香取神宮をうろうろ(31)
 いよいよ本殿の棟上げが行われるが・・・

 棟上の餅の方は順調ですね。何かと不足なものが多いらしく、発注が大変な感じですね。そして、天気が良くないようです。日記の方は江戸の方の記録と香取の記録が交錯してきます。香取では上棟の準備が、江戸では正遷宮のための準備ですね。

19日御神宝を担当している阿井屋作兵衛・法橋蔵主がやってきた。大神輿と御道具を見たいとのこと。特別に江戸まで持参して、修復するというので、貸し出した。

・大神輿 1社 ・御銚子 2つ ・御盃台 4つ ・御鞍 1口 ・御鐙 1口
右の通り御修覆致します。そして納品します。8月20日 大仏師法橋 蔵主 あい屋 作兵衛 香取内膳様
この日惣左衛門がやって来て、鳥居を建てる場所について鳥居の建てる場所は前は石段の上であったが、今度は下にしたいのだがと言うので、丹波とも相談して決めよという事なので、丹波と相談して石段の下に鳥居を置くことに決め、そのように返事した。
この日図書が江戸に出発した。江戸に21日ついた。伊賀守の所へ行ってお呼びでやってきたと言うと、明日の朝5ッ時に来るようにと言われた。22日朝5ッ時に出かけると、以前から願い出ていた装束の事だが、この度は出す事にしたので呼んだとのこと。それから、3か所の奉行の所へお礼に回った。23日伊賀守へお礼に行き、香取に絵図を取りに飛脚を走らせて、25日絵図が来た。26日表具師を呼んで絵図を見せて、仕様帳つくるようにと指示し、書かせた。27日伊賀守に行くき、暇乞いをして、川上伊兵衛に会いたいといえば、明日の5ッ前に来るようにと言われた。28日出かけると、伊兵衛がいて、絵図の仕様帳を見せると、分かった作って渡すというので、表具師に絵図を渡して、前金として5両を渡し、29日帰宅した。

 ふむ・・・御神宝の修復が行われるのか・・・阿井屋は漆製品を扱っているのでしょうかね?なんとなく、修復する品目が漆塗りの剥げたやつとかのような感じですから。神輿の製造も行うような業種かね?こういった業を何と言うのだろう?神具製造業?

 鳥居の位置の話ですが・・・ちょっと不明なのは、これって楼門前の鳥居の話?それとも、旧参道の大鳥居?どちらも石段があって・・・

 左の写真が、旧参道の石段の所の鳥居です。人力車時代の写真ですけど・・・左の白い土蔵のような建物がどうやら千歳屋ですね。向かいには小さな店舗があります。その右の道が写っているような写真が無くてね・・・

 そして、右の写真が楼門前の鳥居ですね。

 どちらの鳥居も石段の下にあるので、どちらの話をしているのか気にしなくても良いような・・・

 ああ、分かった、馬場が狭いので、馬場にあった楼門を一の鳥居跡に置くことにして、その前に鳥居を出す話になっていたからでしょう。

 元禄13年の造営では、楼門前の石垣も作りますから楼門前がすっきりと、広くなったのではないかと思います。デザイナーの思惑では鳥居を石段の上に置くつもりだったのではないかと思いますが・・・つまり、以前は高い所にあったから、それに基本的には倣うと・・・しかし、実際に設置しようとしたら楼門に近いと楼門と鳥居が重なるようになるのでデザイン的に面白くないから鳥居を楼門から離したくなったのではないかと・・・根拠もなく考えるわけです。

 ここでの話は、多分楼門前の鳥居の話なのでしょう。

 そして、図書が江戸に出発します。どうやら、正遷宮の装束の予算がついたのと、絵図の修復も行う話になっているような感じですね。何の絵図なのかはっきりしませんが・・・表具師ですから、絵巻とかそういった類のものの話ですかね?仕様帳か・・・前にも出てきて、あまり気にしていなかったんですが、仕様帳って・・・仕事を頼まれたものが仕事内容を作業に分解して材料などの積算や作業指示所みたいなものも含む見積書のようですね。それに対して、発注者が細かな仕様と必要とする材を示して、お前さんの金でこれを発注するよというのが、香取神宮の注文かね?とか・・・

 なんだか、現代のやり方とほとんど違わないのでは?多分・・・香取神宮の元禄の造替では、香取神宮の修復の申請に基づいて、幕府の方で設計と見積もりを行って、それを業者に告げて入札させているようですね。設計と仕様と見積もりが行われた帳面が、修覆帳という名で出ていたものなのでしょう。精密な見積もりが行われていたという事なんですね。だって、造営を非常に短期間で済ませていますから・・・今だと屋根を直すだけで1年もかかるし・・・江戸時代だってプレカットをしてるようで、現場作業は組み立て作業だけのような速度ですよね・・・案外、塗装もほとんど終わっている部材を組み立て、ちょこっと塗装の手直しをするだけで立派な建物に化けてしまうという事ではないのかと・・・

 どうも、日本人というのは、工程管理の才能に恵まれているのではないかと・・・洋式の戦艦なども、設計技術を一通り身に付けると、構造を簡略化したり、先行艤装とかブロック建造とか色々な新機軸を打ち出して行きます・・・そういった素地は江戸時代に出来上がっていたのではないかと・・・貨幣経済に関しても、世界最先端の管理通貨制にたどりついているみたいですし・・・基本は米本位制みたいですが・・・通貨量が不足すると藩札を発行したり・・・基本は兌換紙幣ですが・・・天保銭なんか地金の価値からすると1文銭8枚分程度しかないですが、当100文で通用させますからね。実質的には、通貨は価値の表象物になっているわけです。江戸の技術や社会システムを研究したいものです。

 どうやら、神宮側の思惑通り事が進んでいるようです。しかし、上手に色々な事をやってもらうように仕向けていますね。29日までの話ですから、香取では既に上棟が行われ、もう少しで正遷宮という状況ですね。さて続きを・・・

8月20日清右衛門に萱手職の証文を差し出させて、承認し直して会所へ差し戻した。
この日村々から御棟上の餅が来た、その覚
8月13日餅大籠2つ織幡村 餅籠4つ小野村 かます1つ幡鋒村 餅籠4つ小野村 餅俵9俵、かます1つ磯山村
15日餅籠2つ与倉村 餅籠2つ作三倉村 餅籠2つ佐原横宿 餅3籠おつりと村
17日餅鉢1つ佐原中宿久兵衛 餅2籠中洲村 餅かます篠原洲 餅3籠三倉村理兵衛 餅3籠佐原屋敷三郎兵衛 同1籠まかめ市右衛門
8月20日餅3籠出沼村 同2籠ひの木村 餅2籠佐原本宿 同1つ佐原本宿 餅2籠佐原掘かし六兵衛 餅2籠桜田村長右衛門 こも2杷餅2籠上小川村 餅1籠大崎村 同2籠釜塚村 餅1籠横山村 同3籠篠原村 同大籠5津宮村 同2籠所村 同2籠村田村 同1籠篠原喜兵衛 餅籠1篠原新左衛門 餅2籠御酒樽小見川 同2籠大崎村
村々より大祢宜方へ来た。その他御宮へ直接持っていったものもあり、丹波の方へ持っていったものもある。

 さて、香取での事に変わりますね・・・多分・・・清右衛門は萱手職で、この職は登録を要する職であるわけですね。萱手って屋根屋さんだね・・・萱葺屋根を葺く職人 登録制なんだ・・・という事は事業税でも取るのかね?運上・冥加金か・・・小物成ですね。何か史料はないかな・・・近代デジタルライブラリー - 地租の沿革 近代デジタルライブラリー - 検索結果 寺尾宏二 このあたりかな・・・税制は興味深いものです。なんだか色々と学ぶことが出てきて大変だ・・・

 そして、餅の奉納リストですね。俵・かます・大籠・籠・鉢などの単位で書かれていますが・・・どんな量の餅が集まったのやら?俵が大きいとするなら、磯山村は圧倒的な量の餅を短期間に搗いたことになりますね。磯山村って財力があったのか?それとも入れ物に凝らなかったのか?このあたりも気になります。小見川は酒樽も持ってきていますね。この時期、小見川で酒造業が盛んだったのか?あとは、この同じ時期の大祢宜以外の日記も合わせて見れると凄いのにな・・・さて、続きと行きましょう・・・

8月21日御棟上、朝5ッ過ぎに村々より請求して集めておいた餅を御宮へと運ぶ。新市場村から5人の人足を借りてきた、餅を運ぶ。宮中・原町3ヵ村の他津宮のの人足も雇っての餅を運んだ。この日4ッ時に惣左衛門会所にやって来て、村々から参詣人が大勢来ているので、惣左衛門は矢来の中に参詣人を入れてはいけない、餅も撒いてはいけない、大勢の人が集まっているからきっとけが人が出るだろうから、この事を参詣人にも良く言い聞かせて返すようにと。田所・物申祝へ言って帰してきた。その後、棟上には惣左衛門も出てきて、蔵人・内膳も来た。その後、津宮の惣左衛門の宿舎へ御上棟の祝儀に出かけた。御宮に上げた餅も持って行った。蔵人・金剛寶寺も一緒に帰って来た。下奉行へも祝儀が出た。御棟上の下り餅が非常にたくさんだったので、自分の所へも来た。役人達にも、下役人衆、請け方の物にも配った。公儀からも餅銭5貫、御酒も上がってきた。大宮司・大祢宜も一所に集まって餅を食い酒を飲んだ。
・この日、正判官兵左衛門が江戸から帰って来て言うには、今月の18日に寄合に出たところ、伊賀守の御役人川上伊兵衛が言うには、香取の古絵図は図書方に保管されているとのこと。この度、修復または写し等をするようにとの話で、差図ではないが、当方に出入りしている表具師は湯島にいるのだが、それは上手である。図書方に言って作業をしてもらうようにとのことだった。図書方でその件について聞いてみると答えてきた。昨日の道中で、旦那の江戸行きに出会ったのでその旨を話した。
・髪結吉三郎の件も、阿部飛騨守の取り調べがあって、津宮又左衛門の所に宿泊することが決まりました。しかしながら、一応評定所へも書類を出して、京橋中田屋太兵衛方へも話を聞くと言うので、御差紙を京橋の中田屋太兵衛方にも出し、太兵衛が連立ってきた。兵左衛門・太郎左衛門は評定所へ行くと、番取の欠落者を吟味して、津宮又左衛門の宿泊することに決まった。そこで、又左衛門と挨拶するようにと中田屋太兵衛方に指示した。兵左衛門・太郎左衛門は家に戻るようにとの事で、戻ってきたという事だった。

 いよいよ上棟の当日が来ましたが・・・がっかりです。上棟に関しての話は皆無です。上棟の餅を出した人たちもがっかりしたと思いますね。上棟の餅撒きが無いのですからね。村々から請求によって出てきた餅は、神宮に運ばれ、餅撒きを楽しみにしている人たちに、非情な決定が下されます。矢来の内に参詣者を入れてはいけない!餅を撒いてはいけない!・・・これだけの人出があるのだから、きっとけが人が出るから返すように!・・・みんながっかりですね。皆、命がけで来てるのに・・・

 まあ、近頃は餅撒きなど見ませんが・・・上棟そのものが少ない、地域型の行事が廃れつつある・・・自分も家をそのうち建てるから・・・何が何でも親餅を取るぞ!という気概もない、四方餅・・・などなど、ボールなども、景品の番号が入ってますね。気迫の入った大人げない大人たち・・・1度くらいしか見てませんが・・・興味深いものでしたね。決死の覚悟・・・神宮の餅ですから死んでも本望?XXは死んでも餅を離しませんでした・・・美談になるか?

 親餅争奪戦に命を掛けていた男がいます。この話をしたら笑っていました・・・親餅を何回か取った猛者・・・さすがに、空中戦を行い確保したものの・・・肩から落ちて、しばらく不調・・・それで引退したとか・・・香取神宮にはあまり行ってないが・・・このくらいの餅が集まってる・・・行くか?って聞くと・・・行く!ってね。

 節分の豆まきでは似たような事が行われますね・・・節分の時の必勝法は・・・子供の集まっているところの後に陣取って・・・背丈の差で・・・大人げない戦法・・・ちゃんと、小さい子供たちに分ければOKですけどね。

 宮中・宮下に集まった人達の落胆が・・・時代を越えて伝わってきそうな感じですね。命がけの祭っていいと思うのですが・・・江戸時代だって、為政者は人命軽視ではなかったのか?それとも、儀式を軽視したのか?人の楽しみを奪うものは犬にでも食われてしまえ!なんってね。

 残念ながら、上棟は、関係者だけで静かに行われたという事のようです。さらに残念なのは、上棟式は神宮の定型業務として行われたようで、楽しみにしていた解説は皆無・・・当日は関係者一同に餅を配り、酒を飲み散会ですかね。

 餅撒きがあれば、それなりに面白いことが起こるかと思ったので・・・人の楽しみを奪う役人だと・・・300年前の役人に腹を立てても仕方ないですね。そして、絵図の方も職人を紹介してくれているようですし・・・髪結吉三郎の件も・・・敲きとか処分はなかったのか?このあたりも気になりますが・・・とりあえずは一件落着のようですね。
2013.07.31

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