香取神宮をうろうろ(51)
 香取新誌 (11)

 なんだか、秋らしい風が・・・夏前から始めた香取神宮関連が、ずいぶんと長く続いてしまったような気がします。そして、なんだかまだまだ続くような気が・・・古を知る事は未来を知る事につながると思うので・・・再び、お金いじり・・・天保銭と寛永通宝を眺めていてふと・・・寛永通宝の文字のバックの黒が印象的で・・・天保銭にはそういった黒がないんですね。気になるわけです・・・どちらも銅をベースとした合金・・・実は、この2つの銭貨は、酸洗いをしたんです。それで綺麗になっているというわけです。まあ、こんな事をすると価値が無くなると言う人もいますが・・・別にこんなものは投資の対象になるような物ではなく、単なる私の愛玩品なんでね・・・酸洗いで落ちない、アルカリでも落ちそうにないので・・・多分、この黒はカーボンなんでしょう。墨を差したとは思えないので・・・でも、墨を差してやると美しいかも・・・そうだ、黒漆をかけて研ぎだすと美しいかも・・・と余計な事を考えてしまいますが・・・まあ、考えると思い当たるものが・・・それは、鋳型の製造にかかわるものですね。確か、鋳型は松根であぶって乾燥・カーボンつけを行って、鋳型から離れやすくするというやつですかね?その名残・・仕上げで墨を差したのかもしれませんが・・・多分、ダイズ蛋白の吸着作用ならこの黒いのは取れるか?天保銭は・・・なぜ?と考えてしまいます。天保銭は大きいから不良品の検査は楽だが、寛永通宝の方は小さいから、墨附けをして傷・割れ字画の悪いものなどを研いでいる途中で抜き取るために使ったか?色々と考えてしまいます。この墨を差す工程は・・・多分、左の床焼という工程で行われたのでは?我が妄想的な発想では、油とカーボンの混合物を焼きつけているのでは?そうすれば、研ぎだしても、酸洗いをしても、この黒は落ちない・・・酸洗い・・・この時代、酸洗いには何を使ったのだろう?まさか、梅酢かね?・・・鏡の研磨に、ザクロが使われた・・・蓚酸?後には梅酢・・・古い技術にも興味があるのでね・・・さて、続きを・・・
 近代デジタルライブラリー - 香取新誌 31コマ このあたりを読んでるのでした・・・神崎神社からです。


神崎社も、また鳥船の命を祀っている。神木のナンジャモンジャ云が、樟脳楠であるというから、いわゆる石楠船の遺種に違いない。また、本社にも、御船の神事がある。この事でも、それを証しているに違いない。


 鳥船か・・・神崎神社・大戸神社、そして大戸神社の神職が30余名・・・ふと妄想・・・妄想に生きていますから・・・香取神宮の水軍を想定します・・・鳥船と呼ばれる高速船、クルーは30余名とか・・・八丁櫓船がそのままじゃん・・・ダブルで漕がせれば漕ぎ手だけで16人指揮官3名ほど乗せれば・・・そしてバックアップが必要でしょうから・・・とかね。

 ところで、古い時代の最高の造船技術って考えると・・・遣唐使船の造船会社は?運航会社は?・・・どこの水軍かね?続日本紀に安芸国に遣唐使船の建造が命じられたようですから・・・そうなると、多分・・・アキハヤタマオノミコト飽速玉男命の安芸国惣鎮守の社である速谷神社ですかね?この神社の祭神は・・・天孫降臨についていった32柱の神の一人である天湯津彦命の子孫ですから・・・この神社、今でこそ内陸になっていますが、当時は海岸でしょう。そして・・・交通安全の神様で有名ですから・・・論拠としては弱いな・・・

 常陸国風土記にも大型外洋船の話がありましたね。近代デジタルライブラリー - 古事記・祝詞・風土記 213コマ 軽野の東の大海に、船の長さ15丈、幅1丈余りの大船が座礁して、現在も砂に埋まって残っている。淡海の世だから天智天皇の時代に、陸奥の国の石城の造船業者に造らせた船がこの浜に乗り上げて壊れたもの・・・668年〜672年このあたりの話ですかね?って事は・・・百済の滅亡とその復興をかけて、日本が朝鮮半島へ兵力を送る一環の回送作業の中での事故船ですかね?・・・常陸国が置かれたのが654年、陸奥国はこの頃に置かれた・・・この時点で、都との交易が太平洋岸に存在したという事ですね。という事は・・・香取に大きな造船所があって・・・香取海を独占、鹿島系の造船業者は、造船所を磐城に置いて鹿島を中継基地として確保、太平洋岸航路を紀州あたりの業者と提携かね?伊勢水軍、香取水軍、鹿島水軍が日本の太平洋岸を支配?水軍を派遣できる能力を持つ、大船建造ができるハイテク集団が神宮の名を冠していたとか?朝廷の水軍は別段神宮という冠を持たないで統合軍として・・・・あ!違う・・・石上神宮があって・・・瀬戸内・大陸航路を保有かね?

 ふむ・・・大妄想・・・日向のあたりにあった高天原に、大船建造技術を持った武装ハイテク集団”物部”が存在、プロジェクト”東征”で、造船集団”神宮”を展開、第一集団・コードネーム神武は本店を石上神宮として置いて、大和盆地及び大和川の水運を支配し、住吉と広島あたりに造船所を置く事で瀬戸内航路と大陸航路を支配したのでは?そして、ここから第二集団・コードネーム天照が分かれて、本店を伊勢神宮として置き、東海沿岸から東京湾・荒川を支配、第三集団・コードネーム經津主が本店を香取神宮として置いて本店造船所も併置、房総半島から香取海と常陸川・鬼怒川・小貝川を支配し、関東平野東部、宇都宮のあたりまでを領域とするとか・・・そして、第四集団・コードネーム武甕槌が本店を鹿島神宮として置いて、銚子以北の太平洋岸を支配、造船所を磐城に設置・・・これら4本店は大河ごとに支店を設置、修理・補給基地を維持・・・配置としては良さそうな気がします・・・後に、九十九里に中継基地を置けなくなって房総半島で東西航路は分断・・・この時代、先行する造船集団は出雲にあって、これが日本海航路を牛耳り、青森・蝦夷までの航路を有したが・・・神崎神社へ話を戻さねば・・・

 さて、なんじゃもんじゃの木ね近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 神崎神社 あちゃ、明治時代には祭神に鳥船の命は入っていない・・・オオナムチ大己貴命・スクナヒコナ少名毘古那が祭神・・・相殿がオモダルノミコト面足尊・カシコネノミコト惶根尊が祭神・・・って、式内社の足尾神社や近津神社の系統かね?・・・神崎神社がアサメトノを造る常役か・・・もともとは子松神社だって・・・子松って何かで見たぞ・・・小松=駅馬津・・・これなら駅馬のある津・・・神崎の津はその条件に当てはまる。・・・沙石集の便船したる法師の話が伝えるのが、船乗りの心なら・・・荒海じゃあ、言い変えたくなるよな・・・私の中ではこれで、神崎が荒海駅に決定です。そして、民営化の動きで眞敷が荒海が統合・・・多分、神崎神社=子松神社の山が完全に陸続きになって利根川の氾濫でも分離しなくなった頃でしょうね。・・・理由は、利根川の氾濫で分離したら飼葉が足りなくなるから・・・証するには弱いのは分かりますが、経済というのを歴史学者は無視し過ぎるような気がします。ふと、私が本気の歴史法学を研究者をしてたら・・・ブラザーグリムって映画を見たら腹を立てたかも・・・学者にならなかったおかげで楽しめますが・・・あれを見て、私の立場は・・・魔法の豆を選んだのかななんて・・・堅田先生ごめんなさい・・・私は、インターネットの海に耽溺して、ネット上の本で遊んでいますから・・・本など、情報の一つの表象物にしか過ぎない、今や紙の上のインクに価値は存在しない・・・新刊書のインクのにおいは・・・大豆の香りが・・・ただ、法雑学として捉えています・・・私はユートピアが好きです。今でも・・・綾香の三日月でも練習しよう・・・三月前期か・・・ヘーゲルは嫌いだ・・・日本の古い文献が面白い・・・ドイツの古い文献も面白いが・・・ひげ文字も今は読めますが、草書の方が大学に入る以前から少しはまともに読めるので・・・

 酔った勢い・・・さて、しらふになって・・・なんとなく、清宮君の論法が気に入らないと文句を言いつつ読み続けている理由がわかったような気がしますね。様々な文献を引っ張り出してきますが、それは、自らの考えがあっての引用ですから引用する事に重きを置いているのではないのでね。権威主義的なものではない・・・そう、典籍の自由な引用・・・明確な自説と信念がそこにあるからかな・・・ナルベシか・・・清宮君の研究は様々な典籍をバックに行われています。この書物は・・・香取神宮の蔵書でしょうね・・・という事は、神宮は文化の伝承者でもあるわけです。そして、膨大な典籍に引き寄せられた優秀な人間が新たな時代を切り開いていく事になるのでしょうね。そういえば、鹿島神宮だと・・・親鸞などが遊びに来ていましたっけ・・・鹿島神宮は桜斎君の収集した3万冊を放出してしまいましたから・・・まあ、所蔵だけでは意味を持ちませんが・・・

 ふむ・・・草薙の剣盗難事件か・・・熱田神宮から沙門道行が盗み出して、新羅に向かう・・・ふむ、天智7年;668年か、この時代に外航船が広く使われていたのかね?鹿島灘で座礁した船は長さ15丈=45m、幅3mあまりか・・・150フィートのメガヨットだね・・・キャプテンドレークのゴールデンハインド号だって120フィートクラスですから、この船でも世界周航が可能ってことかね?しかし細長い船だね・・・幅は5mぐらい欲しいよね・・・まあ、3〜6mに満たないという範囲に入るが・・・白村江の戦いは・・・唐の軍船170隻に日本は勝ち目が無くて逃げたのか・・・日本の軍船も170隻派遣している・・・将軍は安曇比羅夫ってことは安曇氏・・・福岡の運用会社か・・・兵力は1万・・・10000÷170=58.8 60人乗りとなるか・・・ゴールデンハインド号で40人ぐらい乗り組んでいたようだから、妥当な線か・・・

さて、続きを・・・


出雲の国造賀詞に、天の鳥船の命に、布津怒志の命を副えて天下り遣わしてとある。この鳥船の命、あるいは日照、あるは、ヒナテリフネトリ夷照船鳥に作って、鳥船に作るのは稀なので、みな夷照と思えるが、そうではない、必ず鳥船の命であって、大戸の社、神崎の社はその荒魂と、和魂として祀られているに違いない。鳥船とは船足の早いという事になるので、後世の軽野なども足の早い事に違いない。古事記に鳥の石楠船の伝に、天の鳩船というのがある。また、その解釈に播磨の国風土記を引用して云うには、仁徳天皇の御世に、非常に大きな楠があって、それを伐って船に作って、その船が飛ぶように早かったので速鳥と名付けたとある。この神と經津主の命と共に当時大節の御使を受けて大名持命を媚び和らげて天下を平定したことは、また大功であるに違いない。だから、經津主の命を祀っている所には、必ずその祀りがなければならないはずなのに、その祀りが無いのはおかしい。だから、今、断じて、大戸・神崎は鳥船の命を祀るとする。


 ああ、案の定だ、近代デジタルライブラリー - 延喜式祝詞諺解. 下巻 23コマ 出雲国造賀詞 は良いとして・・・普通は鳥船の命とは書き表さず、日照とか夷照なのだが・・・鳥船なんだと・・・あれ、鳥船を調べてたら妙なニュースが出てきた・・・

 走進福州三坊七巷文儒坊的尤氏民居,一陣陣杉木香撲鼻而來,與廣船、沙船和鳥船並列為中國古代四大船係的福建福船,正在這條有著千年歴史的中國歴史文化名街上重煥歴史光亮。
  “福船”是中國古代重要風帆動力船之一,因在福建沿海製造而得名。2010年,福船製造技藝被聯合國教科文組織列入“急需保護的非物質文化遺産名録”。


 中国の古代四大船の文化遺産登録関連のニュースのようです。廣船、沙船、鳥船、福船・・・大型船だから遠洋航行用の船の話なんでしょう・・・この鳥船は何なんだろう?まさか、和船の元になったものとか?博客來航向台灣:海洋台灣舟船志(精裝典藏版)連載 中国の古代船に関する記述を発見・・・

戎克船不是恰當的稱呼
西方許多船舶歴史的專著,提到中式帆船時,内容不過寥寥兩、三頁。他們共同的説法是,中式帆船已經五百年沒有變化。當然這種説法並不可靠,即使他們對中國帆船的稱呼,Junk,其定義也是含混不清的。

Junk雖然已成了西方世界對中式帆船約定俗成的稱呼,但其意涵並不明確。有時候,連東南亞、印度的傳統帆船也被稱為Junk。近代日本學者企圖「脱亞入歐」,鄙視和中國有關的事務,故意忽略「唐船」的傳統稱呼,將Junk音譯為戎克船,以此稱呼中國帆船。現在國人不明所以,也跟著日本人如此稱呼,實在令人遺憾。

中式帆船依造型結構,可區分為沙船、鳥船、福船………。依地域分有酷ェ船、紅頭船、白頭船………。〔ビン門構えの中に虫〕南語的稱呼更是品類繁多,如庶e船、花屁股、倚邊、紅頭仔、〔舟甲〕板、〔舟山〕仔等等,不一而足。如果是總稱,華舶或中式帆船,都比Junk、戎克船來的恰當。

和Junk一詞不明確的意涵一樣,中式帆船的起源與發展,至今仍存在著許多未知的部分。


 ふむ・・・ジャンク戎克か・・・脱亜・・・ジャンクと和船を比較した事なんかなかった。ジャンク・・・唐船か・・・中国帆船 - 維基百科,自由的百科全 ここには鳥船の記載がないね・・・鳥船は澎湖海戦の項目 澎湖海戦 -維基百科,自由的百科全 に大清帝国の兵力に大鳥船70艘、〔走旱〕書D103艘、雙帆居船65艘,合計238艘 とか書かれていますね。以速度快的鳥船當作先鋒・・・快速船ですね。なんだか、まずいな・・・大清帝国だからいいけど・・・1677年・・・鳥船が漢代にあると、日本人である私として、かなり面倒な領域になってしまう・・・大鳥船_百度搜索 そのうち気合を入れてリサーチしましょう。プロジェクト”東征”のハイテクは中華帝国の技術かね?・・・可能性はないわけでもない・・・いずれにせよ、快速船の名称に鳥船が使われる事は理解できますね。近代デジタルライブラリー - 日本の木船 19コマ 日本丸 応神天皇の時代に、新羅からの船匠により日本の造船は著しく発展か・・・

 軽野?枯野かね?楠は船舶用材として優れているが、残念ながら、枝分かれが低いところから始まるから、長いものが得にくいという事なんでしょう。一般に舟は細長い方が速力が大きい事になっていますから・・・

 そして、いきなり大戸・神崎神社は鳥船の和魂と荒魂にしちゃったわけね。篤胤君みたいな・・・神様も配置転換か・・・大妄想により長くなっちゃいました・・・ここらで次回へ・・・

2013.09.11

関係ないが、興味深いもの
古文書(冊子・一紙・巻子・絵図) - 仙台鋳銭図解
 貨幣博物館の銭の造り方の絵巻です。
近代デジタルライブラリー - 仮名日本書紀. 下巻 天智天皇 274コマ 外征関連など真面目に読んだことが無いので・・・
近代デジタルライブラリー - 海の慣習法 382コマ 貞応廻船式目 鎌倉時代の海事法・・・凄いね。
近代デジタルライブラリー - 新宮木材誌 林業と廻船と・・・江戸期の物流が垣間見ることができますね。
近代デジタルライブラリー - 日本商業史要 要領よくまとめられた本ですね。悪くない・・・良書だね!
 近代デジタルライブラリー - 検索結果 横井時冬 学校の先生か・・・非常に分かりやすい文章だ・・・
  近代デジタルライブラリー - 芸窓襍載 多趣味じゃん・・・この人も、枠にはまらない人みたい・・・人物研究でもするか
近代デジタルライブラリー - お月さまに昇った話 パラオ島童話集 興味深い・・・

参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
電子資料館 | 国文学研究資料館 
近代デジタルライブラリー - 検索結果 明治神社誌料 
近代デジタルライブラリー - 検索結果 日本地理志料 
国立国会図書館デジタル化資料 - 和名類聚抄 20巻 

近いうちにやりたいもの
香取志 
古文書(冊子・一紙・巻子・絵図) 日本銀行貨幣博物館 これって面白そう・・・特に、社会関係史料が・・・
近代デジタルライブラリー - 検索結果 徳川時代商業叢書
近代デジタルライブラリー - 検索結果 日本財政経済史料



  










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