香取神宮をうろうろ(100)
 香取志 (34) 勢至殿など、なぜか神宮寺・・・

 新作映画ってのは良いものです。どんどんネット上に現れてきますから、見る時間が完全に足りなくなっています。2014年公開の映画なんかもずいぶんとありますね。株はどんどん下がるし・・・面白いものです。Frozen・・・アナと雪の女王はアメリカアマゾンでも2014年3月18日から配信のようですが、何故ネット上にあるかね?日本ではずっと先の話ですが・・・不思議な感じもしますが・・・とにかく、外来文化を急いで体験しないといけないようです。

 しかし、ちょっと米国アマゾンを眺めていなかったので、ページの構成がずいぶんと変わって・・・英語力の無さがつらいものです。まあ、買い物など近頃は貧乏でできませんが・・・ひたすらネットの中を漁って無料のものを探しているわけです。無料って言っても接続料はかかりますから、何としても良質のサービスを受けなければ面白くないですからね。

 やはり、日本語の日本映画を見るのが楽ですね。椿三十郎とか山本五十六とかラーメン侍とか・・・色々とあって楽しめます。さて香取志 17コマ 勢至殿 から始めましょう・・・

勢至殿
考えるに、現在子安社と云って、木花開耶姫命を祭っているという社がこれであろう。同官符に勢至殿一間、葦葺金物あり、作料官米三十石、神保郷本役也、よって地頭千田房造これを造り進す。


 さて、勢至殿ねえ?木花咲耶姫を祭っているというか・・・富士山本宮浅間大社の社伝では富士山の噴火を鎮める水の神であるとか・・・これに関連して安産の神、子育ての神というようです・・・現在の櫻大刀自神社ですね。勢至殿というと、なんとなく勢至菩薩が頭に浮かんでくるという単純頭なんで・・・何か関連があるのかなんって? う・・・宝冠の前面に水瓶が付いていたっけ?このあたりに関連があるのかもしれないとか・・・甘露の宝水ですかね?子安関連では二十三夜尊として勢至菩薩は知られていましたっけ・・・三夜待ちとか産夜とも言って・・・女性の講だとか・・・よって子供の神様で・・・子宝に恵まれる・・・とかかな?

 寒いと思ったら・・・雪が降ってきたぞ・・・桜の花ではなく雪の華・・・春よ早く来いという気分になりますね。

 現在の櫻大刀自神社は右の写真のような建物で、本殿の所から桜馬場への道の左側に存在します。

 しかし・・・元禄の造替のちょっと後(多分)に描かれた絵図だと、この場所には秡殿とありますね。

 さて、困った・・・調べるほど分からなくなりますね。祭祀をチェックしたんですが・・・現れない・・・神仏習合の結果、お寺が管理してたのかね?愛染堂・経蔵・勢至殿・八龍社あたりは仏教系ですかね?残念ながら推測できる材料は見当たらないので保留ですね。

八郎王子社
五男三女神を祭る。今、この社は存在しない。それで、賢木を植えて神体に擬えてこれを祭っている。


 また出てきた八郎王子社・・・忍男神社の所で、東宮祭が大水か雨天の節は八郎王子社の跡の榊の本に青屋を作り、ここにて祭りを行うってやつですね。多分、神道山の麓だろうって・・・しかし、この神社はどこなんでしょう?神社は創建されると続くというものでもないということも分かってはいますが・・・神様の流行り廃りというのはどんな事が要因で起こるのか?経済効果ですかね?ブランド?

 経済か・・・日本企業は最高益を上げている企業がずいぶんと出ているが・・・日立が躍進、26年3月期の21%の増益か・・・景気の良い話だが・・・これって、単なる円安のため、3割ほど増えたように見えているだけなのでは?差の1割ほどは何だろう?どこかへ消えているとか?・・・やはり、日本の経済を見るためには、頭の中でドルを中心に眺めるようにしないといけないのか?ふと、そんな事を思ってしまいます。経営陣の頭の中がドルで計算していたら・・・賃上げはあるのだろうか?ちょっと気になります。・・・経営陣とは違って、政治家というのは、自分にとって都合の良い数字を使って魔術を使いますから・・・そして報道も、声の大きな者に追従する場合が多いので・・・そのあたりが問題かね。日本ブランドはどうなるのやら?神頼みだけでは事は成らない・・・神を支える人々の経済力に依存するのかね。

 八郎王子社は・・・五男三女の王子ですから天照大神と素戔男尊の誓約で生まれた王子を祭るのでしょう。まあ、この誓約の結果の読み取りって正しかったのか?結果からすると・・・絶対に正しくなかったと思われます・・・従ってこの誓約は形式的なもので、許す事を前提としたものであった・・・あなたの物で私が作った男神・・・あなたの物と私・・・どちらを中心に論理を構成するかの違いに過ぎませんから・・・納得するためだけしかの意味しかない誓約か・・・素戔男尊はこの地上をを支配することになりますから・・・どうであれ日本書紀だと近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第1巻 日本書紀・・・天照大神は高天原(空)を、月夜見尊は海原を、素戔男尊は地上を支配することになったのでしょう・・・一書に曰くで、興味深い話もありますが・・・そのうち日本書紀の構造を解析したい気もしますね。

 なんだか、働くのが億劫になってきた・・・髪結の亭主って素敵に思えてきたりもしますね。でも・・・少子化対策として、女性が家庭で育児に専念し、男性が外で働くのが合理的なんって言われますから・・・ホントかね?逆でも、交代でも何でも良さそうな気がしますが・・・今の世の中は、男も女も働かないと食っていけないという事のような?誰かに食わせてもらえる素敵な世の中は来ないのだろうか?なんって・・・まあ、福祉国家なんって聞こえは良いですが、福祉の名の下に奴隷となって働き搾取される労働者によって支えられているわけです。ああ、福祉の恩恵に浴したいものですが・・・結局の所、言葉を変えても、働かないと食えないし、食うためには働かねばならない・・・従って、庶民の暮らしは政治的なスローガンとは無関係に絶え間ない労働によって成り立っているという事なんでしょう。デフレ脱却か・・・収入は増える事はあるのか?物価だけ上がるのでは?なんとなく、輸入品の価格が国産品に近くなるだけのような?そして、給与水準がそれに見合うようになると・・・やはり食うだけか・・・さあ、次へ・・・ため息しか出ないね・・・

アサメ殿
旧記によると、磐裂神・根裂神を祭るという。その時に応じて、本宮の假殿として使われる。承元の官符でもそうなっている。末社記によれば、假殿である。遷宮の時に神を輿に乗せて、ここへ移すと・・・
重規によれば女盛の文字は辞書にもない、この訓もちょっと分からない。古事記に阿佐米余玖(アサメヨク)の語がある。これは朝目能(アサメヨク)の意味であって、朝によき事を見るを云う。江家次第記大嘗祭の條に天皇が廻立ちて殿に帰り給えて、采女が進んで申されて云うには、阿佐女主水夕暁の御膳平に供え奉りと申すとか、これらの事を参考にすると、今の御炊殿の近くで、元禄御改造の時に神輿を今の御炊殿に移し奉ったのもまた拠り所となるのであろう。文永の官符に、アサメトノ三間一面、葦葺金物ありが假殿であろう。よって最前にこれを造る。作料官米百石このほか二百石行事の沙汰。大戸神崎両荘の本役である。よって地頭らが造る。


 面倒な社殿が出てきました・・・假殿に使われるアサメトノですね。困った事に、この社殿の実体は不明・・・三間社ですから結構なサイズなのでしょう。假殿に使われるといっても・・・神様はどんなサイズの物にも移す事ができそうなので・・・女盛ねえ?アサメねえ?なんとなく愛染堂に化けた社殿ではないかと思っていますがね。なんとなく・・・アサメトノは愛染堂に化け、やがて花園神社になり・・・昭和初期の改修で假殿が建てられ・・・今、その場所は神饌殿になっていそうな気がします。根拠はまるでなし・・・ただ、三間社で人が入れそうなサイズの社殿ですから・・・そして、西の脇門の近くにあって、遷宮を行う都合の良い場所であるという・・・薄弱な理由ぐらいですね。

 この場所か、これよりもう少し西に愛染堂があったような感じですが・・・どうも、明治から昭和の初めの記録があまり無くて・・・なんとなく分かるようでわからない・・・愛染堂は破却されたのか?それとも花園神社に化けたのかも分かりません・・・花園神社は香取志が書かれたころには楼門の前にあり、雷を祀っています。右の図が描かれた時代には楼門前から、愛染堂のあった場所へと移されています。・・・花園神社の布留引神事って何かね?気になりますが・・・ん?フツノミタマ関連かね?何かで読んだ記憶が・・・石上布留の神杉神さぶる恋をも我は更にするかも・・・万葉集・・・人麻呂君か・・・いよいよ分からなくなってきた・・・石上神宮の祭神は布都御魂大神・・・武甕槌・経津主の剣ですね・・・武甕槌にはなんとなく雷のイメージーが・・・槌つながりか・・・いかづち・・・今はいかずちが正規表現かね?トール神とか・・・ゼウスとか・・・ああ、建雷命=建御雷=武甕槌・・・神の解釈の変化で社殿が色々と変わるのかね?・・・私の頭の中には何が詰まっているのか?頭の持ち主も良く分かっていない・・・困った頭だ・・・もう少し、色々な事が都合よく出てこないものかね?

 なんとなく・・・武甕槌が香取神宮を複雑にしているような感じです。本殿は経津主でOKなんですが・・・武甕槌つながりが本殿の周りで・・・色々と形を変えて現れては消えて行っているような気がします。さて、次は・・・

假アサメトノ
末社記によればアサメトノの艮にある。應安五年十一月大禰宜長房言上書を副えた証文案に假アサメトノ御供所とあって、今の御供所なのか、はっきりとはしない。

 應安5年の訴状かな?・・・千葉竹壽丸の家臣で、今は死んでしまった中村彌六入道聖阿と息子の式部丞胤幹に対する奴だろうね。これは一度見ていますね。假アサメトノに火を放つように指示して、神輿を矢で射り、神人を刀で切り殺した貞治4年正月4日、そして翌年の2月11日に起こった事件ですかね。その訴状に附す次第証文の文案ですね。これによると、正月に大勢でやって来て假アサメトノ、御供所 や神主神官の在所に火を放ち、神殿も燃えそうな勢いになったので、神輿を出して外遷宮させると、それに対して矢を放ち、その時に八龍神の木像の上に居た神人が刀で切られて死んだとか、これ以来、社内に閉じ籠っているとか・・・

 なんとなく気になるのが訴えられている中村彌六入道聖阿ですね。仏の力を頼んでの狼藉ですかね?千葉氏の直臣である中村氏による香取社領の押領というやつに関連しての事件ですね。ふと・・・神仏習合って、こういったものに対抗する手段なのか?仏の力を頼んでの旧勢力の神社に対抗しようとする振興の武家勢力というものがあると仮定したら?神社も仏の力を借りるために、仏教を導入する・・・仏の力に対抗するために仏を置き・・・仏の力に頼っての無法から神を守る・・・

 本殿に神、假殿には仏、本殿の神も垂迹として仏の格を与える・・・仏の力を頼っての狼藉が本殿に及ぶ時、本殿から仏の居ます假殿への退避・・・仏罰が怖いから仏殿には狼藉が及ばない・・・神仏習合の理論が成立してくるのはいつごろですかね?古いのは山王権現かね?・・・最澄が学んだ天台山国清寺には周の霊王の太子喬、字は子晋が道人の浮丘公の弟子となり、やがて山王の元弼真君として知られるようになって、これが道教の地主神として祀られていて、比叡山延暦寺を開いた時に、これを真似して地主神として日吉山王権現を祀ったことに始まるか・・・密教は神仏習合には都合が良さそうですからね。

 それで、護摩堂やら、お寺を建ててそこに住む事で、仏を頼って神を恐れぬ輩からの攻撃を避けるようになったのかね?ふむ・・・なんとなく、鹿島神宮の祭頭祭のシステムを思い浮かべてしまいました。基本的には香取神宮の別当寺の末寺の管理する寺請制度下での鹿嶋神領の氏子組織という二重支配の感じでしたから・・・鹿島の神宮寺は天平勝宝年間だから750年ごろかな・・・に建立され、建久5年;1194年に現在の鹿園に移されます。まさか、政権交代に関連して仏法による加護を狙ったかね?確かに、平安時代というのは基本的には国造体制からの流れで、延喜式に示されるように、氏神組織による末端支配をねらったのでないかと・・・振興の武士階層は氏神ではなく檀家組織の申し子であるとか?よって、鹿島神宮は神領支配のシステムに鹿島神宮が経営する神宮寺を頂点とする末寺による祭当の制度で神領支配を行ったとか?

 ふむ、こりゃちょっと面白い妄想ですね。もう少し妄想を膨らませてみるかね・・・鹿島神宮の神宮寺の痕跡はあまりないから・・・右の鹿島の根本寺の境内にあった鹿嶋山大神宮寺の碑ぐらいですかね。護国院の隣にあって明治の始めに焼失した寺・・・末寺も次々と焼失・・・仏像などは関係者が神社の床下や穴を掘って埋めたりして保護したもの以外は綺麗に破却され・・・現在は寺の跡地は公民館のようなものになって、祭頭祭の練習場に使われたりとか・・・さすがに、時代を越えて存続する神社というのは凄いものだと・・・

 鹿島神宮の江戸時代の造替も結構不思議なプロセスだったりしますから・・・家康のは良いとして、その後の造替は、発端は神宮寺の塔が倒壊することから始まりますから・・・台風で塔が倒れた、神宮には資力が無いから、幕府さんお願いします・・・幕府側は、そろそろ神宮の造替の時期じゃないか?って切り返してきて・・・塔の話はうやむやになって・・・現在の社殿が出来上がってしまうという不思議なお話ですから・・・この社殿は元和5年;1619年の造営ですね。そして、延宝5年;1677年には神宮寺は現在の護国院の隣へ移転・・・多分、塔だけではなくその他の建物も隠滅の危機に瀕していたとか?新たに造るなら、神宮から出しちゃえ!ってかね?なんとなく、完全に神宮管理下の寺という感じです。このあたりが、香取の金剛寶寺とは違う感じなんですね。まあ、事実はどうなのか分かりませんが・・・香取神宮関連の書類を見過ぎた感じもしますね。

 さて、このあたりで切って、次回としますか!

2014.02.06

  

関係ないが、興味深いもの
近代デジタルライブラリー - 十三仏講話
近代デジタルライブラリー - 美味求真
近代デジタルライブラリー - 古事記神話の新研究 文化は文化を担う人の動きだが・・・
 近代デジタルライブラリー - 検索結果 石川三四郎 興味深い・・・
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  近代デジタルライブラリー - 放浪八年記 興味深い人物・・・


参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
電子資料館 | 国文学研究資料館 
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 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 千葉県 534コマ
 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 茨城県 592コマ
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国立国会図書館デジタル化資料 - 和名類聚抄 20巻 
大日本海志編纂資料 資料分類
近代デジタルライブラリー - 大日本神名辞書
茨城県遺跡リポジトリ
近代デジタルライブラリー - 仮名日本書紀. 上巻 204コマ 景行天皇
国際日本文化研究センター 怪異・妖怪伝承データベース
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近代デジタルライブラリー - 和名類聚抄地名索引
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近代デジタルライブラリー - 検索結果 政事要略
近代デジタルライブラリー - 検索結果 大日本古文書
近代デジタルライブラリー - 大宝令新解
国立歴史民族博物館データベース
 旧高旧領取調帳データベースの検索
近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第13巻 延喜式
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近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第12巻 178コマ 類聚三代格
『鹿園雑集』奈良国立博物館研究紀要|奈良国立博物館
近代デジタルライブラリー - 大内裏之図
近代デジタルライブラリー - 帝室制度史 6巻. 5巻 附圖
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