香取神宮をうろうろ(63)
 茂呂の探索 (3)

 茂呂神社・・・なんではまるかね・・・別に茂呂でも何でも良いのですが、神社の系列や寺の系列などに興味があるんです。こういったチェーンって経済的な意味も持ちますからね・・・上納システムとか・・・こういったものを直ぐ気にしてしまいます・・・そういえば、新聞を眺めたら、消費税引き上げに賛成が53%なんって・・・信じられない!私は100%反対ですが、上納のメリットがあるのか?気になるわけです。単に金がないから寄こせ!の方がわかりやすい・・・社会保障のために導入されたのは良いとして・・・なぜ、保険料や年金の積立金を払い続ける?雇用保険や・・・様々な社会保障システムに金を吸い上げられているのに・・・保険や年金関連がゼロになるなら、消費税は15%程度、それ以上あげられるのでは?多分25%弱がリミットでしょうが、その方がわかりやすい・・・集金のシステムが色々あれば、それだけ経費がかさむから・・・どうせ、目的をつけて税を取っても、政府の信用というものを使って借金すれば、目的税も意味がない・・・見かけを変えても同じことなのさ・・・だから気分はアレキサンドライト・・・右の写真だね。エメラルドだけど光源によって色が変わる・・・無茶苦茶高価な宝石・・・10.4カラット・・・ロシア産の天然石なら一財産・・・残念ながら、これは結晶としては完璧に近いサファイアの合成石・・・でも、美しいので好きな石ですね。ろうそくの光と陽光では色が変わる・・・陽光では青ですから・・・合成物が出る前の時代へ行くためにタイムマシンが欲しくなります・・・さて、茂呂は・・・

下野国 国府 都賀郡
郡 足利(アシカカ)、梁田(ヤナタ)、寒川(サムカハ)、河内(カフチ)
  芳賀(ハカ)、安蘇(アソ)、都賀(ツカ)、塩屋(ノヤ)、那須(ノス)
駅 足利・三鴨・田部・衣川・新田・磐上・黒川 各10疋
伝馬 安蘇・都賀・芳賀・塩屋・那須郡 各5疋

 メインの足利・三鴨・田部・衣川・新田・磐上・黒川あたりをちょっと眺めて・・・

 例幣使道はどうやら、近代デジタルライブラリー - 下野国誌. 巻之1 30コマでは、太田-八木-梁田-川崎-天明となっていますね。足利は例幣使街道に入っていない・・・足利の南の梁田郡を通っている?足利郡の郡衙と梁田郡の郡衙が隣接している?・・・なんだか分からない・・・上野の東山道は坂本-野後-上野国府-群馬-佐位-新田か新田が現在の太田市ですね。そうすると、群馬県道39号線、新田郷・・・治良門橋駅のあたり・・・木枯し紋次郎の生まれた新田郷三日月村の南・・・だな。群馬県道39号線を西へ・・・伊勢崎つまり佐位へ向かえば・・・あれ?三室なんって地名と三室神社がある?・・・清宮君に云わせると三室と御茂呂は同じだろうね・・・三輪山か・・・御諸山・・・

 伊勢崎の南には茂呂があって、群馬県道295号線沿いを押さえていますね。そうなると群馬県道39号線と295号線-国道462号線の交差するあたりが重要な場所ですかね?いや・・・なんとなく、茂呂小学校の北の道が怪しい・・・栃木県道293号線と39号線の交差・・・下柏木町北交差点・・・伊勢崎の街って2つの街がくっついているような?粕川の北側の台地の部分と、

 こりゃ、また古い航空写真の出番だな・・・伊勢崎のあたりの航空写真は結構古いものがあるようです。昭和17年の陸軍の航空写真・・・あまりコントラストが良くない・・・雲の影が写っていて・・・トーンをコントロールしないと・・・

 頑張って補正しましたが・・・見たいものが出てくるようにかなり恣意的に調整・・・ガンマーをいじって、さらに出力範囲をいじって・・・コントラストを無理やり上げて・・・さらにシャープになるように・・・さて出てきたぞ・・・というわけです。先ずはAが伊勢崎の茂呂のようです。Bが国道462号線でしょう。その直ぐ下の交差点が群馬県道18号線とのやつですね。茂呂は、どうやら広瀬川に津を持ていたようですね。パターンとしては佐野の茂呂も伊勢崎の茂呂も同じようなパターンで津を押さえています。そして群馬県道18号線も・・・ん?この県道18号線ってなんとなく変?これを西へたどっていくと・・・戦後すぐの写真で確認できますが、現在建設が計画されている国道354号線玉村町-韮塚ラインが存在しているような?現像斑かもしれませんがね・・・例によって見たいものが見えるのか・・・

 でも、古代の計画道路と同じものを現代に作るのかね?ちょっと面白いような気がして・・・

 この写真からすると、伊勢崎は2つの街がくっついてできたような感じ・・・中央に写っているのが粕川でしょう。それが町中に入って分けています。Aの上のあたりの粕川の北の部分それとBの上の粕川の南の部分という感じです。

 まあ、茂呂と計画的に繋がっているように見えるので、なんとなくそんな風に見てしまいますが・・・

 茂呂関係のものは・・・茂呂故塁なるものがあるか・・・近代デジタルライブラリー - 上野国志 63コマ 那波家の持なりしを、金山より取りて、根岸、三河を置く、天正18年に廃す・・・近代デジタルライブラリー - 上野名跡志 3編共7巻. 3編 8コマ これのよれば、雀部佐々伊部、美侶・・・伊勢崎美侶は今の茂呂村かと云・・・

 万葉集もちょっと眺めました・・・近代デジタルライブラリー - 民族学より見たる東歌と防人歌 104コマ ちょっと解説に興味深いことが・・・彦狭島王の話・・・茂呂で話題にしている地域のことが出てきています。歌の中ではそれほど面白いものはないですが・・・そう、佐野のあたりは万葉の頃の開拓みたいですね。ああ、なんで上野まで広げなきゃならんかね・・・高崎から佐野まで、茂呂が繋がっていることはある程度示せたかな?

 しかし、困るのは足利と梁田の関係です。例幣使街道のからみからすると足利は・・・?佐野地区の駅は茂呂だし・・・伊勢崎を含む佐位郡の宿もなんとなく茂呂みたいだし・・・ああ、そう・・・上の写真の茂呂のAの上の道の繋がる先が佐位郡の郡衙の跡らしいんです。粕川の北側・・・だから茂呂は郡衙の外港+宿と考えても良いのでは?なんって思えるわけです。そして、なぜか、郡衙と街って離れているような気がするんです・・・鹿島郡の郡衙跡も、鹿島神宮などから離れている。谷津を挟んで反対側に神野って集落があったり・・・相馬郡衙跡も明らかに街道から入った所にあって民家とは離れた場所に存在するような?まあ、正倉があると、倉庫群のまわりに壕を設け、そこから150mほどは建物を置いてはいけないことになっていますからね。そして、正倉は津に面した高台にあって・・・そこから150mほどの所に郡衙の建物があるのでしょうから・・・郡衙は南面ですかね?

 とにかく、群馬-伊勢崎(佐位)-太田まではOK、例幣使街道では足利が飛んで代わりに八木-梁田-川崎-天明-富田-茂呂-富田-栃木・・・と繋がっていますね。

 先ずは八木は何?塩島村あたりにあるが・・・明治7年に南友之郷・北友之郷・中里村・和泉村・八木宿村が合併して福居町になるのか・・・八木節の発祥の地か?足利からかなり離れている・・・新田郡衙と足利郡と梁田郡を結ぶなら・・・

 ああ、古代と近世では街道筋が変化した・・・太田の中心地が移動した・・・新田郡の郡衙を抜けるなら県道39号線40号線を通って・・・違うじゃん・・・39号線中川町に渡し場を置けばOKじゃん・・・そうしたら、足利に入る・・・そして足利駅に入れる。渡良瀬川はどこかで渡らなけらばならないのだから、ここがベスト・・・古い航空写真で対岸をチェックすると・・・工場が進出していた不明・・・そのまままっすく歩いて渡ったか?いずれにせよ、栃木県道39号線只上から中川・借宿あたりで渡って、県道40号線で進めばOK ですね。・・・違った県道67号線だ・・・だから、本来は只上で渡るが、後に中川・借宿に移転、さらに橋ができたのか?・・・古い航空写真からすると、このあたりの川筋は落ち着かないような?浸食の跡の段丘がかなり複雑、それにつれて道もかなりつけ変わっているような?

 河川が蛇行した際のくの字の段丘がいくつも重なるように存在しているから・・・多分、渡良瀬川の動きからすると・・・只上を渡るのが自然な・・・これが古い道・・・妄想的な推測・・・そして・・・

 足利は足利、三鴨は多分例幣使街道=県道67号線の三鴨神社近辺かね?岩舟町畳岡・・・何やらここに遺跡があるようです。
 後にここから、4km南の三鴨小学校のあたりに移転でしょう・・・街道の付け替えがあったのでは?多分、佐野の東の沼沢地と三鴨山の北を通っていた街道が、南を通る道へ変わったのかね?それとも、古河への道の方が経済的に価値があったか?・・・でも、足利から鹿沼だったら国道293号線だと思うが・・・多分、600年代後半になって山より低湿地の開発が盛んになって・・・と考えたくなります。・・・佐野界隈の低湿地が水田の開発が進んでからでは?なんとなく、佐野市は律令の新田開発の産物のような気がします。
 根拠は・・・佐野の神社は朝日森神社で祭神は菅原道真で、治安3年;1023年の創建。そして、天孫星宮慈照大明神だった星宮神社が1140年代に創建ですね。ですから・・・900年代の後半になって・・・早くても百万町歩開墾計画の養老6年;722年以降でしょう。条里制の街の様な気がするのは・・・航空写真です。昭和17年;1942年の陸軍のNJ-54-30-7というもの・・・右の写真です。現在の街と全然違う・・・写真中央が多分、佐野南の辺りではないかと・・・北の方は、城があって、そちらの方が戦後に発展したのかね?そして興味深いのは、中央右下あたりの直線道路に沿って立ち並ぶ家並が茂呂神社の街です。この場所は湿地と湿地の間の良い場所であると思われますね。この集落の全盛期は2つの入江で津をつなぐ街・・・しかし・・・この茂呂は・・・高萩・馬門であって・・・条里制の中心は植野町か・・・

 とにかく、茂呂神社は非常に良い場所ではないかと・・・やはり、茂呂のネットワークが物流を担っていたのでは?なんって・・・茂呂神社の南で分かれる道は、加須方面と古河方面ですかね?

 江戸後期のこのあたりの様子は、左の図の様なものです。天明から犬伏まで1里=4km・・・上の写真右の広大な干拓された沼は鯉名沼か・・・安蘇沼ってのもこのあたりの様だが・・・とにかく・・・三毳山があって、三鴨だと思われますが・・・犬伏と茂呂の間に三鴨の駅があったわけでしょう・・・

 そして佐野中川が高山村・西岡村の間を流れているから、これが現在の渡良瀬川、天明の西を流れる阿曽川が、現在の秋山川ですね。やっと、この地図に慣れてきた・・・

 佐野の茂呂神社は・・・東西の沼沢地の間にあるから・・・妄想を働かせると、ここが入り江だったことにすると2つの水域と南北に伸びる街道を持つ場所となるわけですね。しかし、このあたりの沼沢地の標高データが面倒・・・常総の中海は前部が繋がった等高な海面ですが、どうやら、このあたりは独立した湿地のようです。

 佐野の茂呂神社は・・・右の例幣使街道の茂呂とは違う・・・あれ?例幣使街道の茂呂はどこだ?となるわけです。こりゃ岩舟町の町域・・・

 探せば出てくるもので・・・岩舟町法第34条第11号による条例指定区域によれば・・・
茂呂新田地区 下都賀郡岩舟町大字静の一部
茂呂・羽抜地区 下都賀郡岩舟町大字静の一部
茂呂本郷地区 下都賀郡岩舟町大字静の一部

 岩舟町の地区であることはわかるが・・・茂呂は大字ではないようで・・・何?静和村・・・明治22年静戸村、三和村、和泉村、五十畑村、曲ヶ島村が合併して成立・・・茂呂の名はない?

 岩舟町に関する情報が少ない・・・有名人でもいれば・・・ん?慈覚大師円仁の誕生の地が岩舟?岩舟小学校の南300mに茂呂本郷公民館がある・・・岩舟町文化会館コスモホールの南南東200mあたりに茂呂新田公民館愛宕神社がある。茂呂本郷近くの神社仏閣は、浄蓮寺・薬師堂か・・・

 なんで、江戸後期には茂呂が大きく出ている?岩舟町=茂呂なのか?馬宿という地名があるが・・・円仁の父壬生首麻呂は三鴨駅長とか・・・慈覚大師 円仁誕生の地としての岩舟|岩舟町観光協会 う・・・大物が出てきたぞ・・・壬生氏か・・・入唐求法巡礼行記・・・まじめに読む気でエドウィン・ライシャワーの円仁唐代中国への旅 (入唐求法巡礼行記の研究)なども買ってあるけど・・・円仁の父親が三鴨の駅長で、三鴨は岩舟町にあるなら、円仁の生まれはこの地では?

 だって、養老令に明確な規定があって、駅には駅長を一人置く。駅戸のうちの家口で裕福で頑健なものをこれに選ぶ。一度置いたら、長く続けさせ、死ぬか、老いるか、病か、貧困で仕事に堪えなくなったら交代させる。交代の日には、備品が欠けているようであれば、前任者から徴収する事。辺境で、蕃賊の強奪に対抗できないのなら、この令は適用しない。近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第12巻 142コマ だから・・・駅戸の裕福な壬生首麻呂が駅長なんだから・・・法は厳格であって例外規定はないでしょう。というわけで円仁は私の頭の中では三鴨の駅戸の人間であると決定です。問題は・・・円仁の父壬生首麻呂は三鴨駅長というのが確実かどうかだけです。・・・・観光協会のページで「「桓武天皇の延暦13年、廣智菩薩が大慈寺住職のとき、南方に紫雲がたなびき、尋ねていくと安蘇山麓(現在の三毳山のふもと岩舟町下津原手洗窪)の関家、 大慈寺の大檀那であった駅長、壬生首麻呂(おびとまろ)の家に至りみれば異香薫して男児が誕生した。 首麻呂の次男春雄(はるお)、後の慈覚大師円仁誕生」ってのは通説だと・・・八雲御抄が出典なのか・・・とんでもない大物が出てきたぞ・・・近代デジタルライブラリー - 列聖全集.  御撰集 2 247コマ 慈覚大師の事が みかほの関 で出てきます。

 もし、栃木県下都賀郡岩舟町畳岡字山の越の畳岡遺跡、安蘇郡衙か正倉別院か三毳駅家か寺院というやつが三毳駅=三鴨駅なら・・・円仁の生まれた場所が確定しちゃうじゃん!まあ、岩舟町によれば岩舟町下津原1198が円仁の生まれた場所であるとしています。

 八雲御抄を全部見たけど・・・みかほ関 山也。みかほの山は古名所、但在常陸国歟。是は慈覚大師誕生所也。未詠歌歟。とだけ書かれているような?壬生首麻呂の駅長の話はどこから?このあたりは不明ですね。まあ、そのうち何か出てくるでしょう・・・あまり妄想をふくらませるわけにもいかないし・・・さて茂呂へ戻るとしましょう。でも・・・みかほの山は常陸国?

 妄想予備軍として・・・壬生首麻呂これが茂呂氏と関連があれば・・・円仁が東北をあるきまわっていたのとつなげて大妄想が・・・ただ、なんで歴史に茂呂があまり出てこないのか?茂呂は影で動くのか?・・・まあ、茂呂という名で一纏めにしているが、単にそれぞれが独立した事象なのかもしれませんが・・・妄想は面白いので・・・

 やはり妄想に生きなければ・・・左の航空写真が東山道の三鴨の駅周辺です。私の妄想によれば赤丸の部分に三鴨の駅があったと妄想しています。誕生寺・・・円仁の生まれた場所、三鴨神社がある所です。

 妄想の根拠は、壬生首麻呂が駅長という出典不祥のやつですが・・・多分、蓮花川の津もあったのでしょう。そのため下津原という名称が与えられたと解釈・・・そして、この場所は非常に特殊な場所です!多分・・・行って確認しないと・・・赤丸の上の低湿地は三杉川の流域、赤丸の下の低湿地は蓮花川の流域・・・ここで分水されているようです。だから、2つの津を持つので東山道の宿駅にふさわしい・・・従って円仁の家は非常に裕福であることがわかります・・・駅長はその地域の金持ちがやることになっていますからね。

 さて、妄想の続き・・・茂呂本郷は栃木警察署静駐在所と岩舟小学校の所から南東に伸びる道路を支配したのでしょう。それによって、静一帯の低湿地・・・沼かもしれませんが・・・これを支配していたのではないかと・・・岩舟山の南の静を中心に400mの方形の区画が並んでいます。岩舟小学校はそれを対角線で区切った直角三角形の地割りになっているようなんです。律令の1里は533mと推定されていますから、それよりも短いが・・・400mを単位としての区割りが行われています。これって・・・何?4町より短い、3町より長い・・・古い朝鮮の里だと393mでちょうど・・・まさか大陸資本で開拓された場所?・・・妄想は膨らんでいきます・・・何しろ、都に直結する道が通っていたんですからね。他に気になるのが阿曽川、万葉の歌枕で出てくる「安素乃河泊良」・・・阿曽川の河原・・・これが、三鴨の駅へ入る手前の佐野の秋山川を中心とした渡良瀬川に注ぐ河川群を「安素乃河泊良」と詠んだのでしょう。多分、足利を出発して佐野の平野に入るあたりからの眺めが、都から見慣れた高い山々が左に広がり、右には広大な関東平野が広がり、正面には三毳山が低く優しく伸び、その手前の小じんまりとした平地に沢山の河川があって趣があったのではないかと妄想してしまいます。佐野のあたりは安蘇郡のようですから。そして、安蘇郡の入口に当たる場所ですからね。

 とにかく・・・このあたりは交通の要衝でしょうから、志母都家努 安素乃河泊良欲 伊之布麻受 蘇良由登伎奴与 奈我己許呂能礼 しもつけぬ あそのかわらよ いしふまず そらゆときぬよ ながこころのれ 下野の 阿曽の河原 石踏まず 空ゆと着ぬよ 汝が心告れ・・・下野の阿曽の河原の石を踏まないで、空を飛ぶように来てしまった、あなたの心の内を明かしてくれ。って感じですかね。角ばった小石が沢山あって歩きにくい道として有名だったんですかね?この時代の馬は蹄鉄など打っていませんから・・・案外、悪路で有名だったとか?・・・馬に藁靴でも履かせたかね?10kmを越えるゴロゴロとした石の河原を進むのですから・・・まあ、なんとなく東山道の伊勢崎から三鴨まではすっきりした気がします。とりあえず、三鴨が茂呂の発祥の地と考えて、壬生氏とのかかわりもあるのではないかと・・・勝手に妄想しておきます。そして、猿島王との結びつきが見えるかも・・・妄想はふくらみます・・・こりゃ、まだまだ続きますね・・・どうして探索範囲が広がるかね・・・続きは次回!
2013.10.05

関係ないが、興味深いもの
近代デジタルライブラリー - 検索結果 入唐求法巡礼行記・・・近いうちに読みます!
近代デジタルライブラリー - 上代日支交通史の研究 
近代デジタルライブラリー - 高僧実伝 仏教各宗. 続 143コマ 慈覚大師一代略記
近代デジタルライブラリー - 稗食の研究 
 
参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
電子資料館 | 国文学研究資料館 
近代デジタルライブラリー - 検索結果 明治神社誌料
 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 千葉県 534コマ
 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 茨城県 592コマ
近代デジタルライブラリー - 検索結果 日本地理志料 
国立国会図書館デジタル化資料 - 和名類聚抄 20巻 
大日本海志編纂資料 資料分類
近代デジタルライブラリー - 大日本神名辞書
茨城県遺跡リポジトリ
近代デジタルライブラリー - 仮名日本書紀. 上巻 204コマ 景行天皇
国際日本文化研究センター 怪異・妖怪伝承データベース

近いうちにやりたいもの
香取志 
古文書(冊子・一紙・巻子・絵図) 日本銀行貨幣博物館 これって面白そう・・・特に、社会関係史料が・・・
近代デジタルライブラリー - 検索結果 徳川時代商業叢書
近代デジタルライブラリー - 検索結果 日本財政経済史料



  










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