香取神宮をうろうろ(1)
 香取神宮の参道・・・

  香取神宮の参道が気になりだしてしまいました。現在の参道は、鉄道へと交通網が変化するに従って出来上がってきたもので、それより前の参道は利根川の津宮の鳥居河岸から続く道であったようです。もっと前は多分、神社の近くまで船が入って来ていたのではないかと思われます。とにかく、古い香取神宮の姿を探ってみたい気になったというわけです。

 さて、何か古い絵図でもないかと探してみると、近代デジタルライブラリー - 香取神宮志 の中に左のような古図が出ていました。廃仏毀釈になる前のものですけど・・・どうも、昔の絵図って、近頃の人間が描くのとは違ったルールで描かれていますからなかなか厄介なんです。楼門は分かるんですが、鳥居の位置とか本殿の位置とか何ともバラバラ・・・これって室町期に描かれたものを、元禄期に模写したものらしいですが・・・

 相対的な位置関係はなんとなくあっているが、建物の向きが本来の向きとは違って、最も印象的な形を描いているという感じです。

 この図を眺めて、現況と比べるのはなかなか難しい・・・なんって思うわけです。でも、とりあえず、多分・・・楼門と本殿の位置は明確なので、この図を読み解いていこうと考えるわけです。

 ぱっと見ての位置関係ですが・・・楼門の左斜め下の鳥居は、現在の総門あたりで、その右の建物は大宮司邸、楼門の前の道を左に行った先に道をふさぐようにあるのが、香取山金剛寶寺でしょう。その上にある鳥居が津宮からの参道を示しているような感じです。

  楼門の上の空間が妙な感じなんですが・・・三本杉・神木・木母杉の位置関係はなんとなく正しいような?そんな気もするんですが・・・そうなると、この本殿の位置は・・・現在の南向きの社殿ではなく、南東に向いているのか?そうなると・・・正面は・・・御神井道の方では?

 となると・・・この絵は正しく描かれているのか?ちょっと分かりませんが・・・これって、かなりリアルに描かれている?

 この図の中には文字が書かれていませんから、建物を特定するにはその特徴を見比べる必要があるのでしょうが・・・現存する建物とこの図に描かれている建物はかなり違っています。廃仏毀釈の影響なのでしょう。この本の中にはもう一つ興味深い絵図があります。それは、現在の表参道が作られる前の香取神宮の様子を描いた精密な図面です。

 ちょっと、先ほどの疑問に関して図を作ることを思いつきました。

 天子南面の思想から、江戸の大がかりな造営の際に、社殿の向きの変更が行われたとするなら?と考えたわけです。

 鹿島神宮の場合は・・・北向きのままで、社殿の位置をかなり奥の方へと動かしています。この件について、神意を占いによって伺ったりしているような・・・ちょっと、参考文献が行方不明なんで・・・どこへ置いたか・・・香取神宮でも結構いじったのでは?と思うわけです。社殿の向きをいじっても、建物の相対関係は変わらないとするなら・・・三本杉と神木の位置関係を江戸以前の古図に当てはめて、昭和の大改修前の図でそれを示してみると・・・

 面白いね・・・仮殿は、ほぼ楼門の前に来ますね。神木と社殿はきちんと三本杉と神木の間に入って、江戸以前の古図の通りの配置になるようです。

 とりあえず、これが香取神宮の社殿が造営されるようになった古い形であると、根拠もないですがよさそうな考え方ではないかと思われます。

 大宮司の館は、現在の神徳館に相当するようですね。宮司の館から、神宮の近道は神徳館の門を通るのではなく、古い参道と仮定した御神井道の方に、璽神社があって、この脇を抜ければよいことになるようです。

 なんとなく、鹿島神宮に似ているよな?右の図の仮御本殿が楼門の前にあるのは、かつて鹿島神宮の仮殿が楼門正面にあったのと似てる気がします。この仮殿や仮御本殿の役割に類似点があるような?

 そういえば、江戸以前の様子の図の中に拝殿というものがないような?それから・・・天真正伝神道流、いわゆる香取神道流は、室町時代に始祖である飯篠長威斎家直が、香取神宮境内の梅木山不断所で修練し、剣法の奥義を極めたとされていますが・・・この梅木山不断所の位置が分からん?

 多分、楼門の道を、金剛寶寺の方へ行く途中で、楼門の左にあった神楽殿の後ろの方に愛染堂があって、この愛染堂は梅木山不断所に属するとか・・・

 そうなると・・・この室町期に描かれた図は結構正しいのかもしれません・・・古い絵図をバラバラにして、現在の航空写真に張り込んでみると・・・

 右のようになると思います。津宮、鳥居河岸からの参道を考えるとほぼ正解では?

 利根川の津宮の鳥居、神道山にはお寺があって・・・このお寺の名前は・・・香取山根本寺ですかね?安永年間に廃絶したようです。この神道山には古墳群がありますね。

 そして、坂を上っていくと三重塔のある金剛寶寺、神宮本殿と挟まれるように梅木山不断所があり、楼門とその南に、現在の総門の所に鳥居があり、大宮司邸があるという風になっているようです。

 この時代でも、基本的に大昔の参道の御神井道に向かって本殿は置かれている。

 この図の建物の大まかな向きが正しいとすると・・・気になるのは・・・御神木と本殿です。室町時代の絵でも本殿の正面に間違いなく御神木がありますから・・・御神井道と御神木・本殿の位置関係は重要であったのでは?

 まあ、ネット上の無料の史料をかき集めてでっち上げましたが参道や、社殿は位置に関してはこのあたりまでが限界のような感じです。

 文献資料は国書刊行会の香取神宮関連の文書集があるようですが・・・ちょっと高価で、ホイホイと買えるものではないのが残念です。こいつは、近いうちに図書館でチェックしてこないといけないようです。

2013.06.09 















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