東北をうろうろ(28)
 山寺 立石寺へ・・・・5

 なんだかんだで、立石寺は資料が結構ありますし、変遷もなかなかおもしろくて、だらだら調べ物をしながら、駄文を綴るのが楽しくなってしまいます。開山堂の脇の細い道を進むと、やがて五大堂にたどりつきます。

 展望台状態のお堂です。しかし五大堂・・・中の扁額には五大閣とありますが・・・まあ、名称など大したことではありません。しかし、お堂のですから、五大明王がいらっしゃるはずなんですがどこに?

 ちょっと不思議・・・まあ、景色は良いので・・・しかし、こういったお堂にこもって、お経を読んで生活するというのも非常に贅沢なことのような気がします。

 何しろ、お坊様ですから、お経を読むことが大好きでお経の内容を理解するために、日々研鑽を重ねているんですから・・・

 私だって、関心のある分野の本など持ち込んで、ここで本を読んで生活したいものです。そういった生活は理想かも?大蔵経など5000巻もの大部のものですから・・・絶対、面白いと思います。読んでは考え・・・素敵な生活です。そういった生活が送りたい・・・しかし・・・ここまで本やら辞典やらを担いでくるのは・・・でも、大蔵経も電子化が進んでいるようだし・・・ますます、どこか良い景色のところで本を読んでいる生活ができると良いと思いますね。

 これから先の世の中では、ぱっと稼いで貯金して、投資信託でもして、数年かけて給料を下げて、引退・・・本を読んで暮らすのなら、それほど金を使うことはないですからね。特に、国会図書館などで公開しているような本だと・・・

 国会図書館の近代デジタルライブラリーを良く利用しますが・・・全てを読むには、私の寿命は多分足りませんからね。あと1万日程度の命でしょうから・・・いかに生きるか、重要です。

 さて、撮ってきた写真を眺めると・・・しまった見落とした!と思える場所がありました。それは・・・五大明王像・・・このお堂の中にもしかしたらあったのか?とね。

 右の写真です。連子窓とは気付きませんでした・・・だって、おみくじを結ぶ場所かと思っていたのでね。おみくじはどこで売ってるのとか・・・そんなことを考えていました。案外、この中に5体の仏像が納められているとか?

 しかし、落書きを禁ず!なんて大書されるとなんだかお堂という雰囲気は消し飛んでしまうような?多分、ここにまつられているのでしょう。そう、下に賽銭箱がありました。写真にも写っていますね。そうだ・・・何でこんなところに灰皿のような・・・賽銭箱があるのかな?なんって思ったんです。

 そう、トイレの落書きみたいなものも書いてあったっけ。一応、願文の形になってましたが・・・XXXが治りますようにだったか?記憶が・・・

 そう、もうひとつ気になったことがありました。それは・・・千社札とおみくじの他に、名刺が挿してあります。ふと、ここで新しい商売を考えました。奉納用の名刺・・・まあ、巡礼で使う、巡礼札がありますが・・・今風に、裏には願文を入れて・・・千社札のような意匠で・・・千社札を張らせないところが多くなっていますから、名刺を受ける箱とか用意して・・・毎月、祈祷しますとか・・・護摩を焚くような感じで・・・全く何を考えているのやら?

 五大堂からの眺めは秀逸です。ここには大正天皇は上がられたのでしょうか?ちょっと気になりますね。立石寺で普通に危険なく前山の景色を眺められるのは、この五大堂との付近だけだと明治時代の本に書かれています。ただ、この五大堂に入れる人数はどれくらいなのでしょうか?

 正徳4年;1714年に、この五大堂は再建されたと・・・正徳の治、新井白石の活躍した時代・・・正徳小判などの品位の高い正徳金の発行・・・慶長小判に劣ると・・・再び吹替え・・・

 300年前の建物か・・・

 眺めはとにかく素晴らしく、釈迦堂や胎内堂なども見えますね。眼下に見える建物・・・ここまで上がるのは大変だったよ・・・

 昔は、胎内堂や釈迦堂なども観光で行けたみたいです。

 ・・・金乗院から右に曲がると、巨大な斧で割ったような岩があり、ここの桟橋を進むと匍匐して通り抜ける胎内くぐりというのがある。そこには胎内堂がある。さらに梯子を登ってお堂の屋上へ上がると、そこにも岩穴があって地蔵尊が祀られている。胎内堂から険しく切り立った岩を登り、鎖が付けられたところを2つ登ると、行者戻しにたどりつく。ここからまた鎖を伝って下りると、開山大師の座禅窟にたどりつく。この南の岩過度に釈迦堂がある。さらに、岩を登るとそこでは、複雑な形の岩が沢山あって、風が吹くとさまざまな音を立てる。釈迦堂の下の絶壁の岩穴に梅の窓がある。行者戻しより険しいところを通っていくことができるが、ここへ行く人は少ない。

 右の写真の胎内堂へ行けたら素敵なのに・・・しかし、この桟橋は現在あるのか?それも気になりますね。いっそのこと、エスカレーターでも作るとか・・・岩を掘削してエレベーターで行けるようにするとか・・・そうだ・・・何かで見た!グランドキャニオンのスカイウォークってやつ、ガラスの廊下なんって素敵じゃないですか!

 その昔、奥の院のあたりからの滑り台をこしらえたお寺なんですから・・・未開の東北を拓き導いてきたお寺なんですから・・・

 信仰があれば、怖くありません!はじめの一歩が大切です。このガラスは絶対に安全だと言われています。想定外は・・・今までに・・・ありません!とか・・・空中を歩くようなこの感覚!とか・・・

 五大堂からの眺めというのはそういったものでしたからね。そうだ・・・まだ、軽い山登りならOKだろうから、今度は妙義山でも行ってみますかね。鎖場とかありますから・・・


 しかし良い眺めです。五大堂を後に・・・登ってく時に気付きましたが、岩に穴が・・・木の枠があって、ちらりと祠のようなものが見えました。適当に腕をのばして写真を撮ると・・・

 右の写真ですが・・・位牌が写ってる?文字は磐司磐三郎尊儀だって・・・もしかして、これは磐司祠・・・有名な祭りの・・・鹿子踊りを奉納する場所?

磐祠祭・・・円仁が山寺を開くに当たって、この地を猟場に使っていた磐司・磐三郎の兄弟と対面石で会い、この山で動物を殺すのを止めるよう悟され、磐司・磐三郎この山を猟場として使うことをやめます。これで殺されることがなくなった猪は喜んで円仁の前で踊ったとのこと・・・円仁は、私に感謝するのではなく、磐司・磐三郎に感謝せよと言ったので、磐司祠の前で踊り、そして、開山堂の前で踊るのが通例になっている。毎年旧暦の7月7日に祭礼を行う。この祭りにやってくる人は数万人、一山はもちろん山麓に至るまで立錐の余地がない。・・・と昔の本にありますね。

 ここには磐司像が置かれていたとのこと・・・右の台のようなものの上にあったのか?ちょっと気になりますね。多分、磐司が地主神なのでしょう。しかし、後には比叡山・・・日吉神社が勧進され、地主神としての役割を終えたのかもしれません。この祠がさびれたのは・・・磐司像を移転させたから?この位牌のようなものは・・・いつの時代のもの・・・いずれにせよ、ここで朽ち果てて行くのでしょう。そして、時の流れの中で、この場所も再び脚光を浴びることがあるのかもしれません。

 この向かいに、白山祠があります。こちらの祠は伊弉諾尊が祀られているとのこと・・。虫歯に霊験があると・・。立石寺も神仏分離前には、山王社のフルセットでもあったのでしょう、上中下の各7社21社があれば、色々な病に関しての霊験を持たせることができるような気がします。白山祠・磐司祠が残っているということは、セット物は一度に無くなるが、それとは違った謂われのものは根強いということか?ちょっと気になりますね。白山祠はいつから?白山信仰が広まるのは・・・熊野の勢力が落ちた南北朝時代の末ごろか?修験も本気で研究するか・・・

 立石寺の山は興味深いです。行ってみたい場所となると、こんな看板がついています。これより先は修行の場所につき危険ですので、一般客の登山を禁止します。と・・・

 何が危険なんだろうと・・・余計なことを考えてしまいます。行者が鉢とか飛ばしているとか・・・未熟ゆえどこへ飛ぶか分からないゆえ・・・とかならすごいのですが、空中浮遊をやっていて、女人が近寄ると落ちるので・・・単に、道が荒れて安全が確保できないからか?古いの絵ハガキなどを眺めると、今の様子より岩がむき出しになっている部分が多いですから、案外修験の道もかなり荒れているのでは?道は人が通らなくなると急激に植物に覆われてきますからね。ちょっと気になります。

 五大堂の下あたりからの景色も格別ですね。白山祠の下あたりには筏舟窟という洞窟があって、筏舟禅師が一切経を読誦した場所とのこと。筏舟は諸国を行脚して、立石寺に4年とどまり、慶応2年1月28日に円乗院で死んだ。火葬し、骨を最上川に流す。墓は開山堂前にある・・・

 ふむ、私もやってみたいものです。右のような景色の中で、経典研究・・・経典には興味があるのですが、なかなか目を通す機会がありませんからね。経典だけ持ってこの景色なら、読書・研究は進むに違いないですからね。

 山里の景色はすばらしいです。このあたりに別荘も良いですが・・・雪の多い場所は苦手ですね。

 筑波山麓とか良いかも・・・三畳一間程度の小屋なら建築実績がありますから簡単です。

 海岸の崖っぷちも良いかも・・・そろそろ、是がまあ つひの栖か 雪五尺 じゃないけど、つひの栖かを考える必要があるようです。どう生きるか・・・考えねば。さあ、山を降りたら一路、自宅へ・・・5日間の東北の旅もこれでおしまいです。後は、適当に・・・地図など眺めると、色々と回りたいところが出てきますからね。

 催事でどこかで、渋滞・・・夕やみ迫る中で、道を間違え・・・いや、予定がないから間違いじゃないし・・・とにかく、無事に帰宅!良い旅でありました。

  

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