東北をうろうろ(23)
 寒河江の慈恩寺へ・・・・

 出羽三山から天童に着いているのですが・・・山寺までほんのちょっとの場所にいても、時間の関係で・・・蔵王へ・・・蔵王もまた修験の道場です。道の駅 天童温泉で、パンフレットを眺めていたら、慈恩寺という寺の解説があって・・・時間的に余裕があるので、慈恩寺を目指します。地図を眺めると、私はどこへ行こうとしているの?というぐらいの迷走のような・・・記憶もやや怪しいようです。

 慈恩寺には多分8時半ごろに着いたようです。そして、境内のうろうろを開始です。この慈恩寺、神亀元年;724年に行基がこの場所をお寺にすることにして、天平18年;746年に菩提僊那がお寺を建てたとか・・・そのうち、このお寺はさびれてしまったのか?いや、多分荘園の寺なんでしょう。寒河江荘は藤原摂家の荘園として寄進されていますから。天仁元年;1108年に鳥羽上皇の勅宣を受けて藤原基衡が寺院修理します。ふむ、摂家に近づいて・・・東北の荘園の管理者にそして、文治元年;1185年に後白河法皇の院宣により、瑞宝山の山号を称えるようになります。

 ふむ・・・初期には、源頼義や義家たちが、実質的な荘園所有者の地方豪族と摂家との仲立ちをしたのでしょう。そして、摂関政治が終わり、院政の開始あたりになると、源氏も没落していくことになり・・・後三年の役のあとは・・・清原氏は荘園の荘園の代理人として藤原氏を名乗るようになる・・・昔もなかなか大変・・・藤原氏との関係のあったときは、興福寺とも関係があり、法相宗の寺院だったようで・・・

 このお寺は、天台宗と真言宗の両方を学べるお寺として繁栄したようです。そして、修験の寺としても知られ・・・葉山の別当寺となっていて、葉山修験の中心地とのこと・・・葉山は、戦国時代には月山、羽黒山、葉山の3つの山が三山として知られていたようです。そして、湯殿山はその総奥の院という位置付けであったとのこと。

 ところが・・・天文年間に葉山との関係を絶ちます。その後は、葉山に代わって、三合山(十分一峠)を奥の院とした修験を行います。江戸時代になると、幕府から寺領をずいぶんともらい・・・なんと2,812石だと・・・真言宗の華蔵院や宝蔵院、天台宗の最上院が中心となってたくさんの寺を配下に置いていました。

 かなり、このお寺さんは政治的・・・

 駐車場の方から歩いてくると、阿弥陀堂とか薬師堂とか・・・本堂が並んでいます。

 何やら、薬師如来の拝観ができるとか・・・何やら特別な日に当たっているようでした。まだ、早い時間なので、急いで一回りしました。

 仁王門があって、ちょっと・・・ほっそりとした上品な感じの仁王さまが立っていました。


 この仁王門なんですが、なんとなく箱の上に屋根が乗っているような雰囲気があって・・・ちょっと雰囲気が違うな・・・なんって思ったりしました。

 なんとなく・・・二階部分の高さがかなりあるからか?一階部分を取り巻く太めの材のためか?すごく立派な建物だと思うのですが・・・

 さて、私は塔が好きなんでね。この寺には三重塔があるので、それが見たかったんで・・・ちょっと、本堂前を通り過ぎて・・・というわけなんです。塔って、ストゥーパですから・・・仏舎利があるので、本来的には塔が中心になりそうなものなのですが。

 三重塔は標準的に立派ですね。最初の塔は慶長13年;1608年に建立されますが、やがて焼失し、文政13年;1830年に再建されたもので、高さ28メートルとのこと。

 三重塔を眺めて本堂へと戻っていくと、釈迦堂、天台大師堂、そして本堂となりますね。

 このお寺は見晴らしの良い場所にあります。眼下には、かつての寒河江荘が広がっているという感じです。そして、たくさんの坊があります。現在もあるのかな?案内板にはいくつかの坊が書き込まれていましたっけ。

 このお寺は、色々な宗派に関連があるようです。本堂には、壇があり・・・かつては、護摩を焚いていたようですが、現在は護摩は焚かないようです。とにかく、中央に直結した寺院なので、仏像などは、中央の製品がずらりと並んでいるようです。

 本堂は、右の写真のような立派なものでありました。なんとなく、柱が多いような?そんな印象を持ちましたが・・・

 本堂の中を拝観させていただきました。大きな厨子、宮殿の中に秘仏が・・・まわりにも豪華な仏たちが立ち並んでおりました。ちょっと不思議に思ったのが、普通は本堂の外にある、賓頭盧尊者の像が、本堂の中にありました。

 この尊者・・・中に入れないはず・・・十六羅漢の第一の人物でした。素晴らしい神通力を持っていて、あるとき人にそそのかされて、高いところにあるものを、梯子とか棒などを使わずに、座ったままで神通力を使って取りました。

 これが、お釈迦さまがとがめ、仏の道から外れた行いをしたと叱られます。そして、お前さんは末法の世に弥勒菩薩が出るまで涅槃の境地に入ることを許されないことになります。そして、この世で布教を続けねばならないことになります。

 こんなわけで、本堂に入ることを禁じられている・・・まあ、外陣の部分ともいえないこともないか・・・隣には聖徳太子もありましたが・・・

 さてさて、どんなものなのか?鐘楼もなかなか立派な材が使われていますが・・・なんとなく、釘がたくさん打ち込まれていて、補修の跡が美しくない・・・

 鐘自体はあまり古さを感じさせないものですが、鐘楼はかなり年季が入っているような感じです。天和3年;1683年に建てられたもののようです。修理したいから寄付をお願いって・・・そんな文言がありました。

 屋根が美しい・・・趣旨に賛同して、鐘の音を聞いてみました。鐘の音も悪くないですね。

 薬師如来とか・・・諸仏を眺めました・・・ふと思ったのが、ここの仏様、平安・鎌倉期のものが多いとか・・・薬師三尊像もあまり古さを感じさせない・・・江戸中期の作みたいな雰囲気を漂わせています。気のせいかな?

 まあ、田舎の文化財ばかり見てくると、なんとなく立派で、良い仕事のものは新しそうに見えてきます。文化の伝播には時間がかなりかかり、辺境と中央とでは数世紀の隔たりがあったりしますから・・・

 さて、隣の華蔵院でしたっけ?ここものぞいてみました。お地蔵さんの幟が出てましたね。

 このお寺の門には興味深いものがありました。それは・・・たくさんの文字の書いた板が打ちつけられています。

 いつごろのもので、これは何?というわけで観察するのですが、比較的新しいものかと思ったら・・・

 この札には文久・嘉永・宝暦・天明・文化・寛政とか天保とかの年号が読み取れます。江戸時代のものなんですね。釘で留められている?

 江戸時代の人たちは何を願って祈祷をしたり、修業をしたのか?

 如意・満足・安全などの言葉が見受けられます。如意なんって素敵ですね。

 このお寺の宝篋印塔、先端部分が鎖で留められています?まさか、この前の震災関連?しかし、この鎖は新しいものではなさそうなんです。

 そういえば、三重塔の相輪にも鎖がついていましたっけ・・・このあたりの文化なのかな?とかふと・・・

 宝篋印塔の鎖との関連は?見た感じ1年でこんなに錆びるとは思えないので、以前から鎖が垂らされていたのだと思うのですが?まさか、古鎖?なんてことはないでしょう。

 文化というのは、サイズが違っても同系統のものの中に、その反復がありますから・・・あまり、鎖のついた塔というのは見かけませんが・・・気のせい?

 とにかく、3つのお寺と、それに付属する文化財などの拝観に2時間程度はかかりますね。そして、八千代公園、山王台公園など、かつての修験の道もあるようですから、1日分の観光コースが作れるだけの素地はありますね。

 いくつか残る坊には、宿坊の機能を残すものもあるでしょう。宿坊料理を復活させ、体験修験とか、写経、鐘つき体験、護摩であるとか・・・1泊2日の修験と、認定札とか・・・

 そうだな・・・修験の道を整備して・・・多分山ほど石仏などが道沿いにあるでしょうから、2時間ぐらいで回れるコース・・・まあ、街歩きでも良いでしょう。このコースを2つ整備することが始まりかな?

 3時ごろ到着、本堂で座学1時間程度・・・寺について、修験とは何か?一般知識と歴史・・・パンフレットが必要かな?優秀な台本書きに頼んで、飽きさせないものを・・・1つ目のコースを巡り・・・新たなパンフレットと優秀な話手の先導、それなりの衣装が必要かな?簡易修験でも、形が大切・・・注連寺にあった首にかける七五三掛とか必要ですね。お土産となる宗教的な小道具・・・

 ああ、初日は街歩きの方が良いかも?残されているいくつかの坊とか神社、寒河江荘の雰囲気を感じさせ・・・歴史の重みというのを演出・・・庶民的な生活と、お寺とのかかわり、お寺が中央からもたらした文化とか・・・京都風の何かが少しあればOKだな。街の案内は、女性かイケ面の若い男・・・夕方との対比のため。

 日没直前まで、街歩きをして・・・ハードなコースにならないように注意してそれと非常に軽い食事、精進料理なら軽いね・・・酒はなし!まだ、あくまでも体験・・・

 暗くなってのイベントとして、護摩修法・・・もちろん護摩木を書いてもらわなきゃ!何事も体験・・・文例など完備・・・基本1枚、オプションで数枚・・・1枚の護摩木に1つの願文・・・ちょっと山に登って護摩修法・・・10分程度の坂道を登っていただく、これが大切・・・

 登った先でお神酒をふるまう・・・神仏習合だからOKでしょう。ただ、担いで降りる事にならないように・・・ふるまうといっても、明治神宮などの昇殿参拝のお神酒の3倍くらいの量で良いでしょう・・・10分ほど歩いて降りるのだと言いふくめれば・・・戻っていただくこともできます・・・2度はだめです・・・OKでも良いか・・・この修法を行うのは・・・できれば鬼がわらのような顔の人で、言葉は柔らかな・・・荒法師としても見えるような・・・

 宿へ戻って8時、眠気を誘うような食べやすい食事を出して・・・メニューは基本は精進系、固いものは避ける・・・良い日本酒、良い果実酒だな、後味のすっきりしたもの、良くできたどぶろくなども良いかも?翌朝は早いと・・・修業体験ですから・・・

 10時に床に就かせるような仕掛けをしないと・・・廊下の照明は10時で落ちます。明日は早いです・・・修験です!修業です!レモンパームとかホップとか・・・鎮静作用のある地元の薬草はないかな?漢方なら柴胡加竜骨牡蠣湯とか、桂枝加竜骨牡蠣湯・・・獣骨や牡蠣がらなどのカルシウムを基材として、茸由来の多糖体にシナモンで味付けかな?そういった飲み物でも・・・月山で採れるようなハーブが・・・

 深酒はなし!ああ、2泊コースにするべきだな。問題は2泊にするだけの観光資源があるかどうか?

 翌朝、朝の軽い勤行・・・朝食・・・写経・・・写経は2コース、真面目に写経するのと、法話を聞くのと・・・字を書くのが好きな人と、そうでない人の差は大きい、もちろん写経した人と話が通じるように、写経する御経のお話ですね。もちろん、写経する人にも要約は語っておかないと・・・字を写しただけではだめですから・・・講話を聴いた人との後の話題も考えて・・・

 法話のDVDも売ると良いでしょう・・・そうだな・・・メインは御経・・・般若心経、サブタイトルで、気分が落ち込んでいるとき、何か大きな決断をするとき、明日が良い日になるように、誰かの健康を祈るとき、お金に困っているとき・・・などなど、庶民的な悩み事に対する助言と、こういった時にはXXの真言を唱えましょう!とか 

 人の言に左右されないように心を強く持ちたいとき・・・・あなたの決断を保つことは重要です。皆があなたの決断を信じ、それに向かって進もうとしているとき、誰かの囁きにつられて、あなたの決断でもあり、皆の意思となったものを、あなたが変えてはいけません。あなたは、不動明王の決心と同じように、不動のものとならなければなりません・・・不動明王を心に・・・「ノウマク サンマンダ バザラダン カン」を唱えましょう。さあ、私について唱えてみましょう・・・こんなことを、初老の優しい信頼できる御顔の立派なお坊様が荘厳な雰囲気の中で語るものなど良いのでは?

 ああ、販売用では数が出ませんから、このDVDは修業記念の日にちと印が押せるようにして、修法記念の護摩札と共にお土産にすれば、それなりの数が出ることになるでしょう。

 販売できるものは・・・先ほどの漢方系の飲み物・・・ツムラあたりに開発させると良いのでは?パッケージ商品も数がある程度見込めれば開発してくれるのでは?朝にはすっきり慈恩寺夢散湯、昼には慈恩寺活力湯、夜には慈恩寺安息湯とか・・・お茶みたいなものを・・・リピーターが出るようなものは大手に開発させるに限ります。お酒系のものなら・・・養命酒にでも依頼して・・・近頃は、フレーバーの開発など薬種系の商社のような感じになってますね。慈恩寺薬師如来保命酒とか・・・夕食の最後に飲めるような口の中をすっきりとさせ、満ち足りた気分にさせるような薬酒・・・

 ああ・・・何をやってるやら?企画系の仕事は昔やりましたけど・・・このお寺を中心とした観光企画は可能性が大きいので、ちょっと面白いかも?何しろ、未開発という感じですからね。

 寒河江の産業もチェックして、なるべくたくさんの企業が参入できるよな企画にすると面白いかも?まあ、観光企画は、朝の10時から夕方4時ごろまでで、お客さんを満足させる物があればOKなんでしょうが・・・夜のイベントを加えると2泊まで・・・朝の10時から翌朝10時または、翌日の10時までの企画になるのかななんて・・・分割可能にすることも・・・

 サクランボは知名度が高いが・・・サクランボ狩りをさせると、後は帰宅になっちゃうし・・・観光は組み立てが重要です。

 全く、何を考えているやら・・・お寺の方が、ガイドになって1人の人間に対してきちんと対応してくれたことに感謝・・・慈恩寺は良いお寺です。

 さあ、山寺立石寺へ向かいます!あれ?慈恩寺のホームページが6月頭から公開されているようです。なかなか良いタイミングで出かけたのか?山形県寒河江市の宗本山慈恩寺公式ホームページ ふむ、立派なホームページであります。

  

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