当者は大宮司側が大神主、大禰宜側が四郎神主となっています・・・内院神主が行っている・・・両社務・六官・奉行の役割の違いは何か?その詳細が知りたくなるというわけなんです。

 これに関連して・・・神主館内此人平安吉也、十號、大禰宜館内家々平安吉哉、十合・・・この違いもちょっと引っかかる・・・神主館内 此人、大禰宜館内 家々・・・特定の個人と家といった違いが気になります。そして、吉也と吉哉の違いですかね。対になっている行事ですから何か意味があるに違いないわけですから・・・しかし、分からない・・・「なり」断定で、吉である「哉」詠嘆・・・吉だなあ、もしくは「かも」的に吉かなあ・・・なんとなく弱い感じ・・・この差は何?・・・この亀卜の神事は次の矢的神事につながるので、そこで何か明瞭になるのか?というわけで、次に進むしかない事になりますね。そうそう、この神事の際に集める矢は右のようなものです。篠を割って葉の尻尾をちょっと加工したものを刺して作った矢を2本一手ですね。

 ずいぶんと長くなってきたのでこのあたりで一旦切るとしましょう。それでは次回・・・

2014.03.22

  

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