香取神宮をうろうろ(87)
 香取志 (21) 返田・大戸・神崎神社・・・

 どうも、年末年始はトラブルがあるようです。このホームページを更新しようとすると、FTPでエラーが出るし・・・まあ、前回以来遊んでいる蓄音機はOK、ネットワークドライブはファームウエアの更新をしたし・・・一応実用のレベルになっていますね。十三湊関連の資料も少しずつ集まってきましたが、年末年始は新しいものが出てきても発注しにくくて・・・まあ、柳田國男の全集でも読み始めたぐらいですかね。柳田國男の著作・・・いま読んでいるのは定本柳田國男集 筑摩書房ですが、どうもカテゴリー分けされ執筆された順とは違う並びなので、なんとなく柳田國男の考えの変化が見えにくいような・・・確か、大昔に読んだはずなのですが、記憶のかなたに埋もれています。まあ、私のアプローチとは違いますから良いのですけどね。映画や音楽を流しながら・・・Androidの入ったメディアプレーヤーは非常に便利ですね。まだ、使い方が安定していませんが・・・どうも、PCとAVアンプの相性が悪いのか?システム構成が良くないのか?時々、PCの画面にリセットがかかるらしく、暗くなります。こいつを回避するには、AVアンプとPCを切り離せば良いわけです。それが実現できそうな感じなのですが・・・暗くなった画面などにも関わらず文字入力をしてしまうので、あまり関係ないと云えば関係ないが・・・寝る時間が・・・酒を飲む時間が・・・なかなか厄介です。まあ、正月は血中アルコール濃度が高い状態で過ぎるのではないかと・・・

 さて、まずい事にネットワーク対応のハードディスク+ブルーレイレコーダーを買い込んでしまいました。シャープのBD-S550って右のやつです。おかげで、システムは極めて単純なものへ・・・不要になった機材の多い事・・・そして、PC上の映像や音声は、アンドロイド搭載メディアプレーヤーでWi-Hiで再生させることにしました。これで、PC側のストレスは無し・・・ネットワークで繋がっているだけですから。家電製品は徐々にネットワーク対応になって来ていますから・・・そのうち洗濯機とかもPCと繋がるかもしれないですね。オーブンレンジなんか連動してくれると面白いかもしれません。しかし、逆に言えば、これから先の家電製品の飛躍的な進歩を考えると、消費税の増税前にあわてて買う必要はないのかもしれません。まあ、今回の購入品は当面の繋ぎのようなものですけど・・・一応、ネットワークに繋がりアンドロイドとかからも認識されていますけどね。IP接続によりiLinkなども過去のものになりつつあるようだし・・・有線から無線へと私の所も進化している・・・

 さて、香取志 12コマ の続きを・・・どこまでやったか?悪王子・・・

この社に真っ直ぐに向かって南方に広野がある。5・6町ぐらいあって、一株の松の木がある。世に、鞍掛の松という、土御門天皇の建仁の頃に、千葉介常胤の五男の国分五郎胤通がこの郡の矢作城に居た。一日で香取人具へ詣でようとして、ここを過ぎようとしているとき、従者が、ここは返田の神社へ真っ直ぐ向かうところなので、下馬しましょうというが、胤通は下馬せずそのまま過ぎようとすると、馬が突然驚いて胤通は馬から落ちてしまった。

 残念ながらこの松は良くわかりませんでしたね。返田神社の鳥居から真っ直ぐに南へ伸びる道がありましたが、雰囲気としてはお稲荷さんのあたりかな?とか考えましたが不明です。

それで、恐れて馬の鞍を取って、傍らの松に掛けて神にささげて、その罪を詫びて徒歩で神宮を参拝しに行った。これで、今では鞍掛の松というのである。その後、神宮を参拝に行くときは、ここにたどり着く前に下馬して歩いてここを通り過ぎてまた馬に乗ったという。胤通が常に下馬した所を、今は下馬谷という。乱れた世だといえども、神威の厳然とした事を見るに足りる。この神の祭祀、11月13日である。改造は側高と同じく、国家の財源によって行われる。

 現在は、返田神社の脇の道を車が通っていますから・・・下馬の必要がある道とは違うのではないかと・・・多分、鳥居をくぐって進み、拝殿前の広場まで道が続き、そこで拝殿脇を通るという道だったのではないかと思います。根拠は例によって無いのですが・・・鹿島神宮も本殿のすぐ脇に道があったのですが、畏れ多いというで、明治初期に付け替えられていましたね。廃仏毀釈の影響なのでしょうか?ちょっと気になります。明治11年3月27日の社務日誌に「栗谷より馬通行の奥馬場従来の道を塞ぎ、旧路より二十間余遠ざけて新路を開く。神殿近くの通馬を憚ってなり。」ってね・・・ですから、神社の近くの道ってかなり付け替えられている可能性があると勝手に思うわけです。松の木の所在が不明なのでこれ以上の推測は不可能ですね。次は・・・


大戸神社
神宮を相隔てる事二里香取郡大戸村にある。社家の伝説に天武天皇の白鳳年中にこの社を建てて、手力雄の神を祀る。この社の祭祀は数度ある。大概は神宮の祭祀に擬えたので、また神宮より諸神饌幣帛を備えず、神地神戸を分かち与えて祭祀の用途に充て、ならびに祠職の秩禄としている。神宝は龍面で、これは非常に珍しいものである。木でも無く金石の類でもなく、人の作ったものではないとされている。昔、鹿島郡の矢作野に天からおりてきたものと言われている。今、この場所を天降と呼んで、里人は祠を建てて祭っている。村里で旱魃になるときには、雨乞塚という場所にこの面を出して、三度水を灌ぐと、必ず龍が起き上がって雨を降らすという。



 大戸神社は香取神宮を写したような神社だと思いますね。拝殿前に神木がありますから・・・現在のではなく、古い姿の神宮を写しているのではないかと思われます。そして、大戸神社は南東に向かって建てられています。かつての神宮の社殿も南東を向いていたと妄想していますからね。

 大戸神社は、元禄13年の造替は断って、それで香取神宮から経済的な独立を得た神社ですね。近くには長沼があって・・・大戸の集落に関することが分かりません。気になるのは、香取神宮から独立を果たした財力は何なのか?八月の新嘗祭に市が立つようですが・・・確かにこの神社のまわりの道幅が広く・・・なんとなく大きな広場のような雰囲気を醸し出していますからね。商業かね?

 祭礼に関しては・・・年中行事は、司召が一月一日の夜、元三祭が一月一日、青馬祭は一月七日、射的は一月十六日、勅使参向二月上の申の日、廃されている。萬燈祭二月中の巳の日の夜、軍神祭三月上の巳午の日、今は廃絶。御田植祭は四月五日、市が立つ。流鏑馬は五月五日、名越祓は六月の晦の日、新嘗祭は八月上の丑の日、市が立つ。月日祭は九月九日、相撲祭は十月二十八日夜、大饗祭十月二十九日、御戸開祭は十一月四日、側高祭十一月七日 祭礼の当日は、遠くからも人がたくさん集まって賑わしく、特に四月の神田祭、八月の新嘗祭には商人たちもやって来て、非常に賑わっている。年間の祭事は九十五回もあって、関連の祠や末社の祭事まではちょっと書き切れないほどである。でしたね・・・確かに香取神宮を追い抜け追い越せの気概が感じられますね。

 まあ、すべては経済だね・・・経済の動きは速いから・・・元禄期に大きく力を蓄えた理由は?・・・古い話はちょっと分かりませんね。近未来は・・・アベノミクスで賃金は上昇するか?私は否定的だね・・・理由は、円安・・・100円ショップの品ぞろえが変化している・・・だって海外製品は1.5倍になっているから当然、日本製品にシフトしている・・・円安で輸入品に頼る経済体質が成立している庶民はどうなるか?・・・さらに、ここで、消費税増税が行われるから・・・消費が落ち込む・・・大多数の庶民の購買意欲はどういった価格帯のものに走るか分かっていますから・・・不急のものは買わない!よって日本経済は消費が落ち込み、円安で、中小企業の製品が買いたたかれる・・・こんな値段で出すならやめた方が良い!自主廃業の嵐がやってくるかも?そうなると・・・日本の経済基盤はさらに軟弱なものへ・・・貧富の差が大きくなる・・・失業者の増大があるようなら・・・社会福祉費が・・・負の連鎖の始まりでしょう・・・

 社会保障費を小さくするためには・・・さらなる円安かね?大量に通貨を発行して・・・均衡させるには大きな税金と国債を買わせることになるが・・・国債の購買意欲は経済が悪化している中では敬遠され・・・さらなる円売り・・・ドルよりはレートの良い発展途上国の債権か何かへの投資が広がる・・・多分・・・ブラジル・トルコ・インドかね?そうなると、ますます投資性向は国内に向かない可能性が・・・確かに、円安で株価は上がるが・・・株価の上昇=円の凋落になるのでは?どうせ、対策は増税・・・聖域であった企業に対するもの・・・本社を海外に移転する大企業が出たら・・・一気に日本売り・・・国内でも、円・ドルの両方が店で普通に使えるようになるかもしれない・・・

 コンピュータもなんとなく・・・そろそろWindowsやMacとかの時代ではないのかもしれません。私なんかは原稿書きという仕事がありますから、普通にWindowsを使っていますが・・・原稿書き関連なしで、メディアプレーヤーとして考えるとWindowsのような高価なOSを必要としていない・・・従って、高価なPCは民生用にはなりえず価格の二極分化・・・Wi-Hi対応のアンドロイド搭載メディアプレーヤーは私の所では、ケーブル代わりに使われていますし・・・これと、安いデジタルアンプを組み合わせると、それなりに高価なAVアンプ代わりになってしまうし・・・場所を取らない・・・色々な面で激動の時代がやってくるような気がしますね。

 政権などは経済の従属物だと思えてね・・・政治家は基本的に無責任ですから・・・他に気になるのは、包装費の商品の値段に占める割合・・・大したものでもないし安いものなのに・・・立派な包装・・・これが変わる時が近づいているような気がします。正月の食品を買い込んで・・・その価格の大きさにちょっと驚きましたからね。それからゴミとなった包装材の量も・・・暇なので熱量換算してみましたが・・・ガソリンも高いので・・・ゴミ燃しができるストーブがあれば、1年分の可燃ごみでひと冬越せるかも?ちょっと足りないが・・・ハイカロリーの可燃ゴミが貴重になるとか・・・また、脱線・・・

 確かに、祭礼とか境内とか香取神宮に似ていますが・・・やはり、香取神宮の伝統までは移植しきれていないのでしょう。御花祭りの歌などを見ると・・・大振袖に投島田、どれが姉やら妹やら、ササエーカーヤツトセー・・・ですから投島田は元禄期の流行ですね。よって、祭りが整備されたのが元禄期あたりになりそうです。古い神社であるが、江戸時代になって大きく発展した地域に支えられて拡大したのか?このあたりが気になるところです。御神木は樹齢600年とか言われますから・・・数百年かけてそれらしい形になって・・・財力が充実した所で、香取神宮から独立したという事ですかね?まあ、特に新しい情報は無しですから、先へ進みましょう。


神崎神社
神宮を相離れる事三里余り、香取郡神崎村に面足尊、惶根尊を祀っているとのこと。この社は今は神宮からの幣帛を受けていない。別に官より神地を賜って神事を行っているので末社ではない。そうは言うものの、昔は大戸・神崎両荘は特に神宮祭祀の調達先になっていて、改造の時はアサメトノを作る事を決まった役としていた。また、この両荘は大禰宜家の旧領地である。長寛2年6月関白左大臣家政所の御下文に書かれている。かつて大戸神社は神宮の末社であったのだから、神崎神社も昔は末社であった事は決まっている。



 面足尊、惶根尊を祀っている・・・という事は大六天魔王なんでしょが、よくわからない・・・大六天ってのは三界(無色界・色界・欲界)の中の一番下の欲界(六欲天・四大洲・八大地獄)の中の最上位の六欲天(他化自在天・化楽天・兜率天・夜摩天・とう利天・四大王衆天)の最上位の他化自在天の魔王・・・天魔波旬の統治する世界だね。波旬は仏法の力を使って地獄の門を開き、仏法による清浄を広めて、地獄に住む者の苦しみを除き、互いに争う事のむなしさを説き・・・これによって大乗とその信奉者の守護者となったという魔王を祀っている事になるのかな?この大六天を宣伝したのは日蓮でしたっけ・・・大六天は仏道修行者を法華経から遠ざけようとして現れる魔であるが、法華経を強く信じるきっかけとなり、魔王が邪魔しようとすることに打ち勝つ事ができれば、第六天の魔王はちゃんと信仰の味方になると・・・説くわけです。まあ、なんでも新しい事を信じると壁にぶつかり、元の生活に戻りたくなります。しかし、この迷いを越えれば、新しい生活に順応することができるという当たり前の事を説いているのでしょう・・・大六天が良くわからないものになるのは、この世界に占める場所と、そこを支配する波旬、その他の魔王・・・そういったものがごちゃ混ぜになっているからなのでしょう。

 しかし、このような信仰も神仏分離によって、現在の祭神は天鳥船命、大己貴命、少彦名命となっているようです。どうも、神崎神社というのは良くわからない神社です。大六天に関してはなんとなく、神崎神社の駐車場の方へ入る所にある八坂神社もかつては牛頭天王が祭られていて・・・神仏習合が色濃い神社であったと思われます。香取志の記述はなんとなく歯切れが悪い記述な様な?香取神宮の造替の際にアサメトノを作るのは世俗領主の方だと思うのだが・・・なぜ、これで末社であったと断定するかね?ちょっと気になります。論理の飛躍や、すりかえは気になります。大禰宜家の旧領地か・・・いつの時代にどのようないきさつで領主の交代が行われたのか気になります。

 国造体制から律令体制に移行し、中世の封建制社会へ移り変わる時点のどこかで領地が変更になっているような感じですが・・・領地が変更になるのはどういった場合?・・・荘園領主の大禰宜家の荘官が地頭化したのかね?荘官で郷司とかいくつかの肩書が重なった在地の実力者かね?・・・神崎は代官領と神崎神社領か・・・もう少し詳細な史料が欲しいものですが・・・またそのうち気が向いたらですね。神崎神社が・・・社伝によると白鳳2年;673年に常陸と下総の境界にある大浦沼の二つ塚から移転しているとか?この元宮がちょっと気になって・・・

 先ずは大浦沼をチェックすると、右の地図の中央やや左にありますね。近代デジタルライブラリー - 直轄工事年報. 昭和6年度 附圖 174コマ からです。旧の利根川が大浦沼の方へも大きく曲がっているようです。金口羅神社のあたりが左岸かな?そして右岸は碩口神社ですかね?近代デジタルライブラリー - 稲敷郡郷土史 附・名誉鑑 126コマ に大浦沼が出てきます。ああ、隣の十余島村の中に二ツ島として出てきますね。近代デジタルライブラリー - 稲敷郡郷土史 附・名誉鑑 187コマ ふむ、利根図誌に記述があるのか・・・ざっと読んだはずなんですが記憶に無い・・・頭が悪いので駄目ですね・・・

 神崎明神の図にありますね。ただ・・・利根図誌には香取志が引用されている。左の図はどうやら、神崎役場の方から眺めたつもりではないかと・・・すると、船の先の集落が脇川かね?そして脇川の西側に広がる水域が男女浦でその中にニツ塚があったというのかね?

 こりゃ古い航空写真を利用すれば様子がもう少し明確になるかな?

 1946年の航空写真をチェックしてみるとそれらしい地形が読みとれますね。

 右の写真です。上が南で・・・Aが神崎で、Bが脇川の集落・・・2つの弧状に見えるラインとDのかつての入江のように見える広がり・・・これが男女浦ではないかと・・・Cが大浦沼の跡かと・・・というか、大浦というのがこのあたりの浦々の総称で、それぞれの入江に名前がついていたのではないかと・・・その最後の名残が大浦沼とか?

 細長い脇川の集落などは利根川の流によってできた自然堤防の上にできたものでしょうね。このあたりの自然堤防の様子を眺めると・・・なんだか利根川の流路はかなり無茶苦茶のような?

 標高データを使って考えているんですが・・・なんとなく、伝承がどこかで混乱したのではないかと・・・なんとなく・・・神崎神社は子松神社と呼ばれていましたから・・・神崎神宿の南にある小松の地の神社であったのでは?それが、現在の神崎神社の山・・・ひょうたん型の2つの峰を持つ山が二ツ塚でこれが陸続きになって神社を移転させたとか?なんとなく、現在の神崎の中心街が標高データからすると水の中?左の図のAが神崎神社の山、Bは小学校とかわくわく西の城とかがある標高の高い所、Cが小松・・・律令の駅がおかれたか?そしてDが郡台とか言われる神崎駅の南の台地・・・ここがかつての群衙があった場所ではないかと・・・妄想しています。

 香取郡の群衙の移転は多分、この西の入江が使用不能になったために東庄町の今郡に移転したとか・・・多分、白鳳期・・・白村江の戦いへ向けて海上交通が盛んになってのことではないかと・・・でも群衙が置かれているのか?この時代・・・評だっけ?・・・じゃあ、神崎方面への・・・下総国印旛郡鳥取駅、埴生郡山方駅、香取郡眞敷・荒海等駅廃す。要らないから・・・か・・・805年の事か?何かごちゃごちゃになっているような気がしますね。

 ちょっと、新しく仕入れた本の中にこのあたりの古い地図が出ていました。右のものですね。やはり郡の台地の上の平坦な場所ぐらいしか群衙とか正倉を置けそうな場所は無いようですね。・・・ん?近代デジタルライブラリー - 稲敷郡郷土史 附・名誉鑑 188コマ 十余島村は寛永年間の創設らしいですね。ああ・・・神社が移転してきているのではないようです。昔二ツ島に大神降りまししを後に押砂に移しまつる半田の里にと此神を祭りオシラサマと云う此島より龍燈あがりて神崎の社に移りてかかり暫くして元の地へかえり落つるとぞ・・・なんだか、大洗磯前神社みたいな話ですね。神社が移転してきたというわけではないようです。

 おしら様とは・・・蚕の神・農業神・馬の神・・・ですが・・・

近代デジタルライブラリー - 房総叢書 紀元二千六百年記念. 第1卷 縁起古文書 164コマ 神崎神社文書 こんなのも眺めますが権利関係のものは面白くないしね・・・

 追加情報としては・・・応保2年の譲り状だって?見てるはずなんですが・・・

 ふむ・・・応保二年六月三日に譲り状があります・・・見ているけど見ていない理由はこの、右件に並んでいた私領田畠のリストが面白くなかったのでよく見ないで飛ばしたという事のようです・・・
なんだか分からんものは注意して見る事は無い・・・見るには何らかのきっかけが必要という事なんですね。こういった見方をするので、日本総国風土記などは偽書ではないと思うわけです。統計資料のような物を作る場合は・・・仕事で作るのであって、趣味で作るのではないから・・・そうだ東日流六郡誌絵巻などは趣味の領域で偽書の香りが高いですがね。偽書と云うか・・・面白い読み物といえますかね・・・

 学問など、しかめっ面してするものではないので・・・私は・・・遊びなんで直ぐに見落としてしまいます。もっと注意深く本を読まねばいけないのに・・・財産は細分化されるという事か・・・どうも、不真面目は性格なのかも知れませんね。なぜか・・・パッチ・アダムスを見ながら本を眺めたりしていますが・・・映画と現実の違いも分かりますが・・・遊び遊びの研究とかも良いのかと思いますが・・・間違いを恐れなくて良い・・・期日までに仕上げる必要はない・・・自由な発想・・・妄想の世界を構築することが簡単にできる。でも・・・お金にはならない・・・確かに、私はソフィストでしたが・・・今も、模試などを作っていますが・・・知識の切り売りで食べてましたが・・・只一つの答えに決まる事ばかり教えてきましたが・・・面白くないんでね。解釈には可能性があるはずですから・・・歴史って・・・その時代に生きた人のその時々の判断の集積・・・だから、私には面白いのです・・・

 しかし・・・食べていかねければなりませんね・・・それが問題・・・そろそろ気合を入れて金もうけをしないといけないかな・・・そんな気がしています。

 利益の上がる所領でも相続していれば・・・ヘンリー・キャヴェンディッシュのように・・・年間所得が5000万円ぐらい安定して入ってくればね・・・私なんか・・・必死に働いても・・・

 さて、あちゃ・・・またやっちまった・・・本文を引用している本の方で先読みをしちゃってたぞ・・・

この応保二年の書状や、嘉元二年四月二十二日の大禰宜実綱与奪状だって・・・大戸神崎村田櫻田以下神祭物等之事・・の文を持ってみれば昔末社だった事はいよいよ明らかである・・・

 はいはい・・・でも気になるのは・・・大戸・神崎神社にアサメトノを注文するのではなく、世俗領主への注文のはずだが?神社はそれぞれ独自に神田を持っているようですし・・・宗主権を香取神宮は持っているが・・・経済的には半独立の神社と云う事か?それとも・・・香取神宮と同じように、大宮司・大禰宜体制に近いとか?宮司・禰宜体制なのか?なんだか・・・禰宜は在地の管理者で、宮司は派遣されるお目付け役?共産圏の兵科将校と政治将校の関係みたい・・・

 支配というのは、どこでも基本的に変わらないのかもしれません。在地の組織を下部組織として、上部組織が支配するには、基本的には上部組織から人を派遣して監視させるだけで良いのですから・・・既存の組織を末端として構成する事で支配は成立する・・・当たり前の事か。

2014.01.07

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参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
電子資料館 | 国文学研究資料館 
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