ネットの中をうろうろ(6)
  中朝国境に何が・・・(6) 古いタイプに見える場所

 北朝鮮の村はどこも同じようなのであまり面白くなくなってきました。四角い区画の農業倉庫に囲まれた広場のような作業場と50戸ほどの住宅、オベリスクの影・・・革命記念塔のようなものがあって・・・これが1ユニットという感じですから・・・もう少し規模が大きいと学校がついて駅がちょっと立派になって・・・これが新興?の開発地のパターンのような感じです。整然とした区画に立ち並ぶ家々・・・

 屋根の修理があまりうまくない・・・中層住宅の屋根はだめですね。案外、田舎に頑張って建てた中層住宅は、屋根の不具合と、給水設備の不備で不人気か・・・さらには、居住困難になってしまうのでは?そのため、新規に平屋の住宅を建てて、窓などは取り外して使っているとか?4階建てぐらいの集合住宅だって、水を上げるための設備って重要ですから・・・そう、水道設備をあまり見かけませんね。川に沿って、沈殿槽に使っているような四角いプールのような物の連なりなどを見かけることがありますが・・・機場のようなものは?

 さて、ちょっと魅力的な村落を見かけました。Tonggwan-niという場所42°49'36.23" N 129°49'27.27" E 北朝鮮の地名は地図によって変わるんで?よくわかりませんが・・・どこが魅力的かというと、村は四角く、その区画の中にごちゃっと家が建っているというやつです。多分、古い形を残している村落ではないかと思うわけです。

 まあ、別に珍しくも何ともないようなものですが・・・多分、中央の上の大きな建物が領主か代官か高級な両班の屋敷、今だと村役場とか・・・なんとなく古代の中国の条里制の都市を模しているみたいで、ちょっと魅力を感じました。

 両班・・・文官・武官を輩出する家柄・・・封建主義9的な支配階層・・・人口の2%程度は許されると思うのですが・・・

 徐々に茶色の屋根に蚕食されてきているような村ですが、ちょっと面白いのです。右上の2つの農作業広場、左下の駅・・・駅を中心に発達したわけではない村・・・

 ふと・・・北朝鮮の送電網ってどうなってるの?という素朴な疑問・・・この村に受電設備はあるの?鉄道には電気が来ているのは分かります。多分、250戸から300戸の建物、500〜600世帯・・・夜間は電球で・・・100W×600=60000W 6kW程の消費では済まないよな・・・案外、電球が5W・・・国民球とかそのレベル?

 ちょっと資料をあたってみましょう・・・横浜電燈会社草創期の発電設備と需要家の様子・・・明治23年2月に直流エジソン三線式で送電するため、エジソン十号型発電機4基を米国製ルーツ水管式汽缶で2基でニューヨーク セフチー会社製汽機2基で動かしたようです。そして9月15日に100kWの試験送電を開始します。10月から営業開始、初期契約700灯、年末までに1100灯まで増加したため、発電設備を60kW増強、160kWとなったとのこと、横浜の居留地向けの送電から始まったというわけです。

 つまり、この村落程度の電力を送るためには、村内に多分・・・中央の役宅の建物ぐらいのに高い煙突がつくか、まあ、ジーゼル発電機でもよいでしょうが・・・この場合は軽油タンクが見つかると思うのですが・・・電化製品が普及していなければ・・・料金体系は定額電燈でしょうし・・・

 とにかく、社会インフラが良くわかりません。この集落の場合、このカメラの解像度は多分50cm程度、偽解像の領域で20cm保証はできない解像度ですが、なぜかそれらしく見える・・・というやつですかね。

 Google Earthの良いところは、とりあえず写真をつないでくれているところですね。国土地理院のやつみたいに、生のデータでないからです。航空写真は、同じ領域をだぶらせて、立体視を使って立体を再構築することができます。GoogleEarthもそれをやっていて高度データを作り出して3D化しているようです・・・地形データにテクスチャーとして貼り付けているのかもしれませんが・・・

 この集落に水場は?これが問題・・・川の近くですが、川まで中心部から約800mやや遠い気がします。多分、飲料用の良い井戸は写真左上の小さな屋根がついているところでしょう。このあたりの井戸はどのようなものなのでしょうか?

 多分、文化圏からすると・・・右のようなやつではないかと思われますが・・・

 電燈で思い出しましたが、日本の電燈会社って・・・草創期は、電車用の電力の切り売り・・・というか、副業というか、そういったもので始まったものもあったと記憶しています。

 そういえば、江の島電気鉄道って・・・先ほど電力の例に使った横浜電燈会社の後身のものになり、東京電燈・・・とかの系列でしたっけ・・・江の島電気鉄道は・・・直流600Vでしたか・・・ここの架線を支える柱は、東電の電柱と共用しているやつがあったと記憶しています。案外、電車の給電と町の給電を共用しているとか?

 そうなると、鉄道沿線の民家にも給電可能でしょう。電車用は直流3000Vですから・・・交流の高圧送電を、所々で変圧整流しているとか?

 朝鮮の電力は基本的に日本と同じ100V及び200Vですから、昔の日本のシステムと同じと考えてよさそうです。北朝鮮の都市の写真を眺めれば、基本的な電力システムが見えるかもしれません・・・というわけで早速、写真を眺めてみました・・・屋根の上あたりが良く写っている写真を眺めると・・・

 興味深い写真がありました・・・右のやつ・・・初めは宗教的な何か?かと・・・近くの家々に丸に十の字のやつが立ち並び、このグランド整備のトンボみたいなのが立ち並び、短い板を継ぎ合わせた箱が立ち並んでします・・・

 トンボのようなものは、碍子や電線が確認できるものもありますから・・・電柱のような?丸に十の字は・・・こいつは、ラジオのループアンテナでは・・・木の箱は・・・これはどうやら煙突のようです。この写真を撮った人は、映画館の写真を撮ったようですが・・・

 ループアンテナ・・・こんな感じのアンテナを私も作ったことがあります・・・昔々、鉱石ラジオとかゲルマニウムダイオードで・・・ラジオの普及率はどんなものなのでしょうか?これも気になります。でも、ダイオードとか手に入るのか?

 古典的な方鉛鉱を使ったものか?コイルを2つ付けて中波と短波を聞き分けるとか・・・そういえば、この国のラジオって周波数固定?他局が聞けなくなっているとか噂を聞きますが・・・自作鉱石ラジオなんかは取り締まりが困難ではないかと思われます。まあ、大出力の送信を行っていますから、よほどチューニング回路や回路の実装技術がないと海外の放送を受信することは困難・・・

 逆にいえば、低性能のラジオでいい加減なチューニングしかできなくても、とりあえず自国の放送は間違いなく入るということなのでしょうか?

 もし・・・鉱石検波器を使っているなら・・・方鉛鉱や黄鉄鉱の結晶・・・こんなものは北朝鮮には沢山あるのでは?

 写真あさりをしていると・・・かわいい柱上トランスも見つかりますね・・・この柱上トランスだと容量は数キロWでは?

 ネットの中を捜すと、色々な写真があり、見方によっては色々な情報をもたらしてくれるものです。

 噂では現在の北朝鮮では全人口の26%の家庭でしか電気を使っていない・・・昭和12年の府邑面の電気の使用可能な場所の統計を眺めると・・・市町村に相当するかな?府邑では全て供給できる状態のようです。そして、面の単位では、朝鮮全体で2325の面があり、そのうち773の面で電力供給が行われています・・・36%の面で電力が使用可能・・・

 ただ、この時代の統計の中には、鉱山とかそういった発電設備を持ったところが、まわりに供給するとかそういった事をやっていたようです。たとえば、茂山では、140kW程度をジーゼル発動機で発電機をまわしていたようです。これで、何をしていたのか?民生用というより、産業用で鉱山用だったのでしょうか?

 さて、この村には電気は来ているのか?気になるものです。少なくとも駅には電気が来ているはずですが・・・直流3000V・・・まさか、電動発電機で交流100Vを作っているとか?まあ、通信用と駅用のケーブルが張られているとか?色々と考えられますけどね。

 さて、もうひとつ気になるのは、この集落の存在意義・・・ちょっと特殊な形をしているような気がするのでね。何か、歴史的なものを持っていそうな気がします。単に、時代に取り残された集落か?

 しまった・・・鉄道の分岐を見落としていました。どうやらこの駅は、江岸里駅のようです。地名がわかっても・・・この場所の情報は・・・探しているのですが見つかりません。戦前の本を眺めると威興北道のあたりの家屋は、オンドルがあって狭く屋根が低く窓がない・・・しかし、地方富豪及び、往時の官庁はあたかも我が奈良朝時代の建築物と類似し、往々二階建て等ありて、廃寺のごとき威を為すあり。とのこと・・・

 新たに読み始めた本は、興味深いのですが・・・我が北鮮に暮らす同胞は・・・なんって言葉がちりばめられています。北朝鮮に暮らす日本人は・・・の意味なんで、なんとなく・・・正しい表現なのですが、違和感が・・・同胞か・・・同胞・・・はらから・・・あまり使わない言葉・・・

 ああ、この本は興味深い・・・朝鮮の商業の根幹をなす客主についての記述があります。北朝鮮誌興味深い本です。封建制と、貨幣経済の伸長の中で、不足する銭での現金決算が困難なために発達し、口銭・・・成功報酬で成り立っていたものが、市場経済と、電信などの通信網の整備で、消滅に至った業種・・・

 私のいい加減な推測では、酒屋・土倉が貨幣の発達の中で消えなければ、こういった形態になっていったと思われるもの。日本は、金銀貨が発達して、さらに手形などが制度度とし認められて信用取引・天保銭に始まる管理通貨制に移行してしまうためにそうはならなかったもの・・・ああ、学位論文が書けそうな・・・今更ね・・・

 しまった、歴史の中をうろうろと、ネットの中をうろうろを分けるのではなかった・・・しかし、この妙な家屋配置の村は気になります。この村を理解するために、あと3冊ほど本を読まねば・・・

 この集落に着目して正解だったような?ここの衛星写真は2010年3月13日と2002年4月28日となっています。基本的に、新しい方の3月13日の画像を眺めていましたが、荒涼とした農地ですね。地形を眺めるにはこれで良いのですが、生産活動はほとんど見られません。しかし、4月28日になると・・・苗代?それとも水田?が始まります。

 機械化していないとなると、昔の日本と同じで田植えはかなり遅いと思われます。田植え機を使わないのであれば、かなり大きくなった苗を田に植えていましたから。

 さて、2002年4月28日の画像と2010年3月13日の画像を比べると・・・この集落の家の数が変わっています。家屋が新たに建てられている・・・そして、苗代と思われる場所が変わっています。7区画が6区画に区画割りを変えられ、かつての苗代が一列減って住宅に変わっている?これは発展しているのか?荒廃しているのか?と言えば、町域が広がっていることは発展・・・

 農業に改良が加わって来ている?ということですかね?つまり、農業生産に関しても何らかの変革が始まっているということなのでしょう。

 共有地の地割りってそう簡単には変わらない気がするので・・・

 21世紀に入って・・・朝鮮の農村の様子が変わったのか?確かに、この村の中心部の建物は、道路位置も含めて変化があるようです。なんとなく、この村落、旧来の形を残していてくれればよいような気がしてきました・・・多分、封建制時代の古い村落の形を残す希少な街のような気が・・・ばかばかしいような気もしますが、この街をもう少し詳しく見てみたい気がします。

(2012.11.11)

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