歴史の中をうろうろ(2)
 日韓併合でどんな変化が・・・(2)

 隣国について知らないことが多すぎることに気付きました。それは朝鮮半島の国ですね。ネットの上にも古い映像資料があることはあるのですが・・・コメントがすごいのでちょっと食傷気味、こうなると自前で集める気になるというわけです。他人が書くコメントはあまり欲しくないものですからね。自分が見たものを、自分で考えるのが好きなんでね。

 日韓併合の写真帳などがありますから、その中から美しい写真を拾い出してみましょう。

 右の写真は工業伝習所です。普通の建物だな・・・昔の学校の校舎という感じの・・・日本でもこの手の建物は明治時代以降建てられていきます。

 今の建物につながる、きわめて普通な建物ですが、この時代の日本でも朝鮮でもそれなりの威容を誇ったことでしょう。

 で、この写真で興味深いのは草ぶきの屋根なんですね。日韓併合の写真集なんで、旧来的なものと新時代の対比という写真なんできわめて面白いのであります。

 手前の美しい曲線を持った草ぶき屋根・・・これに興味があるんです。なんとなく、出羽三山へ行った時の美しい茅葺の屋根を思い出しましたから。明治の人間は廃仏毀釈でどれだけ美しいものを破壊していったのだろうとね。中華帝国から日本帝国へと文化の受容先を変えた朝鮮でも同じ事情であったのでしょう。

 日本は、ロンドン・パリ・ベルリンなどの都市にあこがれ、幕藩体制下で発達した江戸を、新たな帝都として東京を改造していきます。ネット上で古い民家を見出しました。機械翻訳で右のような文字列を作り出して画像検索をかけたもので、右クリックは利かないし、書かれている内容はほとんど不明なんですが、どうやらこういったものが残されているようです。

 私には非常に美しい建物に見えます。ああ、これは韓国民俗村という場所の写真のようです。このサイトで朝鮮の歴史も紹介されていますね・・・別のソースを使って、一般に日本で考えられている朝鮮の歴史をちょっと確認しておきましょう・・・だって、このサイトに失われた「半万年以上の悠久な歴史の中で伝承してきた韓民族の伝統的な生活様式」を展示しているとか・・・そういった文言があるのでね。文字で記された歴史となるとどこまでさかのぼれるのか?

 朝鮮半島は大陸から突き出しているので、日本と違って旧石器の遺跡などはごろごろしているのでしょう。ですから100万年ぐらい前の遺跡があってもおかしくはないですね。ですから・・・旧石器時代から人が住んでいたことは間違いないでしょう。そして、朝鮮半島を特徴づけるような遺跡が現れてくるのが紀元前4000年あたりのようですから、このあたりから朝鮮半島の文化が現れてくると考えてよいのでしょう。そして、この頃現在につながる朝鮮人の祖先が形づくられていくと言って良いと思われます。

 国家らしきものが形成されるのは多分・・・史記の記述に、中国の殷王朝28代文丁の子の箕子が殷の滅亡後、周の武王は朝鮮に封じます。そこで朝鮮侯箕子は殷の民を率いて東方へ赴き、当時の中華帝国の統治や技術を朝鮮半島へ広めることになります。したがって、紀元前1000年ごろには一応の国家の形を持つことになるというわけです。

 しかし、伝説では、この箕子朝鮮の前に檀君朝鮮があったとされています。中国で堯が支配する時代に白頭山に降臨した天神の子と熊の間に生まれた檀君が平壌城で建国したとというので、朝鮮の建国は紀元前2333年となっているわけです。すると、朝鮮の歴史は5000年となるわけです。

 しかし、箕子朝鮮も・・・あまりはっきりしないような?国家とは何か?建国神話はその神話を唱える人の精神を反映しますから・・・事実はどうなのか?少なくとも箕子が中国からやってくる以前に朝鮮半島には人がおり、文字による記録を持たない国のようなものがあって、そこに箕子が行って、中国風の政府をこしらえたということなのかもしれません。まあ、国家として確実なのは紀元前100年ほどではないかと思われます。

 この国家も冊封体勢下というのが基本なのでしょう。冊封・・・これがキーワードか、日本も宗主国として中華帝国からの冊封を受けています。古くは、倭の女王卑弥呼が曹魏朝から親魏倭王に封ぜられています。朝貢貿易を行っている期間なども同じようなものなんでしょう。そして足利義満や豊臣秀吉は明朝から日本国王に封ぜられています。冊封体制下、我が日本も中華帝国の一員であったということになりますかね?

 よって、日本に中国からの使節がやってくると、使節=皇帝の代理ですから、宮殿では天皇はその座を使節の大使に譲ることになるので問題になるというわけなのでしょう。

 あれあれ、軽い気持ちで始めた歴史遊びが・・・こりゃ中華帝国の基本的な外交システムを学ばなければならないぞ・・・中華帝国・・・王朝とは関係なく、中国の中原が東アジア文化圏の中心であり、東アジア政治圏の中心であリ続けたわけです。日本が大日本帝国を名乗り実権を握っていくわずかな期間に・・・そして、日本の経済的繁栄が・・・しかし、中華帝国は徐々に富を蓄積し・・・再び東アジアの宗主国になりそうな・・・

 中華帝国・・・強大ですね。中原を支配するものが東アジアを支配するのかもしれません。中華帝国は世襲の皇帝によって支配され、禅譲・簒奪・侵略などによって王朝は変わりますが、一貫して東アジアの宗主国でしたからね。日本・朝鮮・琉球・台湾・ベトナム・・・このあたりが中華帝国になるか・・・この中で欧米列強の植民地になるのはベトナム・・・ベトナム史は面白そうですね。宋からの独立したものの、国内は群雄割拠の中で王位の簒奪が続き、明の統治下になり、明から独立し、よさそうに見えても再び王権は簒奪の対象になり・・・清の干渉軍を排撃し・・・しかし、清朝の制度をかなり導入し、中央集権国家を築いていきます。ベトナムはどうも簒奪が可能な国家体制を組んでいたようです・・・なんとなく、そんな気がします。何しろ、あちこちで勝手に兵を動かしてフランスの侵略を許し、植民地化されてしまっていますからね。しかし・・・中華帝国が赤化して、それを宗主としてベトナムも赤化統一された?

 なかなか面白そうなんですがね・・・しかし、朝鮮の文化をもっと知りたくなりました。民芸などを研究した連中も、朝鮮の文化に興味を持っていましたからね。日韓併合前の記録となると・・・イザベラ・バードの著作が必読なんでしょうが、読んだことない・・・「朝鮮紀行」 Korea and Her Neighbours 1894年〜1897年の日韓併合1910年より前の紀行文・・・日本語訳が出てる・・・2000円近い文庫本・・・日本紀行も欲しくなるからパス!英文を読むとしましょう。ネットの中には、探せばありますから・・・ありますね。http://hompi.sogang.ac.kr/anthony/Bird/KoreaandherNeighbors.htm 韓国の大学のサイトにありました。さて、どんな内容だか?

 宣教師の話から始まって・・・イザベラ・バードは基本的にキリスト者の観点で物を見るということを頭の中に入れておいて読み進む必要があるということでしょう。

 さて、The Koreans are certainly a handsome race.朝鮮人はハンサムな人種・・・ふむ、日本人とは違う評価・・・女性の地位は非常に劣っている・・・世界一健康的な気候・・・剥げ山は印象が悪いか・・・美しい森林が好きなんですねイザベラさんは・・・灌木や草に興味があるようですが、経済的な価値のある植物は見かけるが、それ以外はほとんど見るべきものはないような感じですね。

 鉱業は金がすごい、銅もかなりあって、未開発の鉄や石炭も有望、アメリカの企業が入り込んでいる・・・それ以外の工業は・・・軽工業製品に限られる・・・竹や草の加工品・・・芸術は空虚・・・税や政治や外交のことが書かれ・・・貨幣は価値の低い銅貨ばかり・・・ふむ?銭と秤量通貨の2種類が通用してたのか?どうやら銭だけのようです・・・貨幣経済は都市のみ・・・商業が遅れていたのか?基本は物々交換か?

 金銀はどうやら中国へ流れて行ったような感じで、国内での使用に制限があったような感じです。日本でも、棹銅とか、俵物とか・・・貿易用産品の国内流通に制限があったものもありますからね。ということは、米や布などが現物通貨として流通していたことになりますかね?無貨幣経済とか・・・どのような条件で成り立つのか?封建制だよと言われても、あまり納得できなくて・・・自己が生産し消費するものだけなら良いのですが、どのようなルールで取引が成り立つのか?

 兩班は、金も払わず農民から物を取り上げていく・・・頭の中でツケの勘定を互いにやっているから現金の受け渡しや特別な会話も無いのかも?封建時代の農民の生活は・・・??見かけと実態の差というものがありそうな気がします。

 貨幣経済前の封建制社会というのは、どのような経済なのか?非常に気になります。封建制の基本は・・・いや、封建制という言葉で表現される内容って・・・レーン制に代表される・・・法的な身分秩序を持った支配関係・・・というやつですかね。ローマのガリアのあたりの自由民は有力者と被護民に分けられ、被護民は一生涯有力者の権力に隷属し、主人の保護の下、奉仕義務を負担するというやつですね。これが、フランク王国でも引き継がれ、主君と家士とか従士という関係で知られるようになり・・・こういった託身とか宣誓によって結ばれる法的な関係というやつですかね。御恩と奉公・・・確かに封建制の一面だが経済的な面では・・・安堵って言葉で経済的な側面は説明するのか・・・しかし、土地という生産財の権利、似たようなものに霞場とかシマというのも形式的な権利・・・実際には耕作するとか巡回して上がりを回収しなければならない場所・・・

 安堵・・・堵つまり垣の中に安んずるということで、他の侵害から人身、財産が守られ安全と思える状態を表す言葉・・・ああ、土地の権利書なんって安堵状の一種ですかね。とりあえずお上が、お前のものだと認める書類・・・名義変更の申請書類は御家人の譲状か・・・名前は変わっても制度的な違いはない・・・

 レーン制は農民を考えないやつですが、これに比べるともっと直接的な支配形態としての封建制は、農奴制とか言うやつですね。土地の支配者である領主様は、その土地に定着している農民や手工業者から年貢や賦役などの租税を徴収するというやつです。この賦役や貢租をまとめて封建地代って言いましたっけ。いわゆる封建的な搾取形態・・・

 色々ないい方はされますが、仕事に対する報酬の与え方が貨幣でないというだけではないかと思われますが・・・つまり、朝鮮半島では基本的に労働の対価はツケであったと言ってもよさそうです。人は一定の場所に居住し、そこには領主=地主様がいて、その地べたの上に暮らしている・・・そして、その単位が大きくて、その地主様の土地の上で基本的な産業がそろっているのであれば、それは荘園と呼ばれる。荘園の集合体を治める領主様もいて・・・ああ、八紘一宇の精神がなんとなく見えてきたかな?

 高額な額面の通貨を持たずに経済が成り立つというのが封建制の本質かな?ちょっと歴史の中のうろうろを中断して、封建制社会=前貨幣社会でもちょっと構築してみますかね。ちょっと朝鮮は後回し・・・イザベラ女史の朝鮮紀行も読み終えなければならないし・・・
(2012.10.09)

inserted by FC2 system