ネットの中をうろうろ(11)
  中朝国境に何が・・・(11) 三峰から會寧へ
 
 資料が多くなると、かなり大変・・・読む本が多くなり・・・内容が濃くなるか?それとも、別のところへ興味が移るか?何をやっているのか・・・分からなくなるかも?とにかく国境をたどっていくことにしましょう。

 三峰を出ると、豆満江の峡谷は狭まり、中国側から見えない山の中に、何やら大きな施設が見えてきました。座標は 42°40'58.37" N 129°48'42.95" E このあたりですね。新しそうなきれいな建物があると、すぐに、この建物は何?なんって考えてしまいます。

 山の上の方につながる道などもあり・・・ちゃんと陣地もありますね。

さて、この建物と左の方には、農地とは思われない区画があります。

 したがって・・・軍事関連施設でしょう。建物の近くの分水嶺の近くにある陣地らしきものから国境の川まではおよそ900mですから、迫撃砲の6門もあれば、それなりの攻撃ができるでしょう。

 三峰が渡河地点として、非常に優れています。渡河できる範囲が広いので・・・會寧に抜けるには、それなりの兵力なら、鉄道の通っている川沿いを抜ける必要があり。それを上から攻撃できる場所・・・裏の谷から山を制圧しなければならない・・・

 右の写真の牧草地のような広がりは、なんとなく・・・射撃演習場かとか・・・とか、山城を眺めた後だと考えてしまいます。はたして何なのか?案外、植林事業本部とか?足を鍛える?広場に人を集めて、山登りのタイムトライアル・・・なんとなく、そんな風に使われているような感じの道もあるし・・・踏み跡で考えると、トンネル型の弾薬庫があってもよさそうな場所もありますが・・・

 この山は軍事的な要衝であることは間違いないでしょう。この山をとられると・・・防衛は困難になりそうな気がしますからね。とにかく、ここの施設は拡充されつつあるということです。使用目的は不明・・・

 さて、このあたりは渡河地点があまりなさそうです。防衛拠点を置く場所は、台地の上でしょう。なんとなく、このあたりの山は、メサ・・・切り立った山の上を切り取ったようなテーブル状の台地のような感じです。その上に、昔の山城の跡のようなものを見出しました。なんとなく、鏡城の城壁と雰囲気が似ています。座標は 42°39'25.35" N 129°48'27.45" E です。

 なかなか立派なものです。多分、六鎮を整備した中で作られたものなのかもしれません。城であった当時は、どのような建物があったのやら、興味は尽きません。

 鏡城からは、昔の大砲が出土して、博物館に送られたようですが、それはどうなったのやら?この時代の大砲は・・・たしか仏郎機砲とか石火矢とか国崩しなんって言われたものです。鏡城には7つの砲塁がありますが・・・ここでは8か9か所?あるようです。大砲を調べてたら・・・余計な本を発見、異国叢書. 〔第8〕これって、シーボルトの「日本」って本の翻訳だ!あとで読まなきゃ!とか・・・どうも、移り気で・・・

 さて、どうやら、六鎮は城のネットワークであるようです。すると・・・高速通信網が存在したのでは?何しろ律令体制下では光通信が行われていましたから・・・烽火です。確か20kmぐらいをつないでいたはずです。わが国の養老律令では烽火台から1kmの範囲ではみだりに火を焚いたり煙を出してはいけないことになっていますから、城から1kmほど離れた高い場所にあるはずです。

 論理的な帰結として、場所は左の写真の位置でしょう。多分・・・座標は 42°39'02.68" N 129°47'37.44" E です。ああ、ここへ行けたら!城の端から、直線で1kmちょっとで、鏡城の山々が見え、會寧の方の山が見える素晴らしい場所、しかも、谷に広がる平野も一望できます。

 左上の四角な場所・・・これから、家は45mほど離れた場所にあります。案外、昔の地割りが変わっていないとか?置烽処条によれば火を焚く場所から、燃やすものを置く倉庫は約45m離す事になっています。もちろん、場所に余地がない場合は別との文言がありますけど、ここではOKですから。第十七 軍防令 全76条中52〜76条

 この烽火に関する細則の式では、通信規約が定められているはずなんで、式も知りたい・・・残っているのは延喜式か・・・国史大系. 第13巻にあるか・・・ 兵部省関連は28巻か・・・429コマ以降だな・・・432コマに大宰府の中にありますね。使節の船は1つ、賊は2つ、200艘以上の船なら3つの烽火を上げるようです。しかし・・・実務だとこれでは分からんな?

 ああ、北朝鮮に入れないというのは良いことです。もし、行ける場所だったら・・・絶対行っちゃいますからね!

 でも、案外レーダーサイトになってたりしてね。そして、1か所の任期が3年で、士官の下に4人がいて1日2交代で監視に当たってるとか・・・公務以外で、職場を離れてはいけないとか・・・

 しかし、この地域は面白そうです。もっと、丹念に古城を探査して、六鎮が置かれた頃の防衛システムを考察するのは興味深い作業になりそうですからね。しかも、実地調査が不能な場所なので、ネット上の情報だけでの研究ですから・・・ある意味他力本願、されど・・・妄想が入り込む余地が沢山あるのでOKかも。そして、朝鮮総督府の調査データもかなりのものがネット上にあるし・・・最高の遊びかもしれません。

 しかし・・・軍防令の烽火の設置規則の前の、東辺条とか縁辺諸郡人居条の規定が、朝鮮の村そのもののような気がします。辺境では城堡の中で暮らす事、田畑の周りには住宅を置かないで、ただ農具の置き場兼、農繁期の宿舎だけ置くこと、農繁期になってまわりが安全なようであれば、城堡からでて耕作に従事させる。収穫が終わったら、城堡に戻す事。城堡が壊れたら、そこにいるもので農閑期に間に合うように修理すること。まあ、こんな具合・・・

 この城の西の平野の様子が、まさにこの条文そのままのような感じがして・・・

 ふと、徳川時代って、事実上自由経済であったのでは?貨幣経済が最も発展していた国・・・そんな気がしてきました。日本が戦国・安土桃山時代・江戸時代をかけて貨幣経済を受容し、江戸初期で為替や管理通貨制が事実上完成していて、明治に入り、西欧風の文言に変わっただけで一発で順応してしまった・・・しかし、朝鮮では古典的な農奴封建制が高度に発達、家の中でも両班なら、自分は動かず、女子供に働かせ生活の糧を得ていた・・・共産制は、ある意味形を変えた農奴制のようなものですから・・・言い過ぎかな?

 共産党宣言は、資本主義社会を資本家階級と労働者階級の階級闘争を基本に置きます。資本家の所有を廃止し、労働者が資本を所有する・・・資本家がいなくなるから、みんな幸せ!そういった国家を作り出す・・・しかし、全員が指導者になるわけはないので、労働者の中に階級ができることになって・・・書記長しかし、なんで書記長なんだろう?記録する者でしょうが・・・

 日常的な事務を行うものが書記・・・日常的な事柄・・・食べて、寝て、食べるために働く・・・これが、原初的な日常業務、これを調整する事務を行うものが書記・・・干渉できる部分は・・・食べるために働くことについてですね。食べるために働くことについて、勤務時間や、仕事の価値を定め、富を分配する者をミスターXとしましょう。ミスターXが、国王でも書記長でも、資本家でも、地主でも・・・国家など全て同じでは?なんってね。所謂、体制など、それがどれほど固定化されているかにすぎない、固定化されたと言われる社会でも・・・身分は売買される・・・食べるための努力を放棄して生きるには?それは革命によってミスターXになること・・・これが、階級闘争の原理なのでしょう。

 時代遅れと思える、律令制だって・・・実はうまく働く法律であるようです。比較法学でも研究するか?案外、式のレベルで比較すると、どの法も差が無くなってしまうのでは?なんってね。その意味では・・・私は、筋金入りの自由主義者ですかね?北朝鮮は面白い・・・

(2012.11.19)

inserted by FC2 system