香取神宮をうろうろ(88)
 香取志 (22) 又見神社・・・

 この前、自動車免許証の更新に行って・・・車のヘッドライトの配光特性とハイビームとロービームの使い分けの説明を聞いて・・・ハイビームで走るなんって無理・・・ど田舎じゃなきゃ無理とか思っていましたが・・・仲間の車に同乗して理解・・・近頃の車のヘッドライトは30mほど先までは極めて明るく、その先は急峻に照度が落ちるという事を知りました・・・私は貧乏なので、旧車専門なんで・・・この車遠目が利かないじゃん・・・手でロービームの照らしている部分を遮って見ると・・・その先も私の車と大差ない明るさを持っているようです。この明るさの差はなんとかならないものかね?人間の目は明るい方へ順応しますから、手前が明るいと手前の明るい方へ順応してしまって、暗い方は良く見えなくなってしまいます。確かに路肩の方の配光は60mほど先までを照らしているようですが・・・どうやら、車間距離40mから50mを意識しての配光特性のような感じです。それなりに車が繋がっているときはOK・・・しかし、暗夜、街灯の無い長い直線道路を走ると先が見えなくて不安になります。車が30m間隔で繋がっていると非常に効果的な配光パターンですが・・・正月3日の早朝の51号線ではちょっと厳しいというわけです。

 で、出かけたのは常陸那珂のフリーマーケット、バイク専門のなんです。こいつを見てきました。午前5時・・・まだ真っ暗・・・懐中電灯を片手にぶらぶら・・・明るくなるまで眺めていて結局買ったのは、真っ赤にさびた蛸引包丁300円也・・・一応、真っ直ぐで錆の様子からすると刃金は悪くないことがわかります。あまり買う気はなかったのですが・・・せっかく来たんだから何か買わないかとの仲間の唆し・・・錆びた刃の薄い刃物は研ぐのが大変なんです。特に、裏透きの無い包丁は・・・その上錆が深いので、打ち上がって焼き入れをしただけのものを仕上げるのと同じ手間がかかりますから・・・普段は使わない荒砥とダイヤモンドやすりを引っ張り出して荒っぽく修正、そして、裏透きがないので・・・裏押しをちょっとしっかりつけて基準平面を出して、表研ぎに入ります。裏透きって、グラインダーで削った跡にしか見えないのであまり好きじゃないのでOKですけど・・・

 私が買い込んだのは、多分かなり使いこまれたものですから。左の図のBの赤い線のあたりまで研がれたものなのでしょう。そして私はAの状態になったものを買った・・・裏透きがないから、裏押しをしっかりとつけて表を研いだというわけです。まあ、私はそんなに刺身を食べられないので・・・お財布に控えるようにと・・・この包丁でも一生ものでしょう・・・錆がちょっと深くて・・・まだ完全に研いだ状態ではないですが、刃は仕上げてありますから刺身はOKなんですが・・・4時間ほど、休み休み研いで・・・切ったものは蒲鉾となりました。これで刺身を造るのはいつになるのか?時々研いでやれば、少しずつ良くなりそうな刃物です。元から3分の1ぐらいの所が少し痩せて、ここに合わせて研ぎだしても良いのですが、刃全体を使って作業をするような上品な事は先ずしないのでね・・・というより刃渡りが34cmもあるので私の腕前では使いこなすのは・・・まあ、霞も綺麗に出てきましたからそのうち良い包丁になってくれると思います。といっても・・・この包丁、新品で二万〜五万円ぐらいですかね?しかし、なんで真っ直ぐに研いでくれないのかね?

 久しぶりに、赤さびた出刃包丁でも買い込んでナイフでも作るのも良いかもしれませんが・・・なかなかその気になりませんね。以前、その気で小出刃を買い込んだんですが・・・結局、包丁のままで使っていますから・・・打ち刃物も面白いのですが・・・凝ると大変・・・腕も疲れるし・・・

 さて、香取志 13コマ の続きを・・・

又見神社
末社記によれば、五神を祭っている。天苗加命で此の神は神宮の御子である。武沼井命は鹿島の御子、天押雲命は天児屋命の御子、天稚彦、下照姫命この五神である。この五柱の神は始めは若宮にあったのだが、春日遷座以後に五柱の神がここに鎮座した。このため、又見と称す。この神社の地を又見とという。この地の人は雉を食べない。これは天稚彦を祭る故であると云う。此の神は天つ神の詔をうけて天降るというが、忠誠を尽くさず、その上天つ神から賜った弓矢を使って無名雉を射殺し、返し矢のために亡ぼされてしまった。そのため、この土地の人は雉を忌みて食わないのであると云う。この祠は山の中ほどの平らな所に立っている。祠の傍らの山際に石棺のような物があって、自然と地上に現れている。祠の下にも同じようなものがあって、その蓋の上に祠を建ててある。その来歴を知る人はだれもいない。ある人は古墳跡で石棺に違いないと、古墳の上に祠を建てて祭っていたのが神社となったものがあちこちにあるので、これもそのたぐいであろうと云っている。私が思うに、延喜式に、およそ神社の境内の内は樹木を伐ったり、死人を埋葬してはならないとある。ここでは完全に境内の中であるので、その昔は、祭祀が盛んであった時には、国禁を犯してまで、神慮を恐れない暴悪の事なのであるのか、はっきりとそれを知ることはできない。この社の祭りは正月二日、十一月十九日である。

 又見神社は何なのか?気になるところです。香取・鹿島・春日の神の御子を祭っている事は明らかなのでしょうが・・・天稚彦は葦原中国平定関連ですね。国譲りの大任を果たさず大国主の娘の下照姫命と結婚して、与えられた武器で偵察に来た雉を射殺してしまい・・・その矢で亡ぼされる・・・だから、この地では雉は食べないという事のようですね。

 もともとは、これらの神は若宮に祭られていたが、春日遷座以後に遷座してきたとありますから・・・若宮は何処だ?となるわけです。春日は遷座した・・・この神社は又見社で、若宮から遷座してきても若宮社になっていないという事は・・・神社の名称は基本的に変わらず、祭神のみの移転になるのか?というか・・・又見の説明が説明になっていないような?多分、又見の地にあるから又見神社で、祭神が入れ替わっても又見神社であり続けているような気がします。春日遷座が気になる・・・春日の神は・・・天児屋命でしょうから・・・遷座先は本殿かね?しかし・・・春日の神は不開殿に祭られたとか?不開殿は鹿島の神を祭るとか・・・鹿島新宮になるとか?よくわからない・・・なんとなく、何かが隠されているような?そんな気がします。

 又見神社の石室は右のようなものですね。又見神社が古墳にある事は分かります。自ずと現れているというより・・・なんとなく、神社の敷地を拡張するために山を削ったら出てきてしまったというような感じです。そして、もうひとつの石室が又見神社の社殿の床下にあるとのこと・・・蓋の上に祠があるといっていますから、土を動かしているはずですね。

 左の写真の社殿の下という事になるようです。

 この神社の脇には三島神社があります。で・・・若宮は?現在の摂末社の中にはありませんね。このあたりで若宮神社というと、八剱神社若宮御社というのがあります。

 神宮から旧参道を進んで、笹川旅館を右折、直ぐ先を左折して坂を下ったところの先の山の斜面にある神社です。右の写真のものです。

 この社には八剱神社・若宮御社と並べて書かれていますから合祀されているのか?そもそも、これがここで述べられている若宮であるのかもわかりませんけどね。

 さて、困ったぞ・・・延喜式、以前にもこの延喜式の記載があってチェックをかけようかと思ったのですが、延喜式は膨大なもので・・・それに、あまり面白くない・・・役所の行事次第と備品のマニュアルみたいなんでね・・・何となく既得権益で貰えるものの一覧みたいな感じがして・・・

 なんで、前半は神祇に特化している?養老令は多分大宝律令など、古いものをそのまま引き継いでいるために、その前段階のものは影が薄くなていてもおかしくない・・・まあ、律・令・式とカテゴリーが違うからなのでしょうが、何故・・・こういった細則を制定した?神祇官の行うことが形式化したから、それを法令の中に組み込んで定式化した?神祇官が事実上不要になったのは・・・延暦17年;798年に国司が幣帛を授受する体制になって中央から地方へ移管・・・これで神祇官が事実上意味を失くし・・・国司が移管された仕事をきちんとしなくなって・・・制度化して縛った?延喜式の編纂は延喜5年;905年から始まり、康保4年;967年施行・・・根拠はまるでないのですがなんとなく・・・気配としては、香取神宮の造替の雰囲気ですね。香取神宮から申請し、前回はこうだったという書類を山ほど出して、それを実施させるというパターンですね。今のお役所仕事も同じような?申請によって始まる・・・申請して、書類を作らせ、書類を完結させることを要求して行けば、要求はそれなりに通って行く・・・だから、受理したがらない・・・だから、定式化された法が必要になる・・・法に記載されていればやらなければならないから。

 気になるのは、行政のネットワークができる以前に、神社のネットワークが存在したような気がするわけです。多分・・・出雲の属した文化圏が構築したものではないかと・・・国譲りというのは、国家システムを譲ることに他ならないと思うのでね。そして、延喜式の時代でも地方行政の一翼を担っていたのではないかと・・・さて、この葬制に関連する記述は何処にある?神祇か雑式か・・・最初から終わりまでその構成を眺めて行くとしましょう・・・眠くなるな・・・文頭の凡をチェックして行けば・・・

 近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第13巻 349コマ 玄蕃寮 海外からのお客さんに対する規則があるようです。これは興味深い・・・後で精読しなきゃ・・・

 いつの間にか、最後まで・・・どこかで見落としていますね。凡に注意してチェックし始めたのは・・・神祇が終わったあたりだから・・・最初の方を見直さないと・・・近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第13巻 86コマ 巻三神祇三 ここにありますね。しっかり見落としていた・・・おかげでざっとその構成を眺めることができました。しかし・・・延喜式って何?施行規則とか言われますが・・・近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第13巻 84コマ 遣蕃国使時祭などがありますね。遣唐使船の用材を伐りだす時の祭や唐からの使節が来た時のとか・・・外交系のものが記述されています。しかし・・・これって法律かね?現行法令で酒宴の規定などないですから・・・気になってしまいます。何かを行うときの贈り物リストみたいな感じです。XXにはXXの量の酒や肴を出す・・・五色玉二百八十九・・・どんな玉なのか気になりますね。遣蕃国使時祭で・・・五色の薄あしぎぬ、あしぎぬ、倭文、木綿、麻、布、庸布・・・とか出てきますが・・・「あしぎぬ」は絹織物でしょうね。薄あしぎぬは糸が細い高級な絹、あしぎぬはそれにちょっと劣る絹織物、倭文は綾織りなのかね?それとも横糸に色糸を使う?木綿=ゆう・麻は斤で表されているから糸?そして布、庸布とグレードが下がる?基軸となる通貨としての庸布からの付加価値性ですかね?延喜式における価値の体系なんってものも研究してみたくなりますね。あれ・・・また脱線・・・葬制に関するものだった・・・目的の条文を見落とした理由が分かった・・・遣蕃国使時祭を見てチェックをかけて、さらにその後の条に国造が出てきたからだ・・・そして、これに続く凡・・・を出雲国造神賀詞関連と見たから軽く読み飛ばした・・・違う、すぐ横の摂津国住吉、下総国香取、常陸国鹿嶋等神社正殿。廿年一度改造を覚えていますから・・・これで見落としたか・・・逆に、これがあるから隣の条文が香取志に現れているのか?気になるところですね。

 ちょっとこの条文で気になるのは、天皇陵などでは祠があって神事が行われるようなものもあったようですから・・・葬られた人を祭神とする神社とか一般的な気がします。神社の四至の内の木を切るな、埋葬するな・・何か意図するものが違うような?先に墓があって、それを神社にするのはOK、しかし、神社となった場所に追葬することは不可という事か?なんとなく、朝鮮の風水を思い起こしてしまいますが・・・良い墓に遺体を埋めると子孫が繁栄するから、他人の墓に埋めてしまう・・・そういったやつを思い起こしたんですが・・・朝鮮とはちょっと違いますね。朝鮮では墓の周囲に木は置きませんからね。木の根が入る事を忌むのですから・・・従って、墓地のまわりは木がない・・・北朝鮮の集落の近くには墓がありますね。集落の近くの山の南斜面で、その集落から直接見えない場所には右の写真のような、中央に塚がありそのまわりの樹木が除かれた墓が随所に見られます。これは・・・適当に見つけたところですからどこだかわかりませんが、こういった墓地が沢山見られます。

 古墳はなんとなく大陸系のものと私は妄想してしまっていますから、こういったものとの関連を考えてしまいます。墓の主が祭神として祭られ、墓が神社へと昇格すると、そこではルールが変わって・・・木を生茂らせ荘厳な雰囲気にすることで神へと昇華する・・・神の領域には追葬を許さないということなのか?なんって、さらに妄想を膨らませてしまいます。

 この前後の条はなかなか興味深い・・・御富岐玉とか・・・よく知らない物が色々と出てきます。出雲はソーダ石灰ガラスなんかも作ってたのかね?各地の産物などもチェックしていくと物流の様子もわかるような?

 ・・・物流か・・・律令体制で全国規模の交通路と行政の整備が行われたつするなら、全国的な物流は650年代以降の話になって、700年代にはそれが整備され、900年代になると全国の物産品を中央が把握して、計画的に製造分配するようになっているのか?というより、既に国司裁量の範囲が広くなって、法整備が急がれたとするなら・・・風土記の上申のあった750年頃から800年ぐらいに、日本全国の産物の把握があったのか?ただ・・・律令制は情報通信上に構築される国家体制だから・・・律令体制に入る前に日本全国の交通路の整備は終わっていた?律令体制はそれを効率化するために、中央からの行路を決定し、中央に合わせて改変したのか?

 延喜式の遣唐使船の用材の切り出しに関連する山神祭なども・・・既存の住吉社があって、それに幣帛を出す感じですから・・・補助金行政みたいな雰囲気・・・中央は主宰者ではないような雰囲気ですから。資金と技術のテコ入れで地方をゆるやかに支配しているような?通読しながら気になったのは、兵部省ですね。各地方の軍備を統括する部署ですかね?中央の警備は五衛府の管轄ですから・・・そして、常備軍のような隼人・・・隼人の軍備ってかなりのものではないかと・・・だって、各国の器仗を眺めると、下総国は甲5領、横刀16口、弓50張、征矢50具、やなぐい50具・・・健児150人ですから。一方正月や即位、そして蕃客が来た時に気勢を上げる隼人の方は、官人2人、史生2と大衣2人と中核となる20人と、新参の20人と特に役職を持たない132人、制服を身につけ横刀と楯と槍で武装しているのですから・・・それが一斉に鬨の声をあげたり、軍歌を歌ったり・・・これって、集団戦を得意とする精兵ではないですかね?雰囲気はレオニダス1世率いる古代の決戦部隊のスパルタの重装歩兵・・・呪術的なものではなく・・・楯で互いを守りつつ槍をかざして一団で進撃するやつ・・・国衙の兵ではとても対抗できない戦力のように思えますがね。・・・映画300を見たくなった・・・テルモピュライの戦い・・・

 隼人の分列行進などは凄い見物だったのではないかと思いますがね。軍事パレードですから・・・そして、隼人の武装は官物のようです。威儀所に横刀190口、楯180枚、木槍180竿、胡床180脚が備えられていますから・・・これって、個人所有でないからかなり高価な兵器ではないかと・・・制服に身を固め、全員が同じ型の兵器で武装しているのですからマスの威力が・・・

 気になるのは、隼人の製造部門ですね・・・凡毎年造進油絹六十疋 緋三十疋縹二十五 疋白五疋・・・油絹って?トレンチコートの材料でも作っていたのかね?他には竹籠のようなものを製造していますね。防水加工した絹と竹籠か・・・何か戦争道具の派生品のような感じがしますね。精緻な竹細工と軽量の防水布の製造技術・・・蕃客が来たときのデモンストレーションに現れる隼人・・・凄くカッコよかったのかもしれませんね・・・そうでなければ、蕃客へ見せるものにはならないですから。装備を考えると・・・胡床って名前の通り、中国経由で入ってきたモンゴル高原あたりの人達が使っていた折り畳み椅子ですね。後には床几って言われるやつでしょう。そうなると・・・最新流行の制服と装備という事になりますね。こりゃ、九州の山出しの田舎者を並べて吠えさせているというイメージから程遠くなりますね・・・そして、布の配給が多そうな感じ・・・なんだか給与が良いような?最強戦士達なのかね?絹などを身につけ・・・無茶苦茶体格の良い連中をかき集めて訓練したか?

 気になるのは、兵科将校に相当すると思われる番上隼人の欠員の補充に関するものです・・・五畿内及近江 丹波 紀伊等国隼人幹了者・・・隼人幹了者って何?隼人の幹部となるべくしての訓練が終わったもの?この各地に士官学校みたいなのがあって、そこで指揮官として高等訓練を受けたもの?なんとなく、隼人ってのが・・・九州の隼人対策のために創設された最新の武装を持った世界に誇れる部隊のように妄想し始めてしまいました。そうでなければ蕃客に見せつけるものではないような・・・もうひとつ気になるのは、隼人司の記述内容に馬が出てこず・・・槍と楯を基本とする集団戦用の歩兵であるのがね・・・九州の隼人と切り離して考えた方が合理的だし・・・造反者の集団を重武装させて国家の中枢に置くこと自体が信じられないからですね。

 ちょっと隼人の給与規定を眺めると・・・男に対してと女に対しての記述がありますね・・・隼人を戦闘集団とすると男は戦士、女は竹製品の製造と防水布の製造か・・・

 給与が気になります・・・健児の百人を相手に戦えるような連中の給与は、春夏にあしぎぬ1疋、調布2端秋冬あしぎぬ2疋、綿2屯、調布2端 月別白米1石、塩1斗のようです。近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第13巻 431コマ これに対して近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第13巻 439コマ なんだか、隼人の給与は圧倒的に良いのでは?

 ふと・・・明治以降の警官が制服を布で配給され、その布で仕立ててもらうとか・・・その布を横流ししてお金に替えるという話を何かで読んだような・・・制服用の布みたいな記述になっていますから・・・この時代は絶対、布は高価な商品であったはずですから・・・なんだか隼人はバチカンのスイス傭兵みたいな感じですね・・・スイスの最強兵士を雇って・・・初期の要求数は、およそ200人ほどですかね。現在は1中隊110人とのこと・・・将校6名、下士官26名、兵78名・・・兵を倍に増やせば似た規模か?

 しかし・・・隼人って高給取りで、儀式では琴を弾くもの2、笛を吹くもの1、打楽器奏者4、拍手2、歌2、舞2で、隼人は鬨をつくるのか・・・明らかに隼人は舞うわけではない・・・やはり、最強戦士だよな・・・定説には反するが・・・最新兵器と戦術で武装した集団・・・ああ、いつの間にかスイス傭兵やらスパルタの重装歩兵まで引っ張り出しちゃいました・・・延喜式は面白い!そのうち精読することにしましょう。

 とにかく・・・古墳は神社になるけど、神社になった場合には追葬は不可というので良いでしょう・・・別に神慮を恐れる必要はなさそうです・・・

2014.01.10

関係ないが、興味深いもの

参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
電子資料館 | 国文学研究資料館 
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