香取神宮をうろうろ(104)
 香取志 (38) 御竈の神社から・・・

 現在使っているPCのメインのハードディスクをSSDに交換しました。シリコン ソリッドステート ドライブ solid state driveってやつですね。交換に要した時間は1時間弱でした。元は340GBのハードディスクだった物をバックアップは数日前に取ってありましたから・・・ハードディスクを交換して、このバックアップを導入してOKというわけです。大きなトラブルは・・・DVDに焼いたWindows7の修復ディスクで起動して、バックアップを導入しようとすると・・・SSDが認識されていない・・・いや、認識されているが、導入できないなんって文句をつけてきます。BIOSの設定をちょっといじると、導入は進んだのでOKかな・・・起動して見て分かった事・・・非常にきびきびと動く・・・これはOK・・・特にアプリケーションソフトの起動が早くなってそれだけで満足・・・しかし、ハードディスクの区画の設定は前と同じ・・・仕方ないな・・・というわけで、区画いじりを行って、最初の340GBの半分のCドライブの領域を、Dドライブに設定されていたものを削除して500GBのCドライブ領域へと変更でこれで、当分は領域不足になる事はなさそうです。ただSSDの寿命ってどのくらいなのか?それが気になりますね。まあ、基本的にソフトウエア環境だけ復活できれば問題ないですから・・・多くの、原稿料に化けてくれるようなデータはきちんとバックアッを取っていますしね。そして、貧乏だからソフトウエアはそれほど更新しないので、更新したらバックアップを取ればいいや!って気持ちですからね。SSDは3年保証か・・・どうせ、2年ぐらいで交換することになると思いますがね。さて、このPCはいつまで快適に使えるのか?既に、高速化した部分には慣れてしまいましたから・・・人間の慣れって早いなと思うわけです・・・しばらくしたら、SATA6Gb/sに対応させればもう少し速くなることでしょう。

 それでは香取志 21コマを続けましょう・・・ 

御竈の神社
津宮にある御竈神と同体である。正月三日の亀卜、同四日の矢的の神事がこの社で行われる。

 正月3日には竈神社社前御占神事・裂々神社社前御占神事、正月4日には竈神社矢的神事・裂々神社矢的神事が行われます。対になった行事のようです。年中祭禮大禰宜勤方によると、裂々神社のものは大禰宜家の職掌にあるようで東、竈神社のものは大宮司の職掌のようで西の神事とか言っていますね。御竈社は現在はありませんね・・・御竈社と星塚が近くにあって・・・楼門前の馬場の東の端にあったようですが・・・現在はトイレがある辺りか?それとも弓道場のあたりか・・・諏訪神社のあたりの可能性もありますね・・・いずれにせよこのあたりです。そして、これらの神事も行われていないのかな?矢的神事の類は・・・1月16日の星鎮祭ですかね。かつては射禮神事と呼ばれていたものですね。そして、明治18年の年中祭典では1月5日に星鎮射禮式となっていますから、3つの行事を1つにまとめた様な感じです。この行事のパターンからすると社家は東西に分かれていて・・・東は大禰宜が、西は大宮司が仕切っている・・・ここに大禰宜側のメンバーリストがありますから、職掌を知る手掛かりになりそうです。

 大宮司・大禰宜双方で亀トをやっていますね。何を占ったのか気になります。双方で同じ事を占って結果が違ったら・・・変ですからね。ここで行われる矢的神事は何を意味するのでしょうか?4日ですから・・・仕事始め?・・・分からない事はそのうち考えることにして・・・

祓殿
神体未だにわからない。今、この社は無くなってしまっている。それで、榊を植えて神体に擬えている。


 祓殿は本殿の北東にある事になっていますね。なんとなく櫻大刀自神社の位置と重なりそうな感じです。一夜山の神社との兼ね合いは?と気になるわけです。天保のころに一夜山神社があるなら、それとは別に榊がある事になりますが・・・祓殿というと、普通は御祓いをするためのものですね・・・鹿島神宮だと、仮殿前の注連縄の張られた空間に相当しますが・・・香取神宮の元禄の造替の際には、日御子社・市神社・馬場殿・花園社・優波山社・佐山社・祓殿・天降 8社修覆とありますから、元禄期以降も存在した・・・天保期には祓殿は消滅・・・香取神宮では大きな祭事では津宮で塩垢離ですから・・・鹿島神宮もそうですが・・・神職は海岸の方に住んでいたとか・・・仁治2年;1241年に鹿島神宮は大かた焼失・・・不開御殿奥御殿等は焼かず・・・それで神宮近くに住むようになったとか?さて、このの祓殿は何のためなのか?位置からすると・・・鎌倉時代以来の勢至殿だと思われますが・・・勢至菩薩は邪気を払うともいいますが・・・分からないので次ですね。

王子社
登戸社が同じ場所にある。世に王子30余坐と云われる。古老が伝えて云うことには、神宮の御子孫30余代の間ここに祭っていたという。山の半ばに平らな所が数歩あって土の中に大石がちょこちょことつながっている。昔神社があった時の礎石が自然と土の中に埋まったものか、30余代の墳墓の跡で、石棺であったものなのか、その実の所は不明である。

 香取保育所の脇、香取小と道を隔てた所にありますね。ここの遺跡の扱いはどうなっているのやら?ちょっと気になりますが・・・不明ですね。香取市内の遺跡地図でも眺めないと・・・ただ、遺跡の発掘は開発行為に伴って行われますから・・・開発が無いと行われないし、遺跡が無い所が開発されるような気がしますね。神宮の・・・經津主の神の御子・・・子孫・・・香取氏の墓所なんですかね?又見神社へ祭祀は移転かね?・・・妄想妄想・・・発掘がなされていれば、その資料でも眺めればOKですね。ざっと図書館の蔵書をチェックすると・・・見当たりませんから、既に隠滅か、そのまま残っているのか?不明です。数歩か・・・航空写真を眺めると、山の半ばに植林されている場所がありますね。そのまま残っているのかもしれませんが不明です。これも、考えてなんとかなるものではないですね。次は・・・

宝殿
方像である、文永官符に、宝殿一宇三間葦葺金物あり。作料官米60石、猿股郷の本役也、よって地頭葛西新左衛門入道経蓮これを作り進す。

 現在の宝物館は昭和41年の式年神幸祭記念事業で作られた鉄筋コンクリート造りのものですね。その前のは、明治42年の校倉造りのものですね。その前は・・・なさそうですから、重宝類はどこにあったのやら?本殿ですかね?祭具・神具などは・・・祭当が保管ですかね?多くは大禰宜あたりが保管していたのでしょうか?元禄の造替の時の神宝類は確か・・・そう、御神宝の太刀は借りものだったような?造替の際の御神宝類は・・・広矛の箱 干珠満珠玉箱 御神輿4宇 大神輿1宇 御几帳4 御簾3間 御櫛33 八足机4 御盃の台10 御鉢5 御行器1荷 御木鉢大小21 御鉾4 御太刀4 御弓4 御矢28本 御箙4 行騰4 御神馬道具4通り 御銚子提子2対 御瓶子1対 神楽笛1 神楽鈴2 神楽太鼓1 神楽大拍子1 湯立釜2 末社木鉢21 右委細、別帳にあり。とかでしたから・・・神宝というのはお宝とはちょっと違ったもののような気がします。神を祀るに当たっての重要なものという位置付けですかね?この宝殿に関しても不明としか言いようが無いですが・・・倉庫は本殿の北東にあったのでしょう。高御座で出てきましたから・・・でも、なんとなく、高御座は倉庫ではないような気がします。やはり座であって、神の祀られている空間を言うのではないかと思いたいですね。

祭殿
年の中で90余度の祭祀の時に神饌や幣帛の全てをここで調進する。同官符に祭殿一宇三間四面金物あり作料官米120石、結城郡本役也、よって地頭上野介廣綱これを作り進す。

 やっと分かりやすいのが出てきました。神饌や幣帛を調進する・・・神饌殿や御供所と呼ばれる場所ですね。ただ、社務所とか参籠所とか神饌殿、御供所ってなんとなくはっきりとしない・・・時々その役割が変わるような感じがしますから・・・私が良く理解していないだけなのかもしれませんが・・・大炊殿とかありますし・・・元禄の造替の際は御供所に竈を作っていたようで・・・基本的にどこか別の所で調理したものを、ここで盛りつけるというような感じですからね。元禄の造替で設置された竈などは・・・人間用だったのでしょうか?ちょっと気になります。確かに、水の無い所で調理をすることは困難ですから・・・

 ふと、御竈社が見当たらないのは・・・思い当たるのは、大宮司邸が神徳館に変わったのと関連があるのかと・・・明治の御代になって、香取神領は上知され香取神宮の財政基盤は失われます。そして、神職の数はおよそ4分の1の20名ほどに減らされてしまいます。東西の2組の神職が執務を行う体制が成立しなくなった事になりますね。2組あるうちの1つを廃止・・・まさかね。そして、神宮の庭上の神事を中心として、神事の祭当が行う準備段階を飛ばした・・・資金が無い・人がいないとなれば、そんな風にして伝統の一部を保持する事しかないような気がします。従って・・・西方の雑舎が減ることになるとか・・・

 ついでに気になるのは・・・鹿島神宮の祭礼なんですが・・・鎮守の神様の祭りとはイメージが違うんですね。拝殿前の庭上・・・つまり、楼門の中の祭祀空間と、町内の祭りの温度差というか・・・雰囲気の違い・・・鹿島神宮の場合にはそれなりの鳥居前町がありますし、その町が祭頭祭などでは、神領内の村の大騒ぎする舞台として機能します・・・香取神宮の場合それが無い・・・代わりというか、小見川や佐原の祭りが華やかである。香取神宮の場合は基本的に上からの祭りで、下々は神宮が誇る文化に平伏し、その文化をぽかんと口を開けて眺める・・・そんな感じですかね?賑やかな祭りの雰囲気は、金剛寶寺の祭りになるとか・・・多分、1月8日から14日までの観音修正供か・・・修正会・・・その年の吉祥と安穏を祈る観音様の最初の縁日に行う法要ですね。そして14日に追儺が行われ、これが華やかな行事であったか近代デジタルライブラリー - 房総叢書 紀元二千六百年記念. 第8巻 紀行及日記 香取参詣記 に書いてありましたね。あちゃ・・・どうして大戸社の軍神祭を忘れてたかね・・・香取神宮の神幸祭が中断していて、大戸社ではやっていたが・・・大戸社でも中絶、この日や4月の神田祭・8月の新嘗祭は大戸社の非常に華やかな祭だったとか・・・市が立ったという事ですね。やはり、市が立つような祭りでないと・・・経済効果ってやつですね。

南廳
大小の祭祀の事を計画し、正殿末社雑舎の破損を考え、神官らの訴えを聞き、神税の事を掌り、神事の用途を通じ、すべて神宮に関わる事はどのような事でも、当官のの者はこの廳に集まって、話し合って決めている。同官符に廳屋一宇五間一面葦葺作料官米百石、大須賀の郷本役である。よって地頭等、これを造り進す。重規によれば、ももに廳社一宇とあれば、この時すでに北朝は滅んでしまっていると思われる。開母威岐内裏に、古に神祇官の廳、太政官の廳を始めとして多数があった。我が神宮にも南廳・北廳があって。南廳は神祇官の廳に擬え、北廳は太政官の廳に擬せられていたのが、祭祀が衰退したた時に、世の中の乱れによって、今両廳ともに隠滅してしまった。それでも、正月元日の司召はこの廳の跡で行われているのは、古の盛んであった時の名残を捨てていないのであろう。


 ふむ、南廳ね・・・庶務・営繕・収税・出納・・・等を率いる総務だね。祭祀も基本的にはお金がかかるから、神祇官だけでは行えないから、神祇官は人事関連だけになったとか?そして、太政官の方へと吸収されたか?なんとなく、元禄の造替関連の大禰宜家の日記を眺めていると、大宮司邸とか大禰宜邸などは役宅という感じで、大禰宜から大宮司になると大禰宜邸を出て大宮司邸に家移りしたりしていますから・・・そして、事務的な事柄は大禰宜が主にこなしているような・・・元禄期は・・・諸寺、摂社からの要求は基本的に大宮司が受けて大禰宜の方へ流す・・・実務折衝は分飯司という感じですね。諸神塚番所とか会所とか・・・行政系の建物もあったようですから・・・行政システムの変化で不要になった庁舎ということなのでしょう。ただ、元旦の司召は・・・南廳前で行う・・・年中祭禮大禰宜勤方によると楼門前・・・もしかしたら・・・本殿などの祭祀空間の西側に清涼殿を模した北廳・南廳を置いてあったのか?ちょっと気になります。楼門は承明門?かね・・・

 相変わらず、古い香取神宮の古絵図を眺めて考え込んでいるんです。右の図のAとBを振った建物なんです。これが分からない・・・多分、南北に長い建物・・・本殿・中門・参籠所の3つは確定しますが、大きさとしては中門と同じくらいの建物、本殿は南東に向いているはずで、A・Bはほぼ南北に並んでいるように見える・・・不思議な空間が・・・何か目的があって、こういった配置になっていると思いますがね・・・その目的が見えない・・・中門・御神木前の方形の空間とそれを、断ち切るように配置されたA・Bの建物・・・平面図にすると主な建物を並べると左のような感じ・・・多分、御神井道に正対する形で広がる神宮なのでしょうが・・・ただ、これより古い時期には参籠所はAの位置になるようなので・・・結局の所・・・考え始めても直ぐに挫折しますね。

 雰囲気として南廳は大禰宜の屋敷で行えばOK、北廳はなんとなく、会所がその機能を持ったのではないかと・・・そもそも、神宮には基本的に人が住んでいませんから、行政に関する庁舎は人の住んでいる周辺に置かれていた可能性の方が高いと妄想するわけです。それに、合議の場なら参籠所でも良さそうですから、参籠所が北廳ということでその機能を受け持ったのではないかと・・・参籠所は後には社務所になっているようですからね。

 右の建物が、参籠所であり神饌所であり社務所であったりとした建物ですね。今の神札授与所の位置にありますね。機能としては同じではないかと・・・というより、参籠所・社務所として機能していた時代の南東の角の南と西に開いている出入り口の南側を神札授与所にしているみたいですね。西側の出入り口は・・・

 左の写真のように、拝殿に向かって延びた渡り廊下に開いているようです。この写真では神札授与所のカウンターが無いですし、屋根の形状が微妙に違いますから違う建物かもしれません

 旧社務所が平成15年に旧社務所の位置に新しく建てられていますが・・・旧社務所はいつの建物か?

 右の写真が旧社務所ですね。右手前の杉が多分、祈祷殿と社務所の間の杉の木なのでしょう。この写真の時代には、現在の拝殿に置きかえられた旧拝殿の祈祷殿は存在しませんね。

 この旧社務所の左の建物は現在もあるような感じですね。多分、御供所を移転させた建物ではないかと・・・明治時代には旧参籠所が社務所として使われ、その南に御供所があったようです。

いつの時代のものかは不明ですが、元禄の造替の際の位置にある御供所にと思われる位置にある建物は右のようなものですね。そして、小ぶりの水盤がありますが、これはその形状からすると・・・なんとなく、護国神社の下の水盤のような感じですね。この右の方に元禄の造替の際の水盤があって・・・この元禄の水盤は現在は桜馬場の入口に移転しているようです。ただ、この元禄の水盤の所にはかつては大砲が置かれていた感じですから・・・どんな風に動いたのか?大砲と併存していたのか不明ですね。ただ、参籠所と御供所の位置は伝統的に御神木のあたりにあったような感じです。

 社務所の位置にあったと思われるのは御竈の神社ですかね。旧社務所の建物の雰囲気は・・・中央の玄関で2つの建物をつないであるような感じです。屋根の勾配も高さも違いますから・・・右側が大宮司の左側が大禰宜の執務空間として考えられたか?そして、紀元2600年記念事業で大宮司邸は神徳館として計画されますが・・・結果としては昭和36年になって建設される事になりますから・・・現在の姿から、過去の姿をたどることもなかなか困難ですね。手もちの資料の見方を変えてもやはり堂々巡りとなる事が分かります。

 こりゃ、香取群書集成の2巻を眺めに行かなければならないかね・・・図書館に行くとなると手が疲れますから・・・それに図書館の開館時間は私は忙しいし・・・この本には、香取年中行事繪卷(寫眞版)・維新前年中祭典式稿・祭典舊儀下調書・香取神宮祭祀式・香取神宮年中御祭典儀式帳・明治十八年制定 香取神宮年中祭典式・香取宮年中祭典記が含まれている事は分かっているんですが・・・年中祭禮大禰宜勤方と源太祝年中行事でほぼ網羅されているし・・・なかなか時間が取れなくてね。

 何か、良いニュースは・・・あれ?強気な人間が騒いでいるような感じですね。強気に騒ぐ理由は・・・それしかできない時ですかね?本当はしなければならない事があるのに、それをやらずに済ませる時に使われる手法かね?あまり、強気になっているとまわりから反発されて・・・強気になれなくなると、責任を取ってと称して無責任に辞めて行くんだよな・・・対外的にも問題になるだろうし・・・面倒な事にならないといいけど・・・強気になったとき賛同者が急について、あっという間に離れて・・・上ったけど梯子が外されて・・・よくあるパターンかね。そんなに戦争をしたいのかね?不思議な・・・まあ、庶民に対しても消費税などで、権柄ずくで金を毟る政府だから・・・軽自動車も、金利などの収益も・・・何からでも金を毟ろうとしているし・・・保険・年金・所得税・各種税金でそろそろ所得の4割近くが毟られているのでは?それでも、借金体制は改善されそうもないし・・・あとは、ハイパーインフレしか活路は無いのか?結局は、庶民の預貯金を紙屑にすることで国を立てなおすのか心配ですね。やだやだ・・・

 いずれにせよ経済なんでね・・・何かを維持したりするのは・・・維新とかは、経済的な秩序に変動があると起こるような・・・結局、江戸幕府が倒れるのは、開国とそれに伴う金融システムの変動が大きすぎたというだけではないかと・・・金と銀の交換比率の大きな変化と、金の流出、それに対する通貨の改鋳・・・お前ら俺の金をどうするつもりだ・・・どうしたらいいか分からないし、何もできないから、無責任に大政奉還・・・そして、新政府に期待して仕切り直しかね?所詮、政権担当者などは看板に過ぎない・・・なんって思えるわけです。国という漠然としているが確たる信用の下の借金などは誰にだってできるし・・・借金が莫大だから、国民から毟るか・・・毟れなければ通貨の価値を下げてしまう・・・色々な手があるものだ・・・財政出動か・・・信用の無い個人に替わって存続するだろうという思惑だけの信用で国が金を借りまくってばらまくというやつですが・・・それも限界だと思うのですが・・・次にやってくるのは・・・増税による預金の切り崩しによって、市中の通貨量が増加して、よろしくないインフレがやってきそうな・・・例によって歯止めの利かない日本の暴走が始まっているのかも?気になりますね。

 意外と道徳教育の欠如がこのような国を作っているのかも?嘘をついてはいけない、他人の金を自分の物のように使ってはいけない、人の懐を頼る生活をしてはいけない・・・他人の信用で金を借りてはいけない・・・自分の財布の中を良く見ていて、それなりにきちんと努力するとかそういった事は完全に欠如しているようにしか思えませんがね・・・そのうち何とかなるだろうではないのでは?そして、最後は・・・戦争だ!かね。他人を傷つけてはいけない、平和を愛する心、隣人を大切にするとか・・・そういった考えもなく、大言壮語が好きで、徒党を組んで戦いたいようですから・・・しかし、誰と徒党を組むつもりなのか?果たして組ませてもらえるのか?我が国の軍を使って戦争を!と売り込むのかね?国際社会で名誉ある地位とは?気になりますね。何に対して恰好をつけようとしているのか?

 香取神宮などは凄いですよね・・・時代を越えて存在し続けられるのですから・・・こういったのが神慮ですかね?祖国が立派な国であると胸を張れるようなら良いのですが・・・

2014.02.14

  

関係ないが、興味深いもの
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参考になるもの。
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