香取神宮をうろうろ(54)
 香取新誌 (14)

 古銭いじりも2銭銅貨ではややしょぼい・・・やはり金銀貨が良いですが、いじるのであれば銀貨の方が安上がりなので・・・前回の2銭銅貨と50銭銀貨をいじってみました。2銭銅貨を並べたのは、明治3・4年の50銭銀貨とほぼ同じ大きさで、残念なことにこの50銭銀貨は持っていませんので・・・とても高くて買えませんからそれで代用・・・さて、日本は金銀複本位制だったので銀貨も重要です。そして、円の価値が下がるので銀貨も小さくなっていくわけです。真ん中の銀貨が明治39年、右端の銀貨が昭和6年・・・これだけ落ちて行くわけですね。明治の始めは日本の1円は米1ドル相当でしたが・・・近頃は、1ドル=100セント=100円ですから、1セント=1円ですかね・・・為替と言うのは面倒なものです。日本も環太平洋で通貨統合でもしないものですかね・・・しかし、ユーロ圏とか・・・あれって、所謂ブロック経済では?政治的にはどういったものなのか、昔のブロック経済を考えると、なんとなく気になるわけです。

 さて、続けるとしましょう。近代デジタルライブラリー - 香取新誌 34コマ このあたりを読んでるのでした・・・海上国造・・・からです。


海上・印旛の二国は、これより先、望族の、既にこの地方を占める者、ここに至って始めて国造の王命があったに違いない。神武天皇の時より、大宝年間に至って、子孫の数は百余年、相継いで国造になっていたのに違いない。漢土北史に、我が国の制度を載せて云うには、有軍尼一百二十人、猶中國牧宰。八十戸置一伊尼翼、如今里長也。十伊尼翼屬一軍尼。蒲生秀實曰、軍尼即国の邦音であって、国造と云う事の省いたものであるに違いないと。伊尼翼は即ち稲置の訛りであろう。


 国造ね・・・地方の有力豪族でクニヌシ国主などと呼ばれる連中が、朝廷と同盟関係を結んだ者ですかね。そして、爵位の様なカバネ直ってのを貰うわけです。そして、自己の支配地に対して、自治権が認証されるというわけです。朝廷と結ぶと何か良い事がなければ・・・というより、国造となることのメリットは?やはり、朝廷は文化的に優位な立場にあったというのが良さそうな気がします。そういえば、古事記に国の殖やし方が書いてありましたっけ・・・天の安川だったかなウケイ誓約ですね。河原に立って、美しい玉飾りなどを見せびらかします。優れた文化の産物であれば、それは素晴らしく見え・・・それを欲する人が出てきます。偉そうな人がいたら、それを贈ってお友達になり、それによって生まれた同盟関係を親子に擬えているのでしょう。

 再び大妄想・・・多分、スサノオの子孫の大国主商会が暗躍したのでは?大国主商会の勧誘員は右の様なものでしょう・・・服装が、ちょっと、上代よりはるかに後代の物になりますが・・・とにかく、こういった連中が葦原中国に装身具、鏡、刀剣を担いで歩きまわったのでは?と思うわけです。

 そして、人の集まりそうな場所でありがたそうな、枝葉のついた木を立てて、そこに、鏡や玉飾りなどをぶら下げて、さまざまに染め上げられた布など並べて、ありがたそうな口上を述べます。西の海を越えた漢だとか唐だとか天竺の・・・一般の人間には買えないほどの高価な商品に見えるものを惜しげもなく見せびらかして・・・すると、地元の名士様も集まってくるというわけです。

 みんなが欲しそうにして見ている中で、在地領主だって、こんなものを持っていないのなら・・・何と交換で、この鏡を譲るか?・・・ああ、うちの商会のマークの入ったこの鈴を持ってきた人に食事を出して泊めてもてなしてくれればいいですよ。年に1度、当商会の者が廻りますから、そのとき何か新しい素敵なものを贈りますからよろしく、布などいかがです?この素敵な色に染められた布は・・・これなら、同じ幅で同じ長さの布10反と交換です。毎年、今頃の時期に来ますから・・・刀ですか、これは、私どもが困った時に助太刀してくれる人でなければ渡せませんね。じゃあ、誓約をして親子関係を結びましょう。この土地が素晴らしい事も分かりましたから、こういった刀を造る工人も紹介しましょう。土地など見立てをしておきましょう・・・

 高天原ホールディングスの地域開発援助による経済的な支配が、大国主商会を通じて完成され、・・・経済を仲立ちとした間接支配が行われ、やがて・・・かなりの負債を負わされた在地領主が生まれてくると、無条件の服従要求が・・・八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣を持つものの直接支配を受け入れる事の要求・・・高天原ホールディングスの次の戦略が、天孫降臨・・・お前たちは領地経営が下手だ、だからこんなに負債を背負う事になるのだ、領地経営は我々の直轄事業とする!とりあえず、地元で尊敬が得られるように、名誉だけは守れるようにするから・・・と、強引な国譲りが行われて、いつの間にか・・・律令国家が誕生してしまうことになる・・・こんな感じですかね。文化による侵略・・・

 さて、妄想はこれぐらいにして・・・私が・・海上郡や匝瑳郡が小さいことが気になっている理由が図で示されています。1つの郡というものが、どんな設置基準なのか?というものですね。80戸で1稲置、図では10稲置で海上郡が形成されています。1戸を構成する人員は20名程度ですから・・・20×80×10=16000 16000人か・・・ありえない人数ではありませんが・・・大郡は40里2000戸、中郡は30里〜4里1500〜200戸、小郡は3里以下150戸以下・・・・だっけ?人口を支える生産力という問題ですからね。分ける理由はやはり国造以来の支配地ってことですかね?

 しかし、近代デジタルライブラリー - 漢・韓史籍に顕はれたる日韓古代史資料 隋書倭国伝 58コマ 隋書倭国伝か・・・この本はコンパクトにまとまっているから便利かも・・・さて、続きですね・・・


按に、他邦の史、悉く信を取るに足らないが、旧事紀の国造本紀に載っている約畧相同じ、本紀は周礼のの考えを記しているようなので、偽書の内ではあるが、この本紀は人が信じるものであるので、当時の事実であることが推察できる。続日本紀に千波の国造あり、去れども、微々らるものであると見えて、他の物に載せられていない。海上の国造は穂日の命の子孫、印旛の国造の伊都許利の命は皇孫であるので、この二国造は、別段であると思われる。


 どうも、自分の気に入らないことが書いてある史書は、すべて信に足らないと切り捨てていますが・・・偽書である旧事紀を引っ張り出していますね。まあ、この本もまるっきり出鱈目ではないでしょうからね。最初の方の権威付けでしくじっているだけなのかもしれませんし・・・これが、850年頃そうだな・・・貞観の頃に、我が家に伝わる反故の山を紐解き、整理したものであるとでも書いてあれば問題なかったのにと思うのですが・・・ちょっと私も饒速日尊など気になるものがありますからね。続きは・・・


側高社の祭神は神秘として、その名を知る者はいない。意を以てこれを考えると、これも、本宮に深き所以の上であろうか。それは、側高の社は香取第一の摂社であって、香取の祠員大祭事に與すれば始めの百ヶ日、この社を拝することが昔から行われている。朔望の参拝も怠る事はない。
常陸の国、行方の郡、小高村にも、側高の影祀がある。常陸風土記に、同郡の男高の社が栗家の池にある。北に香取の神子の社あるとある。地元の人は、今では側高と言っているというので、この側高も香取神子である事は間違いない。


 側高神社・・・祭神は神秘・・・でも近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 558コマ にはアメノヒワシノ天日鷲命とあります。天日鷲命は天照大神が天の岩戸に籠った時にアメノフトタマ天太玉命が白和幣を振って祈るのですが、その白和幣を作った神のようです。この祭神の説はどこから出たものか?そちらが気になりますね。清宮君は、はっきりと摂社と分かっているものについては、何かを押しつける作業をしませんね。ナルベシ!って断ずる作業をしていませんね。よく香取神宮に仕えている・・・常陸行方の小高の側鷹神社ですね。なぜか側高ではなく側鷹ですが・・・間違いないようです。神社の看板にも、地元の人もそう信じていると書かれていましたから。ただ、この看板、この鹿島新誌を引いていますから・・・循環してしまうので、当てにできないかも?でも、香取の勢力がこのあたりまで伸びていてもおかしくないと思うわけです。

 この側鷹神社あたりをうろうろしていた時、ふと・・・神社の創建ってなぜか大同2年が多いのであります。田村麻呂君がらみの創建ですね。これが不思議でしたね。本当に大同2年であれば・・・何か一斉に創建させる必要が出たとか?多分郷社・村社レベルですね。この年あたりって、田村麻呂君が活躍していますし、中央の兵制改革も行われています。あとは、相撲の土俵が常設されていることがあったり、棒を振りまわす祭があったり・・・気になる団体、若衆とか様々な名でよばれる若者連・・・青年団となりやがて消滅した地域の若者団体・・・これは、日本中どこにでも古くからあった組織みたいで・・・気になっているのです・・・なんとなく、最小行政単位に、神社だか倉庫だか宿泊所であるか集会所なのか、そういったものが一斉に建てられたと考えてしまうんです。例によって、大妄想・・・理由は、軍団の維持が困難だから、しかし、動員体制は取りたい・・・従って、例によって地方委託・・・ボーイスカウトは薩摩における健兒社の制度を研究して組織したものと、乃木大将が、バウデン・パウエル将軍が語ったとのこと・・・青少年教育+軍事教練の場としての若衆連、多分中男を対象としたのでは?・・・個人兵装の共有化・・神庫=武器庫の創設・・・野外炊爨の標準化とか、軍団の独占した太鼓や法螺の、訓練での貸出とか・・・そして、一通り実が現れてきて、騒乱地近辺を除いて、826年に軍団を廃止・・・全国一律のシステムだから、若衆などの呼称は違いがあるが、なぜか全国的に存在する・・・まるで、明治政府の徴兵の形態と同じ・・・

 常備軍が現役3年の兵役、これが明けると、後備軍に配属、何かあると召集を受ける、毎年訓練を受ける。これらに属さなかったのが国民軍に配属、17歳以上40歳未満の男子がメイン。若衆の引退時期が40歳とか担っている所もあるから・・・明治6年に、律令以来の伝統の兵制を、近代的な軍隊として復活させたのではないかと・・・残念なことに、古代の軍団関係の史料はあまり見かけない・・・明治の兵制はどんな具合に組み立てたのか?気になるわけです。近代デジタルライブラリー - 軍役心得改訂徴兵令 仮名付 という本を読み始めちゃいましたし・・・困ったものです。この本で特に気になる条文は、徴兵雑則ならびに扱方の第12条ですね。およそ・・・全国の男児齢17歳より国民軍籍に入り外寇または有事の時にあたり、隊伍に編入し、或は守衛となん、或は征軍をを為さしめるべきを以て、16歳の冬11月10日までに、その戸主より戸長へ届を出すべし・・・こんな感じ。近代デジタルライブラリー - 軍役心得改訂徴兵令 仮名付 33コマ これね。あれ?年齢の数え方は・・・この時代は満年齢?・・・明治9年太政官布告第41号. 「自今満弐拾年ヲ以テ丁年ト相定候」か・・・すると、この明治6年のものは数えを想定したか?なんとなく中男か・・・養老令の規定の様な・・・

 養老令は明治政府設立時の基本法だったのだと思いますから・・・あれ?話が逸れている・・・清宮君の論法に近くなっているような?さて、続きは・・・白状祭か・・・ここで、ちょっと切るとしましょう。それでは次回!

2013.09.18

関係ないが、興味深いもの
近代デジタルライブラリー - 尾張名所図会. 附録 巻1 興味深い図版が沢山あるね。
近代デジタルライブラリー - 日本若者史 
近代デジタルライブラリー - 検索結果 健兒社 これについても知りたい・・・ 

参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
電子資料館 | 国文学研究資料館 
近代デジタルライブラリー - 検索結果 明治神社誌料
 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 千葉県 534コマ
 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 茨城県 592コマ
近代デジタルライブラリー - 検索結果 日本地理志料 
国立国会図書館デジタル化資料 - 和名類聚抄 20巻 
大日本海志編纂資料 資料分類
近代デジタルライブラリー - 大日本神名辞書
茨城県遺跡リポジトリ
近代デジタルライブラリー - 仮名日本書紀. 上巻 204コマ 景行天皇


近いうちにやりたいもの
香取志 
古文書(冊子・一紙・巻子・絵図) 日本銀行貨幣博物館 これって面白そう・・・特に、社会関係史料が・・・
近代デジタルライブラリー - 検索結果 徳川時代商業叢書
近代デジタルライブラリー - 検索結果 日本財政経済史料



  










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