歴史の中をうろうろ(10)
 日韓併合でどんな変化が・・・(10) 朝鮮の風俗c

 さあ、次は民間信仰第二部 朝鮮の風水を眺めて行きますが・・・風水の基本は面白くない・・・ある程度、気分は分かるのですが、地脈とかではなく、人間の営みと地形なら理解できますが、地下の様子などが、人間に影響を与えるなんて・・・まあ、山容で地下資源の有無がわかったりもする時がありますから、一概に否定しませんし、地下資源の枯渇による鉱山の閉鎖で、人間の営みにどれだけの影響があるかなどは分かりますけどね。

 さて、琉球の葬制の解説もあるんです。右のような古い形式の墓・・・破風墓(はふうばか)、王族や士族に許された沖縄特有の墓の形式の一種で家屋同様の屋根があるやつです。この本ではカラファーフーバカと解説されています。

 右の図のような墓の中に棺を置き、中の遺体が風化して骨だけになったら・・・洗骨して骨壷に納めて安置というわけです。

 一般人は、葬祭用の洞窟に遺体を安置し、風化させますが、王族・士族は、安置場所を人工の洞窟にしたというわけです。

 このほかの墓の形態としては亀甲墓がありますね。こちらの方が形式としては新しいようです。今見る亀甲墓の多くは、廃藩置県以降、一般人にもこの型の墓の形態が許されたために、昭和の初めごろまでつくられたようです。以前、沖縄の土地も欲しくて、競売物件を眺めていたら・・・亀甲墓がずいぶんと出ていましたっけ・・・危なく入札するところでした・・・買って何をする・・・墓で・・・

 ふと、これって・・・中世の横穴墓の形式に似ているような?気のせいか・・・西大須賀の横穴とか・・・鹿嶋市の神野の横穴墳墓とか・・・見かけは違いますが、家族墓で、段と・・・遺体安置スペースか・・・配置は良くわからない・・・なんとなく、発掘調査報告書を眺めただけだから・・・

 まあ、国が違っても、人間の考えることって大差ないということなのかもしれません。文化というのは案外思考によって越えられる程度の壁なのかもしれません・・・感情的な排斥の壁の方が厚いが・・・という条件を付ければ・・・

 なんだか、気楽な お遊び研究の筈が・・・なんだか、本気になっていく・・・参考資料に金を使わないようにしなければ・・・

 亀甲墓などの形式が公開された途端に、庶民の間でもブームになって多くの亀甲墓がつくられる・・・墓制の変化って、こういったものにあるのかもしれません。流行・・・

 仏教伝来、薄葬令・・・古墳時代の終焉・・・薄葬令は不要だったのかもしれません、所詮、法などは形式的要件にすぎない・・・流行は、仏教・・・火葬、究極の死体処理・・・殯などは意味がない・・・となるのか?

 さて、この朝鮮の風水という本を眺めていると、どうやら遺体はそれほど重要ではないようです。というか・・・現世利益の道具のような感じです。その意味では非常に大切・・・良い場所を墓とすれば、ただちに発福し、豊かになれるというわけですから。骨は地脈と血脈の仲立ちをしてくれるような感じですからね。

 しかし、地域によっては、よさそうな土地を見つけると勝手に墓地にして祖先の骨を納めてしまう人がいたようです。そして、罰則規定があって罰金刑に処せられるわけですが、その罰金も、家が栄え、高位につくための投資と心得ているとか・・・博打のような墓の話です。さらに、墓の件で罰せられると、それもまた孝であると・・・儒教的な精神もなかなか問題・・・信仰が公法に勝るのですから。しかし、公法と言っても、人様の墓を暴いて骨を川に捨て、そこに自分のところの骨を持ってくとか・・・こういったものって、法以前の問題のような?これが、慣習として許されている・・・わけはない。所有権という強い権利が認められていないわけではないのに・・・祖先崇拝が優先されるということは・・・朝鮮には形骸的な政府はあるが、血族単位の集団がなんとなく、その形骸的な政府の下で、血族単位での倫理規範で動いていたとなるのかもしれません。

 恨みのある家の墓地に杭を打ってくると、その家が滅びるとか・・・色々なことが信じられたようです。共同墓地に葬ることは良くないことと信じ、風水に頼って良い場所を探し、たとえ、その場所が他人が墓と定めた場所であっても、そこへ埋めて墓とする・・・

 風習を見ていると非常に興味深い・・・古い墓に、新し遺体を葬らず、近くに埋めておいて、しばらくたってから古い墓に入れるとか・・・骨にして、しかる後に洗骨、埋葬というのが基本パターンであるようです。

 しかし・・・良くわからないのが、祖先の墓と現世の人間が関係あるのか?地脈は死者の骨と感応する・・・穴と言われる地脈の力が溜まる場所に墓を置くと良い・・・そして・・・同気感応説というやつで、同じ気骨を持つ子孫にその力が伝わる・・・つまり、地脈、龍の力を祖先の骨を通してもらってしまおうということのようです。しかし、同気感応というのはあるのか?

 あまり、信じられないな・・・たとえば、指を失くした・・・自分の指の骨を良い場所に埋めると、自分にちゃんと何かが帰ってくるのか?頭蓋骨じゃなきゃならないというのだと問題ですが・・・しかし・・・文化の深層はなかなか理解しがたい・・・

 儒教では人の魂は、死ぬと2つに分かれるんでしたっけ・・・陽の部分である魂と陰の部分である魄という2つ・・・魂は精神の部分で天に登ってうまくいけば神になる、それに対して魄の方は、肉体を司るもので地に返る・・・魂は位牌などで廟に祀られ、魄の戻る場所としての墓がある・・・儒教の魂魄の概念ってどんな具合に成り立ってきたのやら?

 どうも、私のイメージの中での儒教というのは、実用の人間関係を規定する学のようなイメージで、確かに葬祭儀礼も儀礼で人間関係を規定するものであると思うのですが・・・ああ、日本的な感覚と朝鮮の感覚の違いがなんとなく見えてきました。同じ儒教でも、日本と朝鮮では違った系譜を持っているのではないかと・・・日本は朱子学を取り入れます。しかし、朱子学の中には祖先崇拝に関して、問題が存在します。それは・・・人間の死を朱熹は気の離散としちゃいます。離散した気は元に戻らない!とすると・・・祖先祭祀は無意味・・・祖先崇拝ありきの社会では受け入れられない理論です。しかし、朝鮮の官学となる・・・どのように調整したのやら?

 日本の祖先崇拝の形態って・・・

 地下の龍とは何かというのも気になります。エネルギーの流れ、龍脈、こういったキーワードで私の頭の中に出てくるのは・・・熱水鉱床なんって言葉ですかね。鉱山至宝要録とか・・・九州大学九州大学工学部 (旧)採鉱学科の所蔵する本が面白い・・・熱水鉱床は白い石英の鉱脈を作ったり・・・熱水によって水晶が作られたり・・・そういった所には金や銀が出てきますね。赤鉄鉱などを含めば、赤くなるし・・・そういえば、風水で埋葬した骨が白かったり赤みを帯びる場合は良いとされたんでしたっけ・・・そして黒くなると良くない・・・

 日本の山師は東北の鉱石の露頭として土鉱って泥状であったり砂状の鉱石があり、その色で白物とか赤物って呼んでいたようです。そして、こういった土鉱の下部に黒色の重たい鉱石が見られました。残念なことに土鉱の製錬法は確立していましたが、この黒い鉱石は利用する技術が確立するのは1900年ごろ、土鉱が枯渇し、黒鉱自溶製錬が確立されることで小坂鉱山などが再び活発に活動するようになります。このあたりからは黒鉱の時代になるわけです。

 案外、地脈とか龍脈は大地の白い骨、熱水鉱床の石英の白い脈を言ったのかもしれません。そこには金銀があり・・・そこは、切り立った山や円錐形の火山ではない・・・記憶が・・・昔読んだ黒鉱関連の本に何かこういった山には鉱石は存在しないような・・・そういった記述があった記憶が・・・書庫をあさらねば・・・そういえば、同気感応の説明では、王宮に吊るされたの銅の飾り物が、風もないのに揺れ動いて音を立てた・・・実は、その銅の飾りが鳴り響いたときに、その銅が取れた鉱山のあたりで大きな揺れがあったとか・・・そんな話で、遠隔地にあっても同じ気骨のものは共鳴しあうとか・・・

 風水は案外、こういった鉱山学からの派生だったのかもしれない気がします。風水師は漢文の素養があり・・・普通の呪い師や巫女の類とは違った、非常に高いステータスを持っていたようですから。

 朝鮮の鉱山も気になりますね。古くから北部の雲山に金鉱山が知られていて、アメリカ資本の金山が明治時代に存在していたとか・・・

 朝鮮の白・・・白い衣や白磁・・・高麗青磁はいつの間にか白磁になり・・・仏教が朱子学に変わる時期に変革があったという人もいるようです。しかし、表面的な信仰より深いところで何かが・・・美は古拙なんって言葉で簡単に割り切ることができない・・・白・・・

 朝鮮の謎めいた白・・・李朝の白磁・・・こういった焼き物を作るためには、陶土の知識が必要です。赤っぽい土に白い上薬の陶磁器から、白磁へ・・・素材そのものも変化していきます。李朝中期の、中央で継ぎ合わせられた不思議な丸みを持つ壺とか・・・製法の変化もありますし・・・朱子学の至上の色としての白、王宮専用の白磁・・・興味深いものです。

 風水がちょっと面白くなってきました。そして、日本の古い鉱山学・・・九州大学に200冊ほどの古文書があり、それを読むことができるし・・・日本と朝鮮の文化の基盤の違いなども見えてきそうな気がしますね。私の専門分野でない範囲の事柄の研究のようなものが、インターネット上の資料でどこまで進められるかにも興味があるし・・・

 さて、もう少し、この風水の本を精読するとしましょう。

(2012.10.29)

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