香取神宮をうろうろ(74)
 香取志 (8) 祭神について・・・

 さすがに11月になると寒くなるものです。まだ年末に向けてという感じではないですが、年賀状の写真を撮ってくれとか依頼が来てますね。おかげでちょっと忙しくて・・・読む本も増えてしまったし・・・カラオケも練習しなきゃいけないし・・・ギターもクラリネットもいじりたいし・・・寒いから布団から出たくないし・・・香取志 9コマから進まないし・・・中具羅がね・・・

 寒いのは困りものだね・・・暖冬が好きなんですが、困ったものです。高級おはじきも、今回は太陽の色をしたシトリンですね。これは8カラット近い石ですから・・・きっとアメジストを加熱して黄色くしたやつではないかと思います。前回のものより赤味が弱いものです。美しいものですけど・・・私が持っていても価値はあまりない・・・希少なものであればあるほど意味がない気がしてね。書籍に関しても・・・結局はゴミみたいな本ばかり溜まってくる・・・中には希少性の高いものもあるかもしれないが・・・私が死ねばゴミになっちゃうんでしょう。そうだ、死んだ時に捨てるものと、売り払うもののリストを作ると良いかもしれない・・・

 さて、香取志を先に進める事にしましょう・・・

神名式下総国香取郡香取神宮又祭神を記せるは神代記に天つ神、經津主の神、武甕槌の神を遣わして葦原中国に二神の言うには天に悪しき神がある。その名を天津甕星という。亦の名を天の香々背男、この神を先ず誅して後に、下って葦原の中つ国を払おうとするとき、斎主神イワイヌシノカミを斎の大人イワイノウシトと申す。この神、いまは東の国の香取郡の地に在ります。旧事紀に經津主の神は今は下総の国の香取大神是なり。古語拾遺に經津主神是磐筒女神の子、今志の房の国香取神是なり。総国風土記に楫取郡香取神宮云々、經津主の神を祀る。神名秘書に經津主神正一位勲一等下総国香取郡に座す。二所大神宮遷行時代抄に經津主神下総の国香取の社。常陸風土記に古老の曰く、天地のはじめ草木ものいう時、天より下って来た神の名を普都大神と称す。葦原の中津の国を巡り、荒梗の類を平定した。大神は既に仕事が終わったとして、天に帰ろうと決め、その時に身に着けていたもの、(俗に云う伊川乃)甲・戈・楯・劒、それから身に津行けていた玉珪などをすべてこの地に置いて、白雲に乗って蒼天へ昇って行った。重規云う、是即ち信太郡高久の里の事であると。斯くて古史成文この神を吾が神宮の事であるとしている。由来をここに附す。

 参ったな・・・また、わからん文献が沢山出てくる・・・神代記は多分日本書紀のおなじみの話ですね。斎主神を斎主大人と言い変えている?日本書紀の本文ではなく、一書に曰くの系統のものですね。近代デジタルライブラリー - 訓讀日本書紀. 上巻 55コマ 本文の記述を取らない理由は・・・この神が香取神宮の祭神であると明記されているからだね。これが重要だったわけです・・・一書に曰くが、何の伝によるのか明瞭だと良いのに・・・何か目印になるものはないのかね?とにかく、日本書紀が編纂されたときには、香取神宮は存在していて、そこの祭神も經津主神であることは間違いないようで、経津主神・斎主・斎の大人が同一である事になるのか・・・大人・・・ウシト・ウシ・ヌシだな・・・すると、經津主神=斎主神は斎の大人・・・その地の支配者として出かけたという事かね?こういった、使い分けは気になるんです・・・でも、最初から主であるのだから・・・斎主の大人という肩書で出かけたという事ですかね?・・・つまらない事にこだわっているような気がしてきた・・・

 次は旧事紀ですね。木に竹を接いだような偽書と目される本・・・近代デジタルライブラリー - 旧事紀訓解. 上 251コマ 栗田君あたりはこれを偽書としたい理由はわからなくないですが・・・蘇我氏が物部系の本を使って編纂したような気がしますね。蘇我氏か・・・大陸系の文化を有する氏族・・・蘇我馬子の妻は物部守屋の妹だというので物部氏の相続権を行使して手に入れた本ではないのかね・・・多分、古事記・日本書紀・古語拾遺などの元になった本であると考えた方が自然な気がしますね。

 多分、日本が大陸から継受した文化の年代的な差が、文書の表記に現れているのではないかと・・・物部氏は後漢の頃の文化の継受で・・・書式もその時代の流行のもので・・・この系統のものが、駿河とか日本のあちこちに分散していて、その記録方法で書かれたものが、官吏を養成するのが間に合わず、在地の連中を中心に編纂された記録が中央でもまかり通って・・・そういったものは、後代の文化継承の中央の公式文書から見ると奇異な物に見えて・・・本居君のお気に召さなくて・・・偽書のレッテルを張られることになった・・・本居君は講談本のように美しい整合関係を正しいと考えたのではないかと・・・だから、基本は古事記で、日本書紀などの一書に曰くなどの不体裁なものは嫌いだったのではないかと・・・そして、原資料に忠実な木に竹を接いだような旧事紀は気に入らなかったのでは?

 そうだね・・・アルキメデスの原理で浮力を説明するテキストと、圧力の差で浮力を説明するテキストの差のような物かね。どちらも正しく見えるが、はっきりと好みが分かれる・・・私だと都合のよい方を適当に使いますから・・・ただ、ごちゃ混ぜに解説を書くと分けのわからない物になるんでね。それと同じようなものでしょう。

 古事拾遺は以前確認したっけ。それから、総国風土記は見たけど・・・省略されている部分が曲者ですね。神名秘書・・・これはわからない・・・何だろう?神道五部書?伊勢二所太神宮神名秘書 14コマ 神階か・・・伊波比主命の神階が正一位になるのは・・・嘉祥三年9月15日のようです。とはいうものの春日大社の伊波比主命大神のようですが・・・そして勲一等になるのは元慶6年;882年12月9日らしいですから・・・それならば、伊勢二所太神宮神名秘書はこれ以降に編纂されたか編集が加わっている書物なのでしょうかね?・・・どうやら、この本は弘安8年;1285年のもののようです・・・

 二所神宮遷行時代抄・・・遷としましたが、右のような字を使っています。意味は遷と同じだろうと思うので・・・あまり自信はないけど・・・この本が見当たらない・・・二所神宮は伊勢神宮の内宮と外宮の事なのでしょう。遷行時代は・・・伊勢神宮が現在の場所に鎮座する前の時代という意味ではないかと・・・元伊勢などと言われるものですね。

 崇神天皇の時代までは皇居内に二所神宮の内宮は祀られていたが、この状態は畏れ多いと先ずは倭国笠縫邑に移したことから始まる時代の話のようです。この事に関して詳しい本は・・・京都大学附属図書館所蔵  平松文庫 『皇太神宮儀式帳』かね?崇神天皇の時代には倭国は東征により九州から移転しているので・・・三輪山界隈・・・物部氏が・・・詳細は良くわからない・・・気合を入れて読み解いていかないといけないものが現れてしまった気分です。二所天照皇太神遷幸時代抄って本があるらしい・・近代デジタルライブラリー - 真福寺善本目録 44コマ 鎌倉時代末期の本らしいですね。小林君はどこでこういった本を眺めてきたのかね?幕末の鹿島神宮の桜山文庫とか、水戸とか、香取もかなりの蔵書があったようですが・・・

 そういえば読んだことが無いものに 近代デジタルライブラリー - 検索結果 大日本史 源光圀 こんなのがありますね。小林君も水戸学系の人とのつながりもあるはずだから・・・大日本史を編纂するにあたっての資料を眺めている可能性もあるだろうし・・・私はつまみ食い程度で全体を眺めたことはないから・・・これを機会に少しずつ眺めて行きますかね・・・大日本史の書き出しは神武天皇からなんだ・・・こんなことも知らなかった・・・漢文だから読む気力がなかったのでね。ざっと眺めると悪くない・・・誰かデータベース化しないかね?

 続いて、常陸風土記信太郡の話を持ってきていますね。高久の里での出来事・・・經津主神はタケミカヅチとは異なる神で、古事記には出てこないけれども、昔から存在しているのだと小林重規君は高らかに宣言していますね。さて、続きは香取志 10コマ です・・・

相殿神
比賣神 天児屋命 武甕槌神
秘府実録に曰く、同殿に坐陪従うので、相殿の神と称すなり。


 主祭神が經津主神で比賣神は經津主神の奥方で、天児屋命は中臣氏の神様ですね。天照大神が岩戸に隠れたとき、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した神様・・・天孫降臨の時には瓊瓊杵尊について下り、中臣連などの祖になった・・・武甕槌神はおなじみですね。また。聞いたことはあるけど知らない本が出てきた・・・秘府実録・・・相殿神とはこんなのだよって、この本に書かれているという事なんでしょう。秘府実録か・・・秘府って朝廷の書庫に蔵している本の話で・・・神皇実録の事のようですね。あった・・・この15コマからの引用のようです。なぜこんな注記を行った?ありえないと思うが・・・相殿神というのが一般的な言い回しでないと思ったのですかね?それとも陪従という言葉を持ってきたかったのか?とか色々と考えてしまいます。

 近代デジタルライブラリー - 延喜式祝詞諺解. 下巻 24コマ 出雲国造神賀詞では天夷鳥命に布都奴志命を副えて天下・・・ですから。日本書紀なら、經津主神に武甕槌神を副えていますから・・・古事記だと武甕槌神だけになってしまいます。さて、どれが事実か?服属礼の出雲国造神賀詞のような気がしますが・・・天夷鳥命もちょっと気になる部分がありますから・・・古事記の記述はちょっと解せない・・・さて、続きは・・・と行きたいのですが・・・まずい、房総志料の写本を買い込んじゃった・・・まずいな、達筆で・・・どうやら、陸軍文庫の系統とは違った写本のようです。虫損は非常に丁寧に修復されています。振っても虫は出ませんでしたから、現状では、虫損の拡大はなさそうです。

 出所を推定する事が出来るものは、右の写真にもある朱印が1つ、それから櫻5.3.14井の丸い日付印だけですね。陳綿かね?虫損ではっきりしない・・・これもざっと読んでみないと・・・一応は、陸軍文庫とは違うというのは、自序の最後に署名が無いからと言うだけです。一応ネット上には近代デジタルライブラリー - 房総叢書 紀元二千六百年記念. 第6卷 地誌其一 6コマ に陸軍文庫本の写真があるのと、房総志料 大和文華館のものがあって、この文華館のものと内容は一致するようです。朱書き等はなく、綺麗なものです。虫食いの補修は手間のかかる方法を取っていますから大切にされていたことはわかりますね。さて、こいつをどうするか?これを読み始めると馬琴君の南総里見八犬伝も読むことになるから・・・なかなか厄介・・・この調子だと、死ぬまで遊びに困らないだけの文献がネット上にあり、こういった写本もオークションに出るんじゃ・・・面白くて仕方ないですね。これは一回ざっと読んでそれからとしましょう。何しろ香取志はまだ山ほど残っていますから。でも・・・古い房総の交通路にも興味があるので・・・それより問題は、この本にチャレンジするだけの古典的な教養が無いのが問題とも言えます。古眼の持ち主だと、蔵書印からだって様々な情報を引き出せますからね・・・そういった知識が、私にはない・・・今のところは・・・負け惜しみに近いですが・・・でも、買い込んだ以上は・・・それなりに遊ばせてもらわなければなりませんからね。まあ、まだざっと虫は入っていないか一通りめくっただけですが・・・この時代の写本にも修正ホワイトが使われていますね。白色の顔料で書いた文字を消して上書きしてある部分があったり、線を引いて削除している部分があったり、写本の際の苦労があるような?房総志料 35コマあたりの図は、私の写本の方が上手いかな?というより、図の配列が少し違いますね。近代デジタルライブラリー - 房総叢書 紀元二千六百年記念. 第6卷 地誌其一 17コマ 原本とされる陸軍文庫本の方が稚拙かね?ただ、この絵の現物を見ていないからわかりませんけど・・・あとは、中村君の手になる字や絵をもっと見たいものです。まあ、活字本と写本の陰影と写本がありますから、ある程度比較できると思いますが・・・誰がいつ写したかわからないのがね・・・少なくとも、3つの写本のうち書かれている文字が多そうなのは私のもののようです。鈴のついた佩物?の図などは・・・現物を見ないことには優劣は競えませんが、悪くないタッチですね。

 関連するのは滝沢馬琴・・・作者の滝沢馬琴は,物語の舞台である房総を一度も訪れていません。参考にしたのは中村國香の書いた『房総志料』全5巻でした。馬琴は長者の中村家を訪問し,数日滞在し,房総志料を筆写したと伝えられます。ってどこかの解説にありましたが・・・?房総を一度も訪れた事が無い・・・長者の中村家を訪問し,数日滞在し,房総志料を筆写・・・う・・・わからん?長者は房総の集落の名前と思ったが・・・?

 まあ、これは後回しです・・・でも、ペースが落ちるのは否めないでしょう。面白いものが増えると大変・・・寝る時間を削らないと遊べない・・・

 この房総志料を眺めていて、ちょっと気になったのは夷隅郡の文字・・・何やら難しい漢字が使われています。中具羅を流していた時の駿河の駿の字の見た事のないような漢字・・・夷隅の隅もね。そこで、脇道にそれて、夷隅郡を簡単にチェックしたら・・・近代デジタルライブラリー - 千葉県夷隅郡誌 116コマに名義とあって古事記に「伊自牟」とあり、日本書紀には「伊甚」その郡に顕れたるものがの続きが右の写真の夷隅郡で、わざわざ活字を作っています。そして、中村君は房総志料(私の所の古写本)で右の写真のような文字で示しています。

 なんとなく、弥生人へ飛びますが・・・出雲のあたりの人間が、船で能登半島をまわり、富山・糸魚川・上越あたりから松本盆地・甲府盆地を経て富士宮・富士あたりへ進出、そこから、伊豆半島まわり、安房へと広がって行ったのでは?どうも、こういった画数の多い文字を見ると篆書体をイメージしてしまうので・・・まあ、文字を知らないためかもしれませんが・・・でかい漢和辞典でも探すかね?・・・こういった文字の雰囲気からすると・・・富士の古文書・・・宮下文書や徐福を考えると・・・トンデモ研究的になりますが・・・紀元前3世紀あたりの文化の継受があってもおかしくないような気になってきます。

 こんな風に、文化を継受した時期の違いで、栗田君の云う古眼が狂わされる可能性が高いのではないかと思うわけです。中華帝国でも、後漢のあと、隋の成立までの間は文化的な力をつけてきた地方の時代のような気がして、そのあおりで、日本にも様々な経路で特色を持った中華帝国の地方文化が流入して行ったのではないかと勝手に推測するわけです。

 徐福の伝説も開拓移民の伝承なのではないかと・・・高い技能とやる気を持った、若い3000人の男女による開拓遠征・・・東瀛の最高峰を目指して・・・富士吉田に前進基地を置き、秦の持つ最新文化で開発を行い・・・やがて、その残滓が、新たな根を同じくする文化の中に消えて行ったのではないかと・・・あれ?また外れている・・・まあ、遊びですから良いでしょう・・・前進しているような後退しているような?・・・・続きは次回ですね・・・

2013.11.10

関係ないが、興味深いもの
近代デジタルライブラリー - 南方渡海古文献図録 海事関係の資料も興味深い・・・
近代デジタルライブラリー - 検索結果 中山伝信録 
近代デジタルライブラリー - 三輪叢書
近代デジタルライブラリー - トルストイ民話集 なんとなく急に読みたくなりました。
近代デジタルライブラリー - 千葉県夷隅郡誌 房総志料をやるときはこれも見なきゃ・・・
  

参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
電子資料館 | 国文学研究資料館 
近代デジタルライブラリー - 検索結果 明治神社誌料
 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 千葉県 534コマ
 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 茨城県 592コマ
近代デジタルライブラリー - 検索結果 日本地理志料 
国立国会図書館デジタル化資料 - 和名類聚抄 20巻 
大日本海志編纂資料 資料分類
近代デジタルライブラリー - 大日本神名辞書
茨城県遺跡リポジトリ
近代デジタルライブラリー - 仮名日本書紀. 上巻 204コマ 景行天皇
国際日本文化研究センター 怪異・妖怪伝承データベース
近代デジタルライブラリー - 検索結果 和漢三才図会
近代デジタルライブラリー - 和名類聚抄地名索引
近代デジタルライブラリー - 検索結果 名義抄
近代デジタルライブラリー - 検索結果 令義解
近代デジタルライブラリー - 検索結果 神祇志料
近代デジタルライブラリー - 検索結果 古事類苑
近代デジタルライブラリー - 検索結果 政事要略
近代デジタルライブラリー - 検索結果 大日本古文書


近いうちにやりたいもの
古文書(冊子・一紙・巻子・絵図) 日本銀行貨幣博物館 これって面白そう・・・特に、社会関係史料が・・・
近代デジタルライブラリー - 検索結果 徳川時代商業叢書
近代デジタルライブラリー - 検索結果 日本財政経済史料
近代デジタルライブラリー - 検索結果 大神宮叢書
近代デジタルライブラリー - 大原幽学全集

  










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